6月2日『クィーン』 女王であることと、人間であること——ダイアナの死が暴いた君主制の本質
はじめに
女王であることと、人間であること——ダイアナの死が暴いた君主制の本質
6月2日は、1953年にエリザベス2世の戴冠式が行われた日です。
1953年6月2日、エリザベス女王2世はウェストミンスター寺院で正式に戴冠し、1000年の伝統に彩られた儀式の中で王位に就きました。何千人もの来賓が式典に参列し、数億人がラジオで耳を傾け、そして初めて生中継テレビで視聴しました。雨が降りしきる中、300万人がロンドンの街路に立ち、金色の馬車で行進する女王とフィリップ殿下の姿を一目見ようとしていました。
27歳の女王が王冠を戴いたその瞬間から、エリザベス2世は2022年の崩御まで70年間、イギリスという国の象徴として君臨し続けました。「女王であること」とはどういうことか——その問いに生涯をかけて向き合い続けた一人の人間の物語が、この映画に刻まれています。
この6月2日に観る作品として、スティーヴン・フリアーズ監督による2006年の映画『クィーン』(The Queen)をお薦めします。
本作は、1997年8月31日のダイアナ元妃の突然の死を受けて、王室と新首相トニー・ブレアが激しく葛藤した7日間を描いた政治ドラマです。王室はダイアナの死を「私的な問題」として扱い、公式な王室の死として扱わない方針を取りますが、トニー・ブレア首相とチャールズ皇太子は、国民が公式な哀悼の表明を求めていることを重視します。
ヘレン・ミレンがエリザベス2世を演じてアカデミー賞主演女優賞を受賞。Rotten Tomatoesで96%という圧倒的な評価を獲得し、「機知とユーモアと哀愁に満ちた、ダイアナ死後の王室の姿を描く感動的な肖像」と評されました。
基本情報・あらすじ
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監督: スティーヴン・フリアーズ
製作年: 2006年
上映時間: 103分
制作: パテ、Canal+、BBC Films
記念日: エリザベス2世戴冠記念日(6月2日)
予備知識
1997年のダイアナ事件とその衝撃
1997年8月31日、ダイアナ元妃がパリのアルマ橋トンネルで追いかけるパパラッチを避けようとした車の事故で死亡しました。享年36歳。「国民の王女」と呼ばれ、慈善活動で世界的に親しまれたダイアナの突然の死は、イギリス国内外で空前の悲嘆を引き起こしました。
1992年にチャールズ皇太子と別居し、1996年に離婚したダイアナは、技術的にはすでに王室の一員ではありませんでした。この「身分」の問題が、王室の対応を複雑にしました。
スティーヴン・フリアーズとピーター・モーガン
監督のスティーヴン・フリアーズは『マイ・ビューティフル・ランドレット』(1985年)、『プリック・アップ』(1987年)など、イギリス社会の階級と権力を描いてきた監督です。脚本のピーター・モーガンは、政治的な対立と人間の葛藤を対話劇として描くことを得意とし、後に『フロスト×ニクソン』(2008年)、ネットフリックスドラマ『ザ・クラウン』(2016年〜)を手がけることになります。モーガンにとってトニー・ブレアは繰り返し描く題材で、本作は2003年のテレビ映画『ザ・ディール』(The Deal、同じくフリアーズ監督・マイケル・シーン主演)に続くブレア三部作の第二作にあたります。三部作は後に『ザ・スペシャル・リレーションシップ』(2010年)で完結しました。
ヘレン・ミレンという選択
ヘレン・ミレンはエリザベス2世の役のために、声、姿勢、歩き方、表情の微細な動きまでを徹底的に研究しました。アカデミー賞授賞式のスピーチで「エリザベス2世に捧げる」と述べた彼女の言葉は、演じることへの敬意と愛情を伝えています。マイケル・シーンのトニー・ブレアも高く評価され、後に同じコンビで複数の作品に出演することになります。
君主制の変容という文脈
1953年の戴冠式は、テレビ中継によってイギリス全土の国民が初めて「王室を自分の目で見た」瞬間でした。それから44年後のダイアナ事件は、過熱するタブロイド報道と24時間メディアが生み出した大衆世論の圧力——現代のSNSによる炎上にも通じる構造——が王室の「沈黙の権利」を侵食した瞬間でもありました。6月2日という戴冠記念日に、この映画を観ることは、「王室とは何か」という問いを、始まりと危機の両方から問い直すことになります。
優れしている点
ヘレン・ミレンの「内側から演じる」演技
本作の圧倒的な中心は、ヘレン・ミレンの演技です。エリザベス2世という実在の人物を、同情も批判もせず、ただ内側から理解しようとする演技。「女王」という役割と「人間」という実体の間で引き裂かれている人物の内面が、表情と沈黙から伝わってきます。
特に、スコットランドの山中で牡鹿と目が合う場面のミレンの表情は、本作で最も語られる場面のひとつです。セリフがなく、ただ視線だけが交わされる——それでも観客には何かが伝わります。追い詰められ、大衆の視線という銃口に晒され続けたダイアナの運命と、孤立する女王自身の姿が重なる瞬間でもあります。
「正しさ」を問わない脚本
ピーター・モーガンの脚本の最大の強みは、女王を「冷酷な悪役」にも「誤解された英雄」にもしないことです。女王の沈黙には彼女なりの論理があり、ブレアの介入には彼なりの政治的計算があります。どちらが「正しい」のかを映画は決めません。
「誰かを正しいとすれば、誰かを間違いにしなければならない」——その二元論を意図的に避けた脚本が、本作に長く語り継がれる深みをもたらしています。
「私的な女王」と「公的な女王」の対比
映画が最も巧みに描くのは、バルモラル城での「普通の祖母」としてのエリザベスと、国家の象徴としての「女王」の間の緊張です。孫と犬を連れて野を歩く場面と、赤い書類箱を前に国政に向き合う場面——同じ人間がまったく異なるモードで存在する姿が、君主という役割の特異性を示しています。
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