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断捨離の時代に、私は石を一個増やした

断捨離がマイブームである。
いらないものを捨てる。
使わないものを手放す。
身の回りを軽くする。

毎日、家の中を少しずつ整理している。

ところが今日、私は新しいものを「一個」増やした。

石である。

庭で拾った、なんてことのない石。

珍しい鉱物でもない。もちろん宝石でもない。
どこにでも転がっていそうな、地味な石だ。

それを、娘からもらったムーミンのミズイロのポーチに入れている。

子どものころ、大事なものを小さな空き缶にしまっていた。

きれいな小石だったり、形のいい貝殻だったり、傷ついたビー玉だったり。大人から見ればどうでもいいような「よくわからないもの」。

でも、子どもにとっては違う。

「これは大事」

という自分の気持ちだけが、それを宝物にする。

どうやら私は、ずいぶん大人になった今も、その習性を捨てていなかったらしい。

断捨離をしているはずなのに、また、けったいなものを増やしている。

ところが、その石をよく見ると、光っているのだ。

いつも、ほんの小さな一部分だけが、きらりと光を反射している。

角度を変えると、光が少し強くなる。

最初は気のせいかと思った。

でも、何度見ても光る。

石そのものが発光しているわけではない。

きっと、内部にある小さな結晶か何かが、太陽や部屋の光を拾って、こちらに返してくれているのだろう。

それを見ていると、ふと不思議な気持ちになる。

人間も、少し似ているのかもしれない。

ずっと強く輝き続ける必要なんてない。
いつも誰かに見つめられている必要もない。

社会の中で仕事をして、役割を果たして、人と関わっている時間だけが、自分のすべてではないはずだ。

これから先、世の中から少しずつフェードアウトしていくとしても、それは「世界からの孤立」ではないのだと思う。

庭には石がある。
猫がいる。
風が吹き、雨が降る。

そして、ときどき石が強く光る。

私はそれを見て、「今日も光っているな」と思う。

それだけで、十分な気がする。

すべてを手放してしまったら、私は何を見て「ああ、これ好きだったな」と愛おしめばいいのだろう。

役に立たないもの。
人にはうまく説明できないもの。
誰かから見れば、ただのけったいなもの。

それが個性かもしれない。

今日も、部屋を掃除した。

洗濯をして、風呂を洗った。

そして、庭で拾った石をながめて、ムーミンのポーチに入れた。

これから、『キングダム』を観に行く。

帰ってきたら、またあの石を眺めるだろう。

世界と自分をつなぐ接続端子にしては、ずいぶん地味で、小さな石だ。

けれど、光っている。

静かに。

そして、ときどき、少しだけ強く。

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