排除のために使われる言葉
「キモい」という形容詞がある。
この言葉は、差別や偏見、迫害、イジメのシーンにおいて人々の口から発されることが多い。日本では1990年代以降、若者言葉として人口に膾炙するようになり、いまでは日常語になっている。英語でも “disgusting” や “gross” といった表現がほぼ同じ意味の口語として、人間に対してもよく使われている。
筆者は、この「キモい」という言葉・感情は、現代社会をネガティブな方向へと衝き動かす巨大な動力源のひとつになっているのではないか、と考えている。
現代社会の建前は「社会的包摂(=ソーシャル・インクルージョン)」だ。これは、ソサエティやコミュニティの中で弱い立場にある人(=社会的弱者)をもふくめ、一人一人を社会の網から排除することなく孤独や孤立から救い、一員として取りこんでいこうという考え方だ。
しかし実際には、このようなスローガンと真っ向から対立する「キモい」という言葉が、しばしば対人関係において使われる。そして「キモい」という言葉は、単なる悪口というだけでなく、排除と迫害を正当化するような響きさえ帯びている。一体なぜだろうか。
本稿では、この「キモい/気持ち悪い」という感情についての理解を深めていきたい。まず理解することなしには、その対処に努めることはできないからだ。
「病気を避ける」働きが起源?
「キモい」を専門的にいうと、「嫌悪/disgust emotion」と呼ばれる感情システムによる心的作用、となる。
日本語の「嫌悪感」という言葉からは伝わりにくいが、英語のdisgustingとは、単なる「イヤだ」という感情のことではない。この言葉には「吐き気を催す」「胸がムカつく」「不潔」「グロテスク」「気持ち悪い」などの複数のニュアンスが含まれている。
人間の感情を研究テーマとする学術分野においては、この「嫌悪/disgust emotion」とはもともと〈疾病回避/disease avoidance〉のために進化した感情システムであるという考え方で多くの研究者が一致している。*1
筆者の前回の記事「新型コロナウイルスで『黄色人種警報』を信じた人々の『差別の深層』」でも触れた通り、「キモい」の正体とは、病原菌を避けるために人間の心に備わった感情であったのだ。どういうことか。すこし詳しく解説しよう。
生物にとって、「寄生者」はつねに大きな脅威であり続けてきた。ウイルス、病原菌、寄生虫などは、それに感染した生物の健康と遺伝子の再生産(=reproduction, 生殖)能力を著しく損なう可能性がある。
進化生物学では、生物個体とは遺伝子のための乗り物(ヴィークル)であるというふうに考える。*2 そして、ここでいう“遺伝子の再生産能力”には、単に生殖能力だけでなく「異性を惹きつける能力」(たとえばルックスや身体能力など)も含まれる。
病に罹患することで、自分自身の健康が脅かされるだけでなく、異性からも避けられやすくなるというのは、生物にとって(自らの生命と遺伝子の存続がともに危うくなるという)二重の意味で致命的な状況なのだ。
進化論では、生物の適応度(=遺伝子の生存可能性)をおびやかす問題、すなわち自然選択による“デザイン”によって結果的に解決されるべき問題のことを「適応課題」と呼ぶ。社会的に集住して暮らす種であったわれわれの祖先にとって、この〈疾病回避〉はきわめて重要な適応課題であった。
体内には「免疫系」があるが…
進化が、病気を上手く回避できるような生物学的メカニズムをわれわれの祖先に備え付けようとする際、必然的に生じた問題とは何だったか。それは、ウイルスや病原菌などの寄生体は小さすぎて、ライオンやトラなどの捕食者のようには目に見えないということだ。
寄生者は宿主の身体に付着して、その多くは体内に潜り込み、ホストのもつ資源を勝手に活用して繁殖(=遺伝子を再生産)する。これへの対策として、宿主となるわれわれのような種は、精巧な抗寄生体防御システムを“体内に”進化させている。
──ご存知、免疫系である。
免疫系は自然選択によって洗練された適応メカニズムだ。われわれの身体は、身体組織に侵入する寄生体をつねに検出し、それらを撃退したり、殺したり、または中和するなどの生理学的手段を動員するように、進化的に設計されている。
しかしこれは、ライオンやトラなどの捕食者に対する防御の仕方──われわれはそれを目にすると即座に走って逃げるだろう──と比較して、かなり後手後手の対策だ。なにしろ、体内にわざわざ菌を招き入れてから、それを撃退するというのだから。
