【コラム】伝統芸能の継承現場 ── スーツと缶コーヒーと紙の山
別の宇宙の話
Web系エンジニアの日常を想像してみてほしい。
おしゃれなオフィス。Tシャツにジーンズ。MacBookを広げ、スタンディングデスクで作業。手元にはスタバのラテ。コミュニケーションはSlack。コードはGitHubで管理。スクラムミーティングは立ったまま15分で終わる。
いい。実にいい。キラキラしている。
では、COBOL現場の日常を描写しよう。
スーツに革靴。蛍光灯のオフィス。据え置きのデスクトップPC。手元には自販機の缶コーヒー。コミュニケーションは内線電話。コードはメインフレームの端末で管理。会議は座ったまま2時間かかる。机の上には仕様書と紙の山。
別の宇宙だ。
朝の風景
私の一日は、こうだった。
朝、スーツを着て家を出る。電車に乗って出社する。ここまではどの会社員とも同じだ。
オフィスに着いたら、まず自販機で缶コーヒーを買う。ブラック。120円。これが一日の燃料だ。
席に着き、PCを起動し、メインフレームに接続する。TSOにログイン。黒い画面に緑の文字が浮かぶ。第3回で書いたあの世界だ。
そこからは、ひたすらターミナルに向かう。マウスは使わない。すべてキーボード操作。画面はモノクロ。BGMはなく、聞こえるのはキーボードの打鍵音と、遠くの印刷室から聞こえるガッシャンガッシャンという音だけ。
華やかさは一切ない。だが、不思議と嫌いではなかった。
紙の文明
第5回で印刷室の話を書いた。第7回で成果物の付せんの話を書いた。
改めて振り返ると、COBOL現場は紙の文明だった。
コンパイルすれば紙が出る。レビューは紙で行う。会議資料は紙で配られる。設計書は紙で保管される。変更履歴は紙に手書きで記録される。
1人に配るレビュー資料が100枚を超えることもあった。会議が終わると、机の上に紙の山ができている。その紙を整理し、ファイリングし、キャビネットにしまう。これもまた「仕事」だった。
ペーパーレスという言葉が世間で叫ばれていた頃、私たちは蛍光ペンのインクを大量消費していた。第7回で書いた東急ハンズ通いは、文房具の消耗が激しかったからだ。
ペンのインクの消費量がキーボードの打鍵数を上回る。そんな世界が、確かに存在した。
型がある
COBOL現場を「古臭い」と言うのは簡単だ。スーツ文化も、紙文化も、内線電話も、現代の基準からすれば非効率の塊に見えるだろう。
だが、私はこの現場を伝統芸能の継承現場に近いと感じている。
歌舞伎には型がある。演者は型を覚え、型どおりに演じ、型の中で個性を出す。型を破るのは、型を完全に身につけた後の話だ。
落語には作法がある。枕があり、本題があり、落ちがある。この構成を崩すことは基本的にない。
COBOLにはDIVISIONがある。4つのDIVISIONを順番に記述し、所定の構造に従ってプログラムを組み上げる。自由度は低い。だが、誰が書いても同じ構造になるから、他人が読んでも理解できる。
スーツを着るのも、型だ。缶コーヒーを飲むのも、型だ。レビューを紙で行うのも、印刷室でコンパイルリストを仕分けるのも、すべて型だ。
型があるから、新人でも入っていける。型があるから、何十年も保守し続けられる。型があるから、安定する。
金融システムに求められるのは、創造性ではない。安定性だ。ATMは毎日同じように動かなければならない。保険料は毎月正しく計算されなければならない。そのために必要なのは、革新ではなく、型の継承だ。
古臭いかもしれない。だが、型があるから社会が回っている。
缶コーヒーに敬意を
今の私は、COBOL現場にはいない。スーツも着ていないし、紙のコンパイルリストを手にすることもない。
だが、自販機の缶コーヒーを見ると、あの頃を思い出す。
120円のブラックコーヒーを片手に、黒い画面に向かっていた日々。華やかさはなかったが、確かにそこにプロの仕事があった。
スタバのラテも悪くない。だが、自販機の缶コーヒーには、あの現場でしか出せない味がある。
── 0C7(ゼロシーセブン)
