【MBTI(運動家)】地図を広げたまま、私は迷子になる。
第一章 空白の地図に踊らされて
私の頭の中は、常に賑やかな祭りの会場のようなものだ。
いや、祭りの会場というよりは、誰も招待していないのに勝手に客が集まってきて、それぞれの勝手な余興を繰り広げている雑居ビルの一室かもしれない。
そんな私はMBTIでは「運動家(ENFP)」だと知ったとき、妙に納得してしまった。
「社交的で情熱的、自由を愛し、可能性を見出す」などと格好いい肩書きを並べ立てられているけれど、平たく言えば、私は「常に別の何かを探している落ち着きのない人間」に過ぎない。
ある日、友人たちとの旅行計画を任された時のことだ。
旅行の計画を立てるという行為は、私にとって無限の可能性という名の地獄の入り口なのだ。
スマホの画面には、旅先の美味しそうなレストラン、隠れ家的なカフェ、キレイな美術館、そして「一生に一度は見たい絶景」という甘い言葉が踊る検索結果が、これでもかとばかりに並んでいる。
私はといえば、それらをすべて実現したいという強欲な衝動を抑えられない。
「ここも行きたいし、こっちの宿も捨てがたい」とタブを開きすぎて、指先が少し痙攣しそうになる。
この「可能性を全部詰め込みたい」という熱量は、最初は情熱として美しく見えるけれど、時が経つにつれてただの「自己満足の暴走」へと変貌を遂げるのだ。
私は、目的地までの経路を調べるよりも先に、旅先で着る服を想像し、夜のバーで誰とどんな深い話をしようかと妄想を膨らませる。
計画を立てているはずなのに、実際には目の前のタスクから逃避して、未来の自分という名の他人に期待を押し付けているだけのような気もしてくる。
この、どこまでも広がっていく空想の翼こそがENFPの長所であり、同時に、現実のスケジュールという地表に降り立つことを拒絶する最大の短所なのだろう。
結局、私は旅のしおりを作るフリをして、自分だけの妄想旅行を完結させてしまい、肝心の実務が疎かになるという、なんとも間抜けな事態を繰り返している。
それでも私は、この計画の段階で感じる高揚感をどうしても手放すことができない。
第二章 スケジュール帳の断末魔
私の作成する旅程表は、もはやスケジュールの体を成していない。
それは緻密な計算の上に成り立つ「旅のしおり」ではなく、欲望を羅列した「願い事リスト」だからだ。
「朝九時に集合、十時に〇〇で朝食、十一時に絶景スポット、十二時半に地元の名店でランチ」なんていう、几帳面な人間が作るような完璧な時間割は、私の中には存在しない。
なぜなら、旅先で偶然見つけた古い建物や、ふと耳に入った心地よいジャズの音色に、私は抗えないからだ。
「ここに入ったら、面白いことが待っているかもしれない」という予感は、私を常に予定変更の泥沼へと引きずり込む。
ENFP的な思考の厄介なところは、どんな小さな道草にも「人生を変えるような素晴らしい何か」が隠されていると信じて疑わない点にある。
結果として、友人たちは私の適当な案内に振り回され、駅の階段を駆け上がり、予約していた店を直前でキャンセルし、予定していた絶景スポットを夕暮れ時に慌ただしく眺めることになる。
その時の、友人たちの「またか」という、呆れと諦めが入り混じった苦笑いを眺めるのが、私は案外嫌いではない。
もちろん申し訳ない気持ちはあるし、もっと計画的に動けば全員が笑顔でいられたはずだという自責の念も頭の片隅にはある。
でも、予定調和の旅なんて、果たして面白いのだろうか。
あらかじめ決まったレールの上を走るだけの人生のような旅に、心からワクワクできるだろうか。
そんな風に正当化しようとすればするほど、自分の中の「責任感」という名の薄氷がミシミシと音を立てて割れていくのを感じる。
「君のそういうところ、本当に迷惑だけど、まあ飽きないよね」と言ってくれる友人の言葉を、私は免罪符にして今日もまた、架空の旅程を書き換えていく。
この、無秩序に対する罪悪感と、それを覆い隠すための開き直りの狭間で、私はいつもふらふらと揺れ続けているのだ。
第三章 迷子のままでいい夜
結局のところ、旅行というものは何のためにあるのだろうか。
目的を達成するためか、それとも自分を再発見するためか、そんな小難しいことを考える余裕すら最近はなくなってきた。
先日の旅でも、私は盛大に迷子になった。
地図アプリのピンを頼りに歩いていたはずが、気づけば見知らぬ住宅街で、誰かの夕飯の匂いを嗅ぎながら立ち尽くしていた。
手にはぬるくなった缶コーヒーと、結局一度も開かなかった観光ガイドブック。
友人たちは別の通りで私を待っているはずだ。
焦りがないと言えば嘘になるが、同時に胸の奥で小さな灯がともるような感覚もあった。
「ああ、やっぱり私は迷子になる運命なんだ」という、どうしようもない自分の特性に対する諦念と、どこかそれを楽しんでいる自分自身への軽蔑が、不思議と心地よく混ざり合う。
もし私が完璧な計画を遂行できる人間だったら、この静かな夕暮れの匂いや、街灯がともり始めた瞬間の寂寥感には気づけなかっただろう。
計画通りに進まないこと、予定を台無しにすること、そしてその果てで誰かに迷惑をかけてしまうこと。
それらすべてが、私という人間の輪郭を形作っているのではないだろうか。
もちろん、これからの人生で多少は学習して、もう少しだけ周囲に配慮した計画を立てられるようになりたいとは思う。
でも、心のどこかで「完璧に遂行してしまったら、私の価値が消えてしまう」という恐れも抱いている。
私はこれからも、広い世界に可能性を見出し、大風呂敷を広げ、そして最後には地図を逆さまにして立ち尽くすのだろう。
それが私の生き方であり、私という「運動家」の、どうしようもなく愛おしい、そして迷惑極まりない旅のスタイルなのだと思う。
次に旅に行くときは、せめてモバイルバッテリーくらいは持っていこうと、今はただ、窓の外に広がる何でもない景色を眺めながら、そんなささやかな決意だけを胸に抱いている。
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