断捨離の時代に、私は石を一個増やした
断捨離がマイブームである。
いらないものを捨てる。
使わないものを手放す。
身の回りを軽くする。
毎日、家の中を少しずつ整理している。
ところが今日、私は新しいものを「一個」増やした。
石である。
庭で拾った、なんてことのない石。
珍しい鉱物でもない。もちろん宝石でもない。
どこにでも転がっていそうな、地味な石だ。
それを、娘からもらったムーミンのミズイロのポーチに入れている。
◇
子どものころ、大事なものを小さな空き缶にしまっていた。
きれいな小石だったり、形のいい貝殻だったり、傷ついたビー玉だったり。大人から見ればどうでもいいような「よくわからないもの」。
でも、子どもにとっては違う。
「これは大事」
という自分の気持ちだけが、それを宝物にする。
どうやら私は、ずいぶん大人になった今も、その習性を捨てていなかったらしい。
断捨離をしているはずなのに、また、けったいなものを増やしている。
◇
ところが、その石をよく見ると、光っているのだ。
いつも、ほんの小さな一部分だけが、きらりと光を反射している。
角度を変えると、光が少し強くなる。
最初は気のせいかと思った。
でも、何度見ても光る。
石そのものが発光しているわけではない。
きっと、内部にある小さな結晶か何かが、太陽や部屋の光を拾って、こちらに返してくれているのだろう。
それを見ていると、ふと不思議な気持ちになる。
人間も、少し似ているのかもしれない。
ずっと強く輝き続ける必要なんてない。
いつも誰かに見つめられている必要もない。
社会の中で仕事をして、役割を果たして、人と関わっている時間だけが、自分のすべてではないはずだ。
これから先、世の中から少しずつフェードアウトしていくとしても、それは「世界からの孤立」ではないのだと思う。
庭には石がある。
猫がいる。
風が吹き、雨が降る。
そして、ときどき石が強く光る。
私はそれを見て、「今日も光っているな」と思う。
それだけで、十分な気がする。
◇
すべてを手放してしまったら、私は何を見て「ああ、これ好きだったな」と愛おしめばいいのだろう。
役に立たないもの。
人にはうまく説明できないもの。
誰かから見れば、ただのけったいなもの。
それが個性かもしれない。
◇
今日も、部屋を掃除した。
洗濯をして、風呂を洗った。
そして、庭で拾った石をながめて、ムーミンのポーチに入れた。
これから、『キングダム』を観に行く。
帰ってきたら、またあの石を眺めるだろう。
世界と自分をつなぐ接続端子にしては、ずいぶん地味で、小さな石だ。
けれど、光っている。
静かに。
そして、ときどき、少しだけ強く。
