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学歴、家柄、血筋

今の民放地上波が堕落していると思う要素はいろいろあるが、特に気になるのが権威やブランドに対する「へりくだり」だ。東大や京大、早稲田慶應などの大学出の芸能人、芸人をその演技力や、芸の力ではなく「学歴」で紹介し、ほめそやす。「〇〇大出のタレント、芸人」という肩書で、その人物を紹介するのは、それだけで視聴者の目の色が変わるからだ。

社会の学歴コンプレックス

「芸能人やタレント、芸人なんて、勉強なんか関係ない。馬鹿でも務まるのに、難しい勉強しないと入れない大学を出ているなんてすごい」というゆがんだリスペクトの感情が入ってくるのだ。
そこには芸能人、芸人を下に見る差別意識と、学歴コンプレックスがないまぜになっている。
誰でも世の中に出れば悟ると思うが、学歴がものをいうのは、組織の中だけ。それもせいぜい30歳くらいまでだ。
あとは、実社会でどれだけ経験を積んでスキルを磨いたかで会社や社会の評価が決まってくる。
もちろん官僚のように学歴や、どういうキャリアで入ったかが、かなり後までモノをいう社会もある。そのまま年を取って、天下りで碌に仕事もしないままに老年に至る人もいるだろうが、ほとんどの社会では、入社後の「仕事ぶり」で出世が決まるのだ。
この手の「学歴」をひけらかす芸人が出る番組は、社会の学歴コンプレックス、とりわけ大学に行けなかった人々の劣等感を刺激するのだろう。
特に「高学歴」を売り物にする芸人、芸能人が出演する「クイズ番組」、どうでもいい知識をひけらかすくだらない番組だが、あれをみて「さすがだ」などという人も多いのだろう。
ロザンの宇治原史規は、鋭いツッコミが持ち味の漫才師だったが、今や「クイズ芸人」であり、人の学歴を聞いて「まあまあやな」というのがウリになっている。なまじ学歴があったために、それしかないつまらない芸人になったと思う。
昔は、芸能人に学歴を聞くのははばかられる雰囲気があった。小卒、中卒で苦労して立派な俳優になった人もいたし「芸能人に学歴なんて関係ない」という矜持を持ったひともたくさんいたからだ。

親ガチャの時代に

もう一つ、いい家柄、名門の家系をありがたがる番組も多い。小泉孝太郎、石原良純など「いいとこの家」出身の芸能人がもてはやされる。こうした芸能人は親の代から世間が知っている。持って生まれた品の良さ、格好良さを世間はありがたがるわけだ。「高学歴」がついてまわることも多い。
彼らは、普通の人が絶対に通る「無名から這い上がる苦労」を知らない。生まれたときから特別待遇で、デビューした時から「有名人」だ。
もちろん「親の七光り」を背負う苦労はなくはない。なまじ親や家庭が知られている分、何をしても「最初から下駄をはかせてもらっている」と思われる。その苦労はあるにしても、下駄をはく有利は隠しようがない。
「親ガチャ」という言葉がある通り、世間は生まれたときからの「不公平」だ。良い家柄、資産家の家に生まれた子供とそうでない子供では、あらゆる環境に違いが出る。人々の権利はすべからく「平等」という前提にある民主主義社会では、それは「社会矛盾」であるはずだが、それを否定することなく番組にしてしまう放送局の「俗物根性」にかなり嫌気がさす。

プロ野球と芸能界

野球界にも「学歴」は厳然として存在する。特に大学。「東京六大学」出身者は彼ら自身がエリート意識を持っているし、同期、同窓、同門などのエリート意識は強い。最近は「野球」だけでなく「勉強」もできないと入学、卒業できない大学の選手が、プロに行くようになっている。
しかしプロ野球の世界では、どんな名門大学の出身だろうが、ひとたび球団に入ってしまえば、あとは「競争」の世界だ。聞いたこともないような大学の選手、高卒の選手に負けることも当然あるし、育成枠から這い上がった選手に後れを取ることもある。
このあたり、痛快なことではないかと思う。
長嶋茂雄の長男の長嶋一茂は、親と同じ立教大学からドラフト1位でヤクルトに入ったが、素質の片りんは見せたものの、レギュラーにはなれなかった。そしてプロ野球を引退後、芸能界にも威光が轟いている父親の「七光り」で、芸能界にデビューした。
もちろんそれからはずいぶん苦労したし、その中でいろんな経験を積んで人間的な魅力あるタレントになっていったが、「実力社会」のスポーツ界と、「親の威光」で世渡りすることが可能な芸能界の「違い」を端無くも物語っている。

東大卒の宮台康平、日ハム時代。司法試験に合格した

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