伝説の焼肉屋、鹿浜スタミナ苑
雑誌致知の記事がありましたのでシェアします。
「皆に平等に焼肉を楽しんで貰いたい」という想いで、予約は受け付けず、元安倍首相をも行列にならんだ(実際には安倍さんは車で待機、秘書らがら並んだ)伝説の焼肉屋。
店主はまもなