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『ヨーロッパ新世紀』(2022)を観て

クリスティアン・ムンジウ監督の『ヨーロッパ新世紀』(2022)を観た。

移民問題を描いた社会派作品なのだが、画面のタッチや描き方は、どこか寓話的で、東欧の秘境・トランシルヴァニアの景色が寂しく美しい。

まず印象的だったのは、映画全体を覆う寂寥感だ。
冬の森、人気のない道、灰色の空、静かな村。どこを切り取っても美しいわけではないのに、不思議な魅力がある。まるでダークアンビエントのアルバムジャケットを眺めているような、冷たく不穏な風景が続く。

物語の舞台となるトランシルヴァニア地方は、多様な民族が暮らす地域だ。ルーマニア人、ハンガリー系住民、ドイツ系住民、そしてロマの人々。それぞれが複雑な歴史を背負いながら共存している。

またトランシルヴァニアは、ドラキュラ伝説のモデルとなったブラド公がオスマン帝国と激しく戦った辺境の地でもある。そうした歴史を背景に、この地域にはトルコ系民族やイスラム教に対する漠然とした恐れや不信感が受け継がれている。

映画の冒頭でルーマニア人の主人公はドイツに出稼ぎ労働者として羊の屠殺業者で働いているのだが、素行が悪く、サボってばかりいるため、「怠惰なジプシーめ」と侮辱され、激怒して相手を殴り、そのまま会社を辞める。

ここで使われる「ジプシー」という言葉は、現在ではロマ民族に対する差別的な呼称として受け取られることが多い。「怠け者」「働かない」「信用できない」といった偏見を含んだ言葉であり、単なる悪口以上の意味を持つ。

マティアス自身はロマではない。しかしドイツ人から見れば、彼もまた東欧からやって来た安価な外国人労働者の一人でしかない。つまり彼は差別される側の人間として物語に登場するのである。
終わりのない負の連鎖だ。

映画は、単純な善悪の物語にはならない。

故郷へ戻ったマティアスの村では、地元のパン工場が人手不足を補うためにスリランカ人労働者を雇い始める。すると今度は村人たちが彼らを激しく排斥し始める。

特に興味深かったのは、移民反対派の人々の言動である。

最初は

「彼らが手でこねて作ったパンなんか食べたくない」

といった、むき出しのヘイトを口にしている。しかし議論が進むにつれ、彼らは徐々に

「彼らはこの地域には存在しないウィルスを持ち込むかもしれない」

「衛生面に問題がある」

といった、一見すると合理的に聞こえる主張を始める。

もちろん、それらの多くは根拠の乏しいエセ科学に過ぎない。

その変化こそが非常にリアルだった。

人は単なる憎悪だけでは他人を説得できない。だから偏見や恐怖を、“もっともらしい理屈”で包み始める。歴史上の差別や排外主義もまた、しばしば「科学」や「衛生」や「安全保障」の言葉をまとって現れてきた。

『ヨーロッパ新世紀』の恐ろしさは、差別する者を怪物として描かないところにある。

登場人物たちは皆、ごく普通の人々だ。生活があり、不安があり、家族がいる。その不安が積み重なった結果として、「よそ者」への敵意が生まれる。

彼らは彼らで生活が苦しい。
ルーマニアも最低賃金が低く、働いても働いても報われない。なので働く気すら失われる。そして働き手が少ないので労働力を補う為に外国人を受け入れざるを得ない。

しかしそうなると「外国人に仕事を奪われた!」と声が上がる状況は、まさに今日本やヨーロッパ各地、アメリカでも起きている事と全く同じだ。

現実的な社会問題をドキュメンタリー的な撮り方も交えながら、どこか悪い夢のような幻想的な質感が常に漂う。静かなのに息苦しく、不気味なのに目を離せない。

社会派であり芸術的でもありギリギリ娯楽映画としても成立している傑作。

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