「病原体を入れるな!」という警報
進化心理学者のマーク・シャラーは、ウイルスや病原菌や寄生虫などへの進化的な対策が「体内の免疫系」しかないのは不自然だと考えた。
そこで彼は、「生物学あるいは医学・生理学的なシステムと、心理学的なシステムは、ともに自然選択によって機能的に設計された進化の産物であり、協力して駆動する」という進化心理学の考え方から、「行動免疫システム(The Behavioral Immune System)」と呼ばれるものを提唱した。*3
行動免疫システムとは、病気を連想させるものに対してなら何にでも反応し、それを忌避する心理的なアラームのことだ。腐った食べ物の臭い、血塗れの他人の傷口、生ゴミでヌルヌルしている台所の排水溝、見知らぬ他人の体から出た分泌物、満員電車でひどく咳こんでいる人、嘔吐物、排泄物、おぞましい昆虫、死体やゾンビ……つまりは「キモい」という感情のことである。
むろん「病気を連想させる対象」が何かはヒトの経験や学習、その時々の社会的状況によっても微妙に変化するが、だからといってそれらに進化的な基礎がないとは言えない。
たとえば、遺伝的な基礎をもつヒトの脳の“言語獲得モジュール(Language Acquisition Device=LAD)”は進化の産物だが、そこへ後天的にインストールされる言語は生まれ育った国や地域によって変わる。鳥は歌のメロディや求愛ダンスを後天的に学習するが、その学習プログラムそのものは進化の産物(=先天的なもの)であり、ハードワイアード(固定)されている。「病気を連想させる対象」を「キモく」感じる、という情動反応も、あくまで先天的に進化した心のプログラムなのだ。
シャラーによる重要な発見は、この行動免疫システムによって「キモチわるさ」が心理的に賦活されると、「キモい対象」に実際に触れていなくても、あるいは病原体や寄生者が実際には体内に侵入していない状況でも、身体の免疫システム(T細胞などリンパ球の免疫系常備軍)に「非常事態警報」が発令されるというものだ。
ただ画像を見ただけなのに
シャラーが行なった実験では、発疹や疱瘡がある人、鼻汁を飛ばして咳やくしゃみをしている人などのスライドを被験者に見せ、見る前と見た後の血液サンプルを採取して調べた。結果、被験者たちは「病気かもしれない人」の画像をただ目にした(そして気持ち悪く感じた)だけなのに、それがトリガーとなって、血中の白血球が細菌感染に対する活発な反応をはじめていたことがわかった。*4
さらに、ほかの研究によって、赤ん坊を育てている母親は、自分の赤ん坊よりも他人の赤ん坊の大便のニオイをより不快だと感じる(自分の子供の大便がどれか隠されていても)ことが報告されている。*5 行動免疫システムは、血縁者や一緒に暮らしている人よりも、見知らぬ人の糞便に対してより「キモさ」を感じさせるというわけだ。
これは生物にとって非常に適応的な反応といえる。なぜなら、身近な人がたとえなんらかの病原体を持っていたとしても、自分もすでに免疫を持っている可能性が高いからだ。
行動免疫システムはその名の通り、生物の行動(behavior)に影響を与えるよう進化的に設計されたシステムだ。われわれは普通、ただ「不快だ」「気持ち悪い」と感じるだけでなく、その心理的な反応を行動(behavior)に移す。
もし、体内の免疫系を全軍駆り出すとなると、とてつもない量の代謝資源が消費されてしまう(その現れとして、病にかかると一般に生物は衰弱し、免疫反応による発熱などで身体がだるくなる)。
このようなコストを避けるためにも、病気や感染を思い起こさせるキュー(情動反応のトリガー)に対しては過敏に反応し、病原体に対する未然の防御として接触回避行動を動機づけるようなシステムが、進化戦略的に需要された。
それに応えた心の設計こそが、行動免疫システム──“キモい”──なのである。
いじめっ子が「〇〇菌!」と囃す理由
さて、われわれサピエンスが有する「キモい」という感情システムの生物学的な意味合いについてざっと理解したところで、私たちの普段の生活でしばしば起きている、この感情が問題や軋轢を引き起こす──つまりは不適切な場面で用いられるシーンを想像してみよう。
たとえば「イジメ」は典型的な事例だろう。子どものイジメでは、ある子が触ったもの、吐いたもの、咥えたものなどに対して、「キモい!」とか「○○菌!」「○○ウイルス!」などのレッテルを貼ることがしばしば行われる。
