①ここ施設だったんだ˚✧₊⁎
(写真は関係ない˚✧₊⁎でも当時をなんか思い出す)
母を亡くしたのは…4歳くらいの頃。
4歳…。
今、自分がその年齢の子を見ると、
「こんなに小さいんだ」と思います。
その年齢で、お母さんを亡くした…。
でも、4歳の私は「死」というものを
よく理解していませんでした。
お母さんは病気でつらそうで….。
そして、いなくなった…悲しい。
それくらいの感覚だったと思います。
その後のこと
母の再婚予定だった人が、
そのまま私を育ててくれるわけもなく…。
おばあちゃんはまだ生きてはいたようだが
私の面倒をみれるほどの元気はなかったようです。
なので、
私は施設で生活することになりました。
当時の詳しい事情については、
私自身もよくわからないことばかりです。
幼かったので、
大人たちが何を話していたのかも
覚えていません。
ただ、気がついたら....
それまでとは違う場所で暮らしていました。
そこには私以外にも、いろいろな事情を抱えた子どもたちがいました。
みんなでご飯を食べて、学校へ行って。
子どもだった私にとっては、それが日常になっていきました。
ずっと寂しかったわけではありません
「施設で育った」と話すと、「ずっと寂しかった?」
と聞かれることがあります。
でも、ずっと寂しかったわけではありません。
友達もいました。
楽しいこともありました。
学校であったことを話したり、一緒に遊んだり。
普通の子どもと同じように笑うこともたくさんありました。
ご飯を作ってくれたり、
学校のことを気にしてくれる人がいたり。
体調が悪ければ心配してくれたり。
今振り返ってみると、私はたくさんの人に育ててもらったんだと思います。
だから、施設で育ったことを
全部「かわいそうだった」という
一言で片付けたくはありません。
私にとっては、そこが私の家でした˚✧₊
でも、違いを感じることもありました
それでも、
子どもながらに「普通の家庭」との違いを
感じることはありました。
友達が、「昨日、お母さんと買い物に行った」
と話している。
「今度の休み、お父さんがどこかに連れて行ってくれる」
そんな話をしている。
私は、「そうなんだ」と笑って聞いていました。
でも、自分にはそれがありませんでした。
母親がいない。
父親もいない。
そのことを、少しずつ理解するようになりました。
小さい頃は、それが当たり前でした。
でも、成長するにつれて、
「あれ? 私ってみんなと違うんだ」
と思うことが増えていきました。
母親のこと
母のことを覚えているかと聞かれると、
もう正直、あまり覚えていません。
顔も、声も、今でははっきりとは思い出せません。
写真を見れば、
「この人がお母さんなんだ」と思います。
でも、母と一緒に過ごした記憶は、
少しずつ曖昧になっています。
それが、たまに寂しくなります。
自分の母親なのに、
記憶の中から少しずつ遠くなっていく。
忘れたくないと思っているのに、
覚えていない。
子どもの頃は、
そんなことを考えもしませんでした。
大人になった今だからこそ、
少し寂しいと思います。
自分のことは自分で
中学生、高校生になるにつれて、
少しずつ将来のことを考えるようになりました。
ずっと子どもではいられません。
いつか私はここを出て、
自分で生活しなければならない。
家賃を払って。
ご飯を食べて。
働いて。
自分のことは、
自分で何とかしなければならない。
そんなことを考えるようになりました。
私を育ててくれた人たちには、
本当に感謝しています。
ただ、
「私は自分で何とかしなきゃいけないんだ」
という気持ちは、
普通の家庭で育った人より少し早く持っていたのかもしれません。
そして、
その気持ちは今の私にも残っています。
大学へ進学するときも。
学費のことを考えたときも。
そして、飛田新地で働くことを考えたときも。
結局、根っこの部分では同じでした。
自分の人生だから、自分で何とかするしかない。
そう思っていたんだと思います˚✧₊⁎
