【MBTI(擁護者)】旅の栞と、崩れ落ちた理想の城。
第一章 エクセルに潜む執念
私のノートパソコンには、常に過剰なまでの情熱が詰め込まれたエクセルファイルが存在している。
「〇〇旅行・詳細計画表」という無機質な名前がついたそのシートには、出発時刻から逆算した分単位のスケジュールがびっしりと書き込まれているのだ。
ISFJ、いわゆる「擁護者」タイプと呼ばれる私は、どうやら根っからの世話焼き体質らしい。
友人との旅行が決まれば、まず手始めにやることは、全員の好みをヒアリングすることだ。
誰が辛いものが苦手で、誰が朝は極端に弱いのか。
そんな細かいデータをつぶさに収集し、パズルのピースを埋めるように工程を組み立てていく作業に、妙な悦びを感じてしまう。
カフェの湿ったコースターを指でなぞりながら、頭の中ではすでに、全員が笑顔で満足そうに食事をしている完璧な未来図が描かれているのだから始末が悪い。
この細やかな配慮こそが私のアイデンティティだと信じて疑わなかったし、周囲に「計画ありがとう、助かるよ」と言われるたびに、心の奥底で小さなガッツポーズをしていた。
けれど、この献身にはどうも毒が含まれているようなのだ。
私は、私が描いた筋書き通りに物事が進まないと、途端に居心地の悪さを感じてしまうという業を背負っている。
予定していた店がたまたま定休日だったり、天候が悪化して目的地を変更しなければならなかったりするだけで、私の心はまるで張り詰めた糸が切れたかのように音を立てて萎んでいく。
「いいよいいよ、適当で」という友人の寛大な言葉が、かえって自分の計画を無価値にされたようで突き刺さることもあるのだ。
完璧を目指すあまり、自分自身がその完璧さの囚人になっているのではないかという疑念が、ふと頭をよぎる。
計画を立てている時の私は、誰かのために尽くしているつもりが、結局のところ自分の思い通りに世界をコントロールしたいだけのエゴイストなのかもしれない。
そんなことを考えると、画面上のカラフルな工程表が急にモノクロに見えてくるのだ。
第二章 名もなき路地の魅力と、崩壊の美学
先月の温泉旅行でのことだ。
私は綿密に調査した観光ルートを握りしめ、先頭に立って歩いていた。
だが、ふと狭い路地から漂ってきた、香ばしい醤油の匂いに足を止めた友人が「ここ、入ってみない?」と提案してきた。
私の計画には、その路地の店など影も形もない。
本来の私なら、「いや、そこに行くと予約している夕食の時間に遅れるから」と却下するところだ。
しかし、その日はなぜか足が動かなかった。
店の軒先には赤提灯が揺れていて、そこから漏れ出る会話の断片が、あまりにも楽しそうだったからだ。
私は震える指でスマホの時計を睨み、葛藤の末に「……いいよ、少しだけなら」と口走った。
そうして飛び込んだ店には、観光ガイドには載っていないような、とびきり無骨で旨い煮込み料理が待っていた。
予想外の展開だった。
計画を遂行することに固執していた私は、この予期せぬ「寄り道」という幸福を、これまでどれだけ見落としてきたのだろうかと愕然とする。
忠実であることは美徳だが、それは同時に、新しい風を拒絶する鎧でもあったのかもしれない。
計画通りに物事が進む「安定感」は心地よい麻薬だ。
トラブルがないことは確かに平和だが、その代償として私たちは、偶然が生み出す煌めきを捨てているのではないか。
予定調和な旅の中に安らぎを見出す一方で、予定が崩壊した瞬間にこそ、本当の旅が始まるのではないかという矛盾した考えが頭の中を駆け巡る。
完璧な栞を作ることと、それをあえてくしゃくしゃに丸める勇気。
そのどちらもが愛おしく、どちらもが不完全なのだと感じる。
第三章 揺れ動く擁護者の処方箋
結局のところ、私はどうありたいのかと自問する。
誰かを支えたい、スムーズに旅を進行させたいという願いは嘘ではないし、そのために奔走する自分のことは嫌いではない。
ただ、その「安定感」という名の手綱を、もう少し緩めてもいいのではないかと今は思っている。
最近の私は、計画表の最後に必ず「余白」を作るようにしている。
あえて時間を空けておく、あるいは「何も決めない時間」という項目をわざと書き込むのだ。
もちろん、何も決まっていないという状態自体が不安でたまらない自分もいる。
予定が空白であることへの恐怖は、一種の禁断症状のように背中を這い上がる。
それでも、その空白の時間にふと立ち寄った雑貨屋で素敵な箸置きを見つけたり、夕暮れの空の色に全員で息を呑んだりする瞬間は、緻密に練ったスケジュールよりもずっと心に深く刻まれるものだ。
私の献身性は、相手を縛り付けるための道具ではなく、ただの安心材料に過ぎないと思い直す必要がある。
相手が求めているのは、完璧な工程表ではなく、横に並んで一緒に歩く私の存在そのものかもしれないのだから。
完璧主義という名の自己満足を捨て去り、多少のズレやハプニングさえも「旅のスパイス」と笑い飛ばせるような、そんな余裕のある人間になりたいと切に願う。
もちろん、次回の旅行でも性懲りもなくエクセルを開き、時刻表を眺めている自分の姿が容易に想像できるのだけれど。
それでも、その端っこに「ハプニング歓迎」という一行を書き添えるくらいの遊び心は持っていたい気がする。
不器用な擁護者の旅は、これからもきっと、計画と脱線の狭間で揺れ動きながら続いていくのだろう。
それはそれで、人間らしくて悪くないのではないかと思っている。
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