先ほど、行動免疫システムは“病気や感染を思い起こさせるもの”に対して発動すると説明した。いじめっ子たちは、いじめられっ子に触れてしまったら「オエエエ」と言って即座に拭き取ろうとしたり、手を洗いにいったり、誰かになすりつけようとする。そういう仕草を目にした周りの子たちは、防衛的に行動免疫システムがonになるために、同じ仕草を模倣し、イジメは加速していく。
このようなイジメでは「キモい」の情動伝染が起こっている。情動伝染 (emotional contagion) とは、ヒトが集団生活を営む動物として進化してきた名残であり、「群れ反射」の一種である。
嘔吐が伝染する(誰かが吐いているシーンに遭遇すると自分も吐いてしまう)ことはよく知られているだろう。神経心理学者のロバート・プロヴァインによれば、これもヒトが進化させている群れ反射の一種であり、「群れの誰かが毒物や病原菌を検出して食物を吐き出したなら、同じモノを食べてしまった可能性が高い自分も吐いておいた方がいい」という適応である。*6
実際、ブルーノ・ウィッカーの研究でも、気持ち悪い臭いをかがされた被験者と、その人の表情のビデオクリップを見せられた被験者では、同じ脳領域(前部島皮質)が活性化していることが確かめられている。*7
群れ生活を営む動物にとって、「周囲の反応を手がかりに自分も同様の反応をする」というのは、ごく基本的な心理-行動設計なのだ。捕食者が出現した際などに起こる「恐怖心の伝染」はその最も原始的なかたちだが、「嫌悪感(キモい)の伝染」もかつては同じく適応的な意義を持っていた。
病原菌それ自体と同様、「キモい!」というパニックも人から人へと伝播してゆく。そして一度火がついてしまった集団ヒステリーには歯止めが効かなくなってしまう。
翻って、だれかを「イジメたい」とか「差別したい」と思うならば、実態はどうあれ、「あいつらは病原菌やウイルスをもっている!」と叫ぶのが一番効果的な手法なのだ。それを聞くとサピエンスたちは途端に行動免疫システムを活性化させ、「この汚い連中から離れよう」「近づかないようにしよう」「排除しよう」という風に動く。
いまも響く「排除せよ」のアラート
社会心理学者のスーザン・フィスクと社会神経学者のラサーナ・ハリスの研究では、嫌悪感(「キモい」)をかき立てられるような「おぞましい人々」を目の前にすると、サピエンスは「社会的理解」を遮断する。
フィスクらの実験の被験者たちは、麻薬常習者やホームレス、そのほか “汚らしい”人々に対して嫌悪を感じると報告した。フィスクらがその脳活動を調べてみたところ、ふつうの人間に対しては働くはずの、社会的推論に関連する領域(内側前頭前皮質)の活動が低下していることがわかった。*8
「キモい」は、社会的断絶を生み出す。この感情の喚起によって共感(エンパシー)の働きは停止され、その対象となる人びとは認知的に“非・人間化”される。彼らは社会的な距離を縮めて救い出すべき対象ではなく、関係性に距離を取って積極的に回避すべき対象とみなされる。「私たちの目の前から早く消えてくれ」というわけだ。
不思議なのは、「キモい」という言葉はまぎれもなく加害性をはらんでいるにもかかわらず、「キモく感じさせられた私こそが被害者である(そして加害者は、私をキモがらせたアイツである)」という逆転を伴うようにも見えることだ。
これは筆者の仮説であるが、「キモい」という感情はもともと「病気の感染者から逃れるための警告」として進化したために、社会善──つまり「“みんなのため”に、バイ菌の保有者を社会から隔離・排除し、公共の安全を保つ」──の感覚にナチュラルに繋がりやすいことが、その背景にあるのではないだろうか。
ここでいう“社会善”とは、われわれの心が数百万年にわたって育まれてきた太古の部族社会環境においては「是」とされていたであろう、単純で粗野で原始的な――とにかく外敵を排除し、共同体を守るための“善”のことである。未知の病原菌を持っているかもしれない外敵に対する「排除せよ」というアラートの残響が、21世紀のいまになってもまだ響いているのだ。
かくして「キモい」という言葉は、“ただしさ”のニュアンスを身に纏う。この“ただしさ”はたいていの場合、明確で合理的な根拠を必要としない。原始的な共感さえあれば十分──「ほら、あなたもアイツのことキモいと思うでしょ? 思わない? それはちょっと感覚がヘンだね」というわけである。
いまや「キモい」という言葉は、実際にムカムカするような吐き気や、身の毛もよだつようなおぞましさや、ゾッとするような不快感が内的に沸き立っていない場合にも、安易に用いられることが多い。
