1年前の私が、今日の記事を読みに来た
公開ボタンを押した。
ステータス 公開 372。
画面が切り替わる。
投稿完了。
いつもの表示。
閲覧数、0。
スキ、0。
コメント、0。
一年前と変わらない。
一年も書いたのに、結局やることは同じだ。
記事を書いて、公開して、閉じて、溜息をつく。
数字は増えた。
読者も増えた。
有料記事も、有料マガジンも出した。
それでも公開直後だけは、何も起きていない世界に戻る。
画面を閉じようとしたとき、通知が一件届いた。
「この記事、読みました」
時刻を見る。
2025年6月24日。
そんなはずはない。
開く。
アカウント名は存在しない。
本文は短かった。
「続いていますね」
それだけだった。
過去記事を開く。
一年前の、最初の記事。
コメント欄に返信が増えている。
投稿時刻。
2026年6月24日。
本文。
「まだ書いています」
昨日の記事。
先週の記事。
半年前の記事。
全部、一件だけコメントがついていた。
投稿者は同じ。
名前はない。
本文だけ同じだった。
「続いていますね」
一年書いたのだと思っていた。
違ったのかもしれない。
毎日、別の誰かが引き継いでいただけで、私は毎回、その日の最初の投稿者だったのかもしれない。
それでも。
投稿ボタンの位置だけは、一年前から変わっていなかった。
だから今日も押した。
少なくとも、その瞬間だけは、同じ人間だった。
最近、自分が変わったと思うことが一つだけある。
ネタを探すようになった。
マンションの玄関を通るたび、前は通路だった場所を見るようになった。
軒下に、毎年燕が巣を作る。
今年も来た。
毎年三羽くらい、嘴の黄色い燕を見る。
ある年、巣の下に紙が置かれていた。
ひなが一羽落ちていた。
住人が巣に戻した。
ちゃんと育ちました。
それだけ書いてあった。
少し安心した。
毎年見ていると、不思議になる。
あの燕は去年の燕なのだろうか。
去年ここで黄色い嘴を開けていた子は、どこへ行ったのだろう。
同じ巣に見える。
でも、住んでいる鳥は違うのかもしれない。
毎年戻ってくる。
でも、同じではない。
一年noteを書いた。
同じ画面を見ている。
同じ場所に投稿している。
それなのに、本を読むようになった。
空を見るようになった。
猫を見る時間が増えた。
燕の巣を気にするようになった。
世界は前からそこにあった。
変わったのは、私のほうだった。
変わるというのは、別人になることではないのかもしれない。
同じ場所へ戻ってきて、
去年は見えなかったものが、
今年は少し見えるようになる。
そんな変わり方もあるのかもしれない。
