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【MBTI(管理者)】旅のしおりという名のバイブル。



第一章 空白を許せぬ病


私はきっと、旅先で誰よりも多くの「無駄」をこよなく愛している人間であるはずだ。

少なくとも、自宅のソファでビールを飲みながらそう自分を慰めている時には、間違いなくそう信じている。

しかし、いざ旅行が決まると、私の脳内に住むISTJの小人が血相を変えて飛び出してくる。

「行程表を作れ」と、彼は私のこめかみを小突くのだ。

私にとっての旅行とは、未知との遭遇というよりは、綿密に構築された計画がどれだけ寸分違わず実行できるかという、ある種の社会実験に近いのかもしれない。

まずはGoogleマップを全画面で開き、ホテルの位置をマーカーでプロットする。

そこから徒歩圏内に存在する「評価四点以上の飲食店」を洗い出し、さらに営業時間を調べて、移動時間を秒単位で計算していく作業が始まる。

この瞬間、私は自分が管理者というよりは、もはや無給のツアーコンダクターのように思えてくる。

カフェのメニューにある『本日の気まぐれサンドイッチ』という文字を見ただけで、私の胃はキュッと引き締まる気がする。


気まぐれなど、旅には不要だ。


私はその店に何があって、いくらで、何分で食事が終わるのかを知りたいだけなのだ。

計画の中に潜む不確実性は、私にとって砂利の混じった米を噛むような不快感を伴う。

だからこそ、私は念入りに、それはもう過剰なまでに準備をする。

けれど、その完璧な計画を見つめるたびに、何かが欠落しているような、奇妙な空虚感にも襲われるのだ。

まるで、これから行くはずの旅先を、もうすでに冷蔵庫の残り物チェックのように冷めた目で見ているような気分になる。

この几帳面さは、私の最大の武器であり、同時に旅の楽しさを殺す毒なのかもしれない。

ふと窓の外を見ると、夕暮れの空が不思議なグラデーションを描いている。

あれもまた、計画にはない色だ。

予定調和の中に安らぎを感じる一方で、予定調和しか愛せなくなっている自分に、小さく溜息をつく。


第二章 時刻表という信仰


旅行前夜、私の枕元にはA4用紙に印刷された、フォントサイズまで調整された完璧なスケジュールが置かれている。

電車の一本を逃せば、その後の接続がドミノ倒しのように崩壊する恐怖を、私は常に抱えている。

まるで時限爆弾のタイマーを覗き込むような緊張感だ。

友人たちは「なんとかなるさ」と軽やかに笑うが、彼らが言っている『なんとかなる』が、どれほど私の心臓に悪いか、彼らは一生理解できないだろう。

実際、ある旅先で、電車の運行遅延に見舞われたことがある。

私の作成した行程表では、その遅延は想定外のトラブルだった。

ホームで立ち尽くす私を横目に、友人は駅前の売店で買ったアイスクリームを美味しそうに食べている。

その時、私の手の中にあるバイブルは、ただのゴミと化した。

だが、不思議なことに、その絶望の淵に立たされた瞬間、奇妙な解放感のようなものが胸に込み上げてきたのだ。

計画が破綻した時、私は初めて「今、この場所」に立っている自分に気がつく。

遅延した電車のドアが開いた時、そこから漏れ出た暖房の匂いが鼻をついた。

少し焦げたような、冬の電車特有の匂いだ。

私はその瞬間、自分が管理者としてではなく、ただの旅人としてそこに存在していたことに気づく。

規則や手順に縛られ、それを遵守することに快感を覚える一方で、その縛りが解けた瞬間の頼りなさと、それに続く解放感のアンビバレンス。

私はこの矛盾に、どっぷりと浸かっているのだと自覚する。

旅行とは本来、日常からの脱出であるはずなのに、私は日常以上の厳しい規則を自分に課し、その規則が崩れるのをどこかで待っているのかもしれない。

まるで、きつく縛った靴紐を、あえて少し緩めて歩く時の、あの不安定で少しだけ軽やかな足取りのように。

完璧を目指す私が、完璧に失敗することで安堵するなんて、我ながらひねくれた性格だと思う。

それでも、次の旅の計画を立てる際、私は懲りずにまたExcelを開くのだろう。

結局、私は準備そのものが好きなのか、それとも準備が崩れるあの瞬間を待っているのか、自分でもよくわからない。


第三章 迷子という解放


結局のところ、旅において最も記憶に残っているのは、計画通りの美しい景色ではない。

道に迷い、偶然見つけた路地裏の喫茶店で、埃をかぶった懐かしい漫画を見つけた瞬間のことだ。

あるいは、予定していた名店が定休日で、仕方なく入った雑居ビルのラーメン屋で、無愛想な店主が出してくれた熱々のスープの味だ。

あのラーメンの湯気と、店内に充満していたニンニクの匂いは、どんなガイドブックにも載っていない。

計画通りに事を進めることが私のアイデンティティの一部であることは間違いない。

しかし、旅の本当の醍醐味は、私が積み上げた管理者としての矜持が、呆気なく崩れ去るあの瞬間にあるような気もする。

管理者は、管理できないものにこそ惹かれる。

論理的に組み立てた予定が、現地の気まぐれな天候や、気の向くままの店主の都合によって覆される時、私はようやく世界と対峙できているという実感が湧く。

もちろん、無計画な旅など私には不可能だ。

突然の変更にパニックを起こし、冷や汗をかく自分の姿が容易に想像できるからだ。

それでも、計画という名の鎧を纏いつつ、その隙間からこぼれ落ちる予期せぬ出来事を、少しだけ愛でられるようになった気がする。

私のISTJという性質は、旅を壊すための枷ではない。

それは、冒険という海に漕ぎ出すための、頑丈で安心な船のようなものだ。

ただ、たまにはその船から降りて、海に飛び込んでみるのも悪くないだろう。

びしょ濡れになり、計画が台無しになり、冷えた体に震えながらも、なぜか笑いが止まらないような、そんな夜があってもいい。

旅のしおりは、鞄の奥底に突っ込んでおけばいい。

私が求めているのは、完璧な遂行結果ではなく、計画が瓦解したあとに残る、誰にも奪えない自分だけの時間なのだと、今の私はそう感じている。

また次の連休が来たら、私はきっとExcelを開く。

そして、一番最後に『迷子になる時間:一時間』と書き加えるだろう。

それは、管理者としての私が許せる、
最大限の、そして唯一の贅沢なのだ。



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