ナポリタンを一皿動かした喫茶店
僕には、喫茶店を開きたいという夢があった。夢と呼ぶには現実的で、物件の家賃を調べ、客単価を想定し、一日に何杯のコーヒーを売れば生き延びられるのかまで計算した。
夢の入口に立ったはずなのに、僕の手にはいつの間にか電卓が握られていたのである。
僕が思い描いていたのは、木目のカウンターがある小さな店だった。店内にはジャズが流れ、僕は白いシャツに黒いエプロンをつけ、常連客へ「今日は酸味のある豆です」と静かにコーヒーを差し出す。必要以上にしゃべらない。注文を取るときも、カップを置くときも、動作には無駄がない。いわゆる渋いマスターである。
ところが、その渋いマスターは閉店後、帳簿を開いて青ざめていた。昼間は豆の産地を語っていたのに、夜になると原価率を見つめ「このままやと、ブラジルより先に店が沈む」と頭を抱える。
客が一人入ってくるたびに、心の中で「客単価八百五十円」と唱え、長居する客を見ながら、コーヒー一杯で二時間はKPI上いかがなものかと考える。僕の喫茶店は開店前から、ずいぶん嫌なコンサルタントに乗っ取られていた。
事業計画書を作ってみると、夢は数字に翻訳された。家賃、光熱費、材料費、設備費。コーヒーカップ一客にも値段があり、店内に飾る観葉植物でさえ減価償却の対象に見えてきた。僕が欲しかったのは穏やかな午後のはずなのに、Excelのセルが規則正しく増えていく。
僕の喫茶店は、オープン前に閉店した。事業計画書の中で赤字になり、商店街から静かに撤退したのである。開業期間はおよそ二週間。来客数はゼロ。廃業理由は収益性の低さであった。
そんな経験があるからこそ、朝霞はじめさんの作品を読んだとき、面食らった。
そこには、朝早く起きてパンを焼き、軽食を仕込み、店を掃除する暮らしが描かれていた。営業時間は朝七時から夕方五時まで。看板メニューは旦那さまに褒められたナポリタン。家事を終えた人が休み、そろそろ夕飯を作ろうかと腰を上げる頃に店を閉じる。パンも軽食も、たくさん作らない。自分が無理なく丁寧に提供できる分を用意する。
僕は読みながら、いつ家賃の話が出てくるのだろうと思っていた。しかし、最後まで出てこなかった。
代わりに出てきたのは、仕事帰りに顔を出す夫や、学校帰りに店へ寄る子どもだった。僕は、途中から資料をめくる手を止めていた。顧客獲得単価を計算しようにも、花屋さんは顔見知りとして登場する。リピーター施策を提案しようにも、常連客はすでに子どもの宿題を見ている。クロスセルを狙おうにも、オレンジジュース一杯までと決まっている。
はじめさんの喫茶店は、売上を最大化する気配がなかった。その代わり、暮らしを小さく循環させようとする気配があった。
僕は恥ずかしくなった。僕が求めていたのは、喫茶店ではなく、渋いマスターという役職だったのではないか。カウンターの奥でコーヒーを淹れ、世間を知っていそうな顔で黙っている自分を採用したかっただけである。
はじめさんの喫茶店には、店主として格好よく見られたいという企画書がなかった。そこにあったのは、どんな人と顔を合わせ、どんな時間に店を閉め、家族と何を話しながら夕飯を食べたいのかという、暮らしの設計図である。
事業計画書を作った僕は、喫茶店をどうやって存続させるかを考えた。はじめさんは、喫茶店のある人生をどうやって過ごしたいかを考えていた。
似たような話に見えるが、経営会議にかければ議題が違う。僕の議題は「この店でいくら稼げるか」であり、はじめさんの議題は「この店で誰と過ごしたいか」である。
このエッセイを読み終えたあと、僕は事業計画書を作ったときには考えなかったことを考えていた。
僕は喫茶店で、誰を待ちたかったのだろう。
近所の人だろうか。仕事帰りの会社員だろうか。学校帰りの子どもだろうか。それとも、特に用事はないけれど、家へ帰る前にちょっと顔を出したい誰かだろうか。
利益の計算をしていた頃の僕は、客を人数で見ていた。けれど、本当は人数ではなく、顔を思い浮かべるべきだった。数字は店を続けるためには必要だ。でも、数字だけでは店へ行きたくなる理由にはならない。
だから最後に出てきた「旦那定食」という裏メニューが、とても好きだった。
利益なんて度外視で「それ楽しそうだからやろう」という夫婦の会話で、もうその店へ行きたくなってしまう。経営コンサルタントなら頭を抱えるだろうが、お客さんは案外そういう店を好きになる。僕もその店の隅に座り、余計な経営助言をせず、裏メニューが運ばれてくるのを待っている。
作品を読んで人生が大きく変わったわけではない。僕は喫茶店を開いていないし、事業計画書を作り直してもいない。渋いマスターになる夢も、完全には捨てていない。
ただ、その日の夜、僕はナポリタンを食べた。
僕の喫茶店計画が生み出した最初の売上はゼロだったが、はじめさんの喫茶店は、開店前からナポリタンを一皿動かしたのである。
