【日常エッセイ】夏休みの終わり。
私の小学生の頃、
夏休みの最終イベントは、
母と大型スーパーへ行くことだった。
母は車の免許を持っていないので、
私を自転車の後ろに乗せて、
6kmほどの道のりを30分くらいかけて走った。
その道中、川にかかる橋のわきに、
シルバニアファミリーが飾られていた。
野ざらしだった。
橋のたもとの、自然の中にぽつんと置かれた初期のシルバニアファミリー。
雨の日も風の日も、ここにいるのがわかるくらいに、色褪せている動物たち。
私が大好きなシルバニアファミリーとは少し違うその姿が、印象的だった。
でも、不思議と嫌いではなかった。
「今年もちゃんといる。」
と、なんとなくホッとしていたのを覚えている。
その目的地スーパーには別館があって、
そこにはおもちゃ屋さんがあった。
その当時としても珍しい初期のシルバニアが残っていた。
たぶん、ずっと売れ残ってくれていたのだと思う。
新しいものが次々に並んでいくおもちゃ屋さんの片隅で、昔のシルバニアだけが取り残されていた。
それを見つけるのが、私の楽しみだった。
そして、その途中にあの橋がある。
橋のわきには、野ざらしのシルバニア。
スーパーには、売れ残った初期のシルバニア。
私はその両方を楽しみにしていた。
夏には、もうひとつ楽しみがあった。
土曜日のスイミングが終わると、
母とバスに乗って七夕まつりへ行く。
駅前の少しさびれた商業施設のおもちゃ屋さん。
そして、七夕まつりの会場になっている商店街の、昔ながらのおもちゃ屋さん。
そこでも私は、シルバニアファミリーを探した。
もちろん、七夕まつりそのものも楽しみだった。
地元のじゃりじゃりしたかき氷ではなく、
ふわふわのかき氷が食べられるのも嬉しかった。
蒸し暑い夏の空気。
人でいっぱいの商店街。
お店の前を通ると、開いた扉からエアコンの冷気が流れてくる。
暑い。
でも、冷たい。
その繰り返しが、なんだか気持ちよかった。
その商店街があるのは繊維の街の中なので、
生地屋さんもたくさんあった。
私はそこを覗くのも好きだった。
たくさん並んだ生地の中から、はぎれを探す。
小さなボタンを探す。
シルバニアのおもちゃを探すのと同じくらい、
そういうものを眺めるのが好きだった。
七夕まつりの一番の見どころは、
神社の境内だった。
ただ、私は砂利を歩くのが嫌だった。
サンダルで歩くと、
たまに足の裏に砂利が入ってきて痛い。
だから、神社はちょっと嫌だった。
おまけに、神社に着くまでに私の目的は全て果たされているのだ。
それでも、人混みの中では母の腕をつかんで歩いた。
私は三姉妹の末っ子。
姉たちは私より8歳と5歳上。
私がまだ小さい頃は、
母と姉たちと一緒に出かけることも多かったけれど、私が高学年になる頃には、
姉たちはそれぞれ部活やバイトで忙しくなっていた。
気づけば、母と私の二人で出かけられることが増えていた。
当時の私は、そんなことを特別なことだとは思っていなかった。
でも今になって思う。
私はたぶん、今でも母と二人で出かけることが大好きなのだ。
いろんなものを思い出せるけれど、
結局いちばん残っているのは、
人混みの中でつかんでいた、母の腕だった。
本日も読んで頂きありがとうございます。
息子たちとペットボトルシャワーを作ってみました。
穴を開けて水を入れるとくるくると回りながら水が出てくるようなやつ。
穴を開けるセンスがなかったのか、
くるくる回りませんでした。
