【MBTI(幹部)】完璧な旅程表の向こう側で迷子になる。
第一章 スプレッドシートが奏でる旅の予感
私のノートパソコンには、いつも過剰なほどの「旅のしおり」が眠っている。
これは単なる計画書ではなく、私の魂の結晶と言ってもいい。
ESTJ、いわゆる「幹部」型と呼ばれる人間にとって、旅行とは未知との遭遇ではなく、攻略すべきプロジェクトに他ならないからだ。
エクセルのセルを細かく区切り、移動時間、昼食の候補、さらには予備のトイレ休憩の時間までを分単位で計算する作業は、奇妙な快感を伴う。
空港に着いた瞬間、自分の完璧なロジックが現実の空間を支配しているような錯覚に陥るのが好きなのだ。
例えば、
八時十分、宿を出る。
八時十五分、最寄りのバス停で待機。
八時二十分、バスに乗車。
この緻密な計算式に誰も異論を挟まない時、私の心は静かに満たされる。
誰かが「少しのんびりしようよ」なんて甘えたことを口にしても、私は笑顔で「大丈夫、このスケジュールなら余裕があるから」と現実的な数字を突きつけてしまう。
それが自分の組織管理力への誇りであると同時に友人たちには煙たがられている自覚も、少しはある。
しかし、この正確さがもたらす心地よいリズムが、私にとっての旅の骨格なのだ。
無駄な待ち時間などない世界。
明確な基準に基づいて選ばれたカフェのコーヒーは、きっと美味いに違いないし、予約した観光地は確実に楽しめると信じている。
だが、ふと画面から顔を上げて、空港のロビーの騒がしさを眺めると、自分が作り上げた完璧な予定表が、どこか無機質な牢獄のように見えてくる瞬間がある。
旅の醍醐味は予測不能なことにある、なんて言葉を誰かが呟くのを耳にすると、胸の奥で何かが疼く気がするのだ。
予定通りに事が運ぶ人生の素晴らしさを知っている一方で、予定が崩れることへの恐怖も、また同じくらい強く抱いているからかもしれない。
だから私は今日も、次の行の計算式を打ち込む指を、少しだけ震わせているのか。
第二章 崩れ去る予定と冷や汗の味
先日、地方の温泉街へ友人と旅行した時のことだ。
私の完璧なプロジェクトは、旅の二日目の昼前にあえなく崩壊した。
大雨でロープウェイが運休になったのだ。
私は即座に、代替案である「雨でも楽しめる近隣のガラス館」のリストを開いたが、なんとそこも臨時休館という二重苦だった。
その時、私の頭の中では、次にどう動くべきかという選択肢が高速で明滅していた。
しかし、横にいる友人たちは、雨音を聞きながら「まあ、いいか」と地元の食堂で昼間からビールを飲み始めていたのだ。
その光景を見たとき、私は怒りよりも先に、強烈な敗北感と、奇妙な羨望のようなものを感じた。
彼らにとっての旅は、結果ではなく今の空気そのものなのだろう。
私は冷や汗をかきながら、スマートフォンの地図アプリで代替案を必死に検索していた。
組織としての成功を目指す私の目には、その無計画な時間はただの「損失」に見えていた。
しかし、友人たちが楽しげに笑いながら湯気の立つ蕎麦をすする音を聞いているうちに、自分の中にあった「明確な基準」が、少しずつ形を失っていくのを感じた。
旅というものは、本来コントロール不可能なものではないのか。
幹部のように組織を動かそうとする私の性分が、旅という自由な空間に対してどれほど窮屈な檻に閉じ込めようとしていたのか、その時ようやく気づいたような気がする。
とはいえ、それでも私はまだ、スマートフォンで時刻表を何度も確認してしまう。
この性分は、一朝一夕では治りそうにない。
予定をコントロールしたいという欲望と、その予定を捨ててしまいたいという願望の間で、私は今日も揺れ動いている。
雨の中、冷たくなった傘の柄を握りしめながら、私は自分自身のこの性格を呪うべきか、愛すべきかと真剣に悩んでいた。
結局、その時は私も友人たちに混ざって、少しぬるくなったビールを飲んだ。
思ったよりも悪くない味だったと思う。
計画通りに進まないことへの苛立ちは、アルコールと共に少しずつ溶けていった。
第三章 余白の美学と制御不能な私
旅から帰ると、私はすぐにエクセルのシートを閉じる。
そして、二度とそのファイルを開くことはない。
あれほど情熱を注いで作ったスケジュール表は、終わった瞬間にただのデータと化すのだ。
その虚無感が、実は一番好きかもしれない。
完璧な計画を立て、それを遂行しようと必死になり、結局は少し崩れる。
その崩れた隙間にこそ、旅の本当の景色があったのではないかと、帰りの新幹線の中でいつも考える。
ESTJという記号は、世間では「効率的で現実的」というレッテルを貼られがちだが、そんな単純なものではないと声を大にして言いたい。
私たちだって、ただの人間だ。
効率的に動くことで安心を得たいだけの、弱くて臆病な一面もある。
だからこそ、私は旅行の計画を立てるのをやめられない。
それは自分を安心させるための儀式であり、同時に、いつかこの完璧な予定表をすべて破り捨てる勇気を持つための準備運動のようなものかもしれない。
最近では、あえて「昼食はあそこの店」と決めず、「腹が減ったら近くの店」という、私にとっては冒険のようなルールを一つだけ設けることにしている。
それが少し怖い。
けれど、そうして生まれた空白の時間が、意外と記憶に残るものだと気づき始めている。
完璧な旅程表の向こう側には、きっと私がまだ見たことのない、制御不能な美しい時間が流れているはずだ。
次に旅に出るときは、もう少しだけ自分を甘やかしてみようと思う。
もちろん、移動の交通機関だけは予約するけれど、それ以外は雰囲気に任せてみようかな、なんて考えている。
まあ、結局のところ、駅に着いた瞬間に電光掲示板を凝視して、最も効率の良いルートを探している自分の姿が目に浮かぶのだけれど。
それでいいのかもしれない。
人間なんて、そう簡単に変われるものではない。
自分の性格の枠組みの中で、少しだけ窓を開けてみる。
そんな中途半端な姿勢で生きていくのが、私らしい旅の歩き方なのだろうと、今はなんとなく思える。
旅が終われば、また日常という名のプロジェクトが始まる。
次はもう少し、深呼吸を多めに盛り込んでおこうかなと、小さく笑いながらパソコンの電源を落とした。
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