「ががくの調べはメソポタミア、ピタゴラス」02
第二章 437ヘルツの記憶
—音律は、資本に征服されなかった—
"437"
これはヘルツの音波数です。
音の振動数。一秒間に437回、空気が揺れる。それが雅楽の基準音、黄鐘(おうしき)を基準とした周波数値です。
三千年前の律管
中国、殷から周の時代。今から三千年前。
一本の管を吹いた。円周九分、長さ九寸の律管。その音を黄鐘と決めた。そこから一オクターブを十二の音に分けた。十二律音階の誕生です。
その時の周波数が正確に何ヘルツだったか、記録はありません。しかし音楽学者の伊庭孝が『日本音楽概論』で示したデータがある。アジア各地に伝わる民族音楽の基準音を実測すると、437ヘルツの上下一から二ヘルツの範囲に収まる。人間の聴覚でこの差は無いに等しい。
三千年間、437ヘルツは動いていなかった。
1875年、ロンドン博覧会の証言
宮内省雅楽部が音叉を作り、イギリスの博覧会に出品した。音響学者エリスがその振動数を測定した。結果、雅楽の基準音は西洋の国際標準音A=435ヘルツに近似していた。
ここで重要なのは、近似していた、という事実です。
日本の雅楽と、西洋の音律が、独立した経路を辿りながら、ほぼ同じ場所に辿り着いていた。メソポタミアで分かれた二本の川が、三千年後に同じ海へ注いでいた。
なぜ437ヘルツは生き残ったのか
現代の国際標準はA=440ヘルツです。1939年に国際会議で決定された。それ以前の435から、わずか五ヘルツ上がった。
この五ヘルツの移動に、資本の論理が働いていたという議論があります。弦楽器が440に合わせると、音が明るく、遠くへ飛ぶ。コンサートホールの後列まで届く。興行として有利です。
しかしアジアの民族音楽は、その決定の圏外にいた。資本市場の論理が届かない場所で、伝統は437ヘルツを守り続けた。
学者 伊庭孝はそれを「日常生活に密着した普遍的価値観に支えられた伝統」と呼んでいます。
征服されなかったのではない。届かなかったのです。そしてその届かなかった場所にこそ、三千年の記憶が残った。
四天王寺の鐘
1330年、吉田兼好は『徒然草』にこう書いています。天王寺の鐘の音は黄鐘調である。その一音を基準として、すべての音を整えた、と。
612年に百済から伎楽が渡来して、七百年後に兼好がそれを書いた。そして今も四月二十二日、聖霊会の舞楽は続いています。
鐘は同じ音を鳴らし続けている。
伊庭孝の予言と危機
1928年、伊庭孝は書いた。(日本音楽概論)
「日本音楽という言葉は、今日以後は新しい意味を帯びて、次第に内容が変じて来るであろう」と。西洋と東洋の音楽がクロスオーバーすることを予告した。
同時に彼は警告した。音楽大学を卒業しても日本音楽を学ばないまま教壇に立つ教師たちのことを。昭和初期にすでに、その危機を見ていた。
その危惧は、何も解決されないまま今日に至っています。
しかし音は覚えている
玉置浩二の歌が海外の若者に届く。彼らは伊庭孝を知らない。黄鐘を知らない。十二律音階を知らない。
それでも身体が反応する。
なぜか。
玉置の声の底に、ビートルズがいる。ビートルズの底に、ピタゴラスがいる。ピタゴラスの底に、メソポタミアがいる。そしてその同じ底に、437ヘルツで鳴り続ける四天王寺の鐘がいる。
音楽理論は忘れられる。制度は変わる。資本は音律を五ヘルツ動かした。
しかし身体は、覚えている。
それが第二章の、結論です。
今、私たちが使う国際標準音はA=440ヘルツです。コンサートホールも、ピアノも、ギターも、440に合わせる。では437と440の差は何か。人間の耳には、ほぼ聞こえない差です。しかし数字の背後に、途方もない歴史が埋まっています。
三千年前の律管
中国、殷から周の時代。今から三千年前。
一本の管を吹いた。円周九分、長さ九寸の律管。その音を黄鐘と決めた。そこから一オクターブを十二の音に分けた。十二律音階の誕生です。
その時の周波数が正確に何ヘルツだったか、記録はありません。しかし音楽学者の伊庭孝が『日本音楽概論』で示したデータがある。アジア各地に伝わる民族音楽の基準音を実測すると、437ヘルツの上下一から二ヘルツの範囲に収まる。人間の聴覚でこの差は無いに等しい。
三千年間、437ヘルツは動いていなかった。
1875年、ロンドン博覧会の証言
宮内省雅楽部が音叉を作り、イギリスの博覧会に出品した。音響学者エリスがその振動数を測定した。結果、雅楽の基準音は西洋の国際標準音A=435ヘルツに近似していた。
ここで重要なのは、近似していた、という事実です。
日本の雅楽と、西洋の音律が、独立した経路を辿りながら、ほぼ同じ場所に辿り着いていた。メソポタミアで分かれた二本の川が、三千年後に同じ海へ注いでいた。
なぜ437ヘルツは生き残ったのか
現代の国際標準はA=440ヘルツです。1939年に国際会議で決定された。それ以前の435から、わずか五ヘルツ上がった。
この五ヘルツの移動に、資本の論理が働いていたという議論があります。弦楽器が440に合わせると、音が明るく、遠くへ飛ぶ。コンサートホールの後列まで届く。興行として有利です。
しかしアジアの民族音楽は、その決定の圏外にいた。資本市場の論理が届かない場所で、伝統は437ヘルツを守り続けた。
伊庭孝はそれを「日常生活に密着した普遍的価値観に支えられた伝統」と呼んでいます。
征服されなかったのではない。届かなかったのです。そしてその届かなかった場所にこそ、三千年の記憶が残った。
四天王寺の鐘
1330年、吉田兼好は『徒然草』にこう書いています。
天王寺の鐘の音は黄鐘調である。その一音を基準として、すべての音を整えた、と。
612年に百済から伎楽が渡来して、七百年後に兼好がそれを書いた。そして今も四月二十二日、聖霊会の舞楽は続いています。
鐘は同じ音を鳴らし続けている。
伊庭孝の予言と危機
1928年、伊庭孝は書いた。
「日本音楽という言葉は、今日以後は新しい意味を帯びて、次第に内容が変じて来るであろう」と。西洋と東洋の音楽がクロスオーバーすることを予告した。
同時に彼は警告した。音楽大学を卒業しても日本音楽を学ばないまま教壇に立つ教師たちのことを。昭和初期にすでに、その危機を見ていた。
その危惧は、何も解決されないまま今日に至っています。
しかし音は覚えている
玉置浩二の歌が海外の若者に届く。彼らは伊庭孝を知らない。黄鐘を知らない。十二律音階を知らない。
それでも身体が反応する。
なぜか。玉置の声の底に、ビートルズがいる。ビートルズの底に、ピタゴラスがいる。ピタゴラスの底に、メソポタミアがいる。そしてその同じ底に、437ヘルツで鳴り続ける四天王寺の鐘がいる。
音楽理論は忘れられる。制度は変わる。資本は音律を五ヘルツ動かした。
しかし身体は、覚えている。
著作者 對馬格象 「ががくの調べはメソポタミア、ピタゴラス」03
~AI生成
