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仕事が嫌いになったのではなかった。


自動販売機の横で、ドリンクを飲んでいた。

あの頃の私は、絶好調だった。

広告営業をしていた。

仕事を取ってきて、キャッチを考える。
ボディーコピーを書く。
また走る。

忙しかった。

でも、面白かった。

自分で仕事を取ってくる。
考える。
作る。
相手に見せる。

うまくいけば、また次の仕事が来る。

仕事をして、お金をもらった。

回転テーブルの中華を、みんなで食べた。
クルーズ船にも、みんなで乗った。

仕事は、知らない場所や、知らない人や、知らない経験を連れてきてくれた。

だから、仕事が嫌いだったわけではない。

ただ、何度か思った。

もう、仕事を請け負うのはしんどいな。

仕事を取ってくるところまではいい。

そのあと、全部を自分で抱える。

キャッチを考えて、ボディーを書いて、直して、確認して、納める。

その繰り返しが、だんだん重くなっていった。


子どもが小さい頃は、家にいることも楽しかった。

公園に行った。

子どもの姿を追った。

転ばないか見て、どこへ行くのか見て、また追いかける。

ママ友もできた。

それは、それで幸せだった。

でも、あるときふと思った。

これが永遠に続くとしたら、私はどうするんだろう。

そう思ったとき、私は仕事を選んだ。


それから、ずいぶん時間が経った。

仕事との関係も変わってきた。

今は、昔のように走っていない。

朝、公園を歩く。

子どもの姿を追わない公園だ。

誰かが走っている。
犬が歩いている。
木が揺れている。

私は、自分の歩く速度で歩いている。

たまに、プールに行く。

そして、仕事をする。

以前なら、仕事のために走っていた。

今は、ゆっくり歩いてから仕事をする。

不思議なことに、そのほうが仕事を考える。


最近、仕事でAIを使うようになった。

専門家と話す。
試してみる。
うまくいかないところを直す。

Webサイトを作る。
文章を書く。
発信する。
サーチコンソールを見る。

すると、また疑問が出てくる。

調べる。
試す。
また数字を見る。

そんなことをしていると、朝から仕事のことを調べている自分がいる。

「あれ?」

と思う。

仕事を請け負うのが、あんなにしんどかったのに。

また、仕事が面白くなっている。


たぶん私は、仕事が嫌いだったわけではなかった。

仕事と人生を、ひとつにしすぎていたのだと思う。

仕事だけをしていると、仕事は重くなる。

仕事を離れれば、自由になると思っていた。

でも、そうでもなかった。

もし、今、仕事が重いと感じているなら。

もしかしたら、それは仕事のせいではなく、抱え方のせいかもしれない。

公園を歩く。
プールに行く。
おいしいものを食べる。
人と話す。

そして、仕事をする。

仕事が人生の全部ではない。

けれど、人生の中に仕事があることも、悪くない。

自分で考える。
試してみる。
結果を見る。

また考える。

そんな仕事なら、今でも面白い。

走らなくても、仕事はできる。

そして、走らなくなったから見えるものもある。

仕事とは、面白いものだった。

私はずっと前から、うすうす感じていたのかもしれない。