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遅延では説明できない話|不条理の心理学①


駅の階段を上りかけたところで、男はふと気づいた。

自分の前を歩いていたはずの人が、いない。

消えた、という感じではない。
見失ったのでもない。
むしろ最初から、誰もいなかったのではないか、という訂正が、現実のほうから静かに差し出される。

それでも、足音の記憶だけが残っていた。

コツ、コツ、と。
ひどく規則正しい、こちらの判断よりも先に届いていた音だけが。

その駅には、切符を通す機械がなかった。

代わりに、改札の脇へ小さな紙が貼られている。

「通過してください」

男はしばらく、その文を見ていた。

通過、とは何だろう、と考える。
入場でも、通行でもなく、通過。
そこには、選ぶ者の気配が最初から含まれていないように思えた。

ここから先の記憶には、奇妙な遅れがある。
自分で判断していたはずなのに、その感覚だけが、あとから静かに追いついてくるのだ。

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なぜ「普通の出来事」が時々異様に感じられるのかが整理される

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