これは、若い女性が多用しがちな「カワイイ」という形容詞が、かならずしも実際にかわいいと感じているものにだけ用いられるわけではないのと同様だ。
おそらく、「キモい」(= “病気や感染を思い起こさせる対象である”)という言葉を拡張させて、一種のスティグマ(烙印)として「気に入らない他者」に向けたレッテルとして活用することで、社会的ダメージを与えたり、隔離や排除を“正当に”成し遂げられたりする「効果」がひそかに期待されているのだろう。
ひどい差別の原因にもなる
ハンセン病は、らい菌が皮膚や末梢神経に寄生することで引き起こされる感染症だ。らい菌の感染力は低く、治療法も確立されている現代では、患者が感染源となることはほぼない。
しかしハンセン病患者は、太古の昔から現代に至るまで、世界中できわめてひどい差別と迫害に晒されてきた。
わが国でも1996年まで「らい予防法」が存在した。すでに治療法が確立し、感染の恐れがないにもかかわらず、患者の終身強制隔離収容が政策として行われてきた。この法は、実質的に“患者絶滅政策”として機能していたのである。
ハンセン病差別を実行しつづけてきた一部の人々にとって、行動免疫システムが引き起こす直観はきわめて強力であり、医学的根拠をもってしてもあらがいがたいものがあったのだろう。
進化心理学の研究でも、外見が「主観的正常感」から逸脱しているとみなされる人びとに対し、行動免疫システムの警報が作動しやすいことが知られている。顔にニキビやあざがあったり、身体障害を持つ人、はては肥満の人々でさえ「キモい」(=病原菌保持者である)という誤警報の対象になりうる。*9
なぜ、無害で安全なはずの人びとに対して、サピエンスの行動免疫システムはこれほどまでに簡単に活性化してしまうのか。
人類は「キモい」を克服する必要がある
進化心理学の「けむり感知器原則/Smoke-Detector principle」が、そのことを説明する。*10 病原菌の回避に際し、偽陽性(=誤検出)のエラーは低コストだが、偽陰性のエラーは「鳴らない火災報知器」ということになるため、命取りになる。つまり、検出漏れがあれば死の危険があるが、過剰反応しても死にはしない、ということだ。
──なるほどたしかに、その心のデザインは生物学的には“合理的”である。
しかし同時に、われわれは二重過程の思考(ファスト&スロー)を発達させている動物でもある。直観的かつヒューリスティック的な情報処理(「キモい→病原菌回避!」)を、遅れて開始される分析的な思考(「この感情反応は誤作動である」)によって適切に修正することができるはずだ。
われわれは、自分の心をメタに俯瞰して捉えることにより、自然淘汰によって授けられた“生物学的合理性”を超える、新しいレベルの合理性を身につける必要がある。
本稿では、ウイルスや病原菌を警戒するために発達した「キモい」という心理メカニズムの性質について語ってきたが、しかしわれわれが真に警戒すべきは、扇動者たちがわれわれの脳内に植えつけてやろうとたくらむ〈ある種の人々は“キモい”というアラートの警戒対象である〉という情報の方であろう。
言葉は、他者の脳内に侵入して「ミーム」として寄生し、その認知を乗っ取ってやろうというふうに機能する。我々は、ことばによる心理操作に警戒すべきなのだ。
先にも触れた通り、「キモい」とは、人間にスティグマを焼きつける言葉であるということをけっして忘れてはならない。
そのレッテルのターゲットとされた人々は、たとえ他人に害をなさずとも、ただ「キモい人間である」というだけでコミュニティやソサエティから迫害・排除されるのである。そうした経験から、その後も鬱などの精神疾患や、社交不安障害などさまざまな二次障害に悩まされることもある。
先史時代の環境に適応した脳が生み出した「キモい」という感情をただしく理解し、現代社会においてただしく「躾ける」ことは、不当な偏見や差別をなくすための、現代人としての責務であると筆者は思う。
*2 Dawkins (1976)
*3 Schaller & Park (2011) ; Schaller& Duncan (2007)
*4 Schaller, Miller, Gervais, Yager, & E.Chen (2010)
*5 Case, Repacholi, & Stevenson (2006)
*6 Provine (2012)
*7 Wicker et al. (2003)
*8 Harris & Fiske (2006)
*9 Park et al. (2007)
*10 Nesse (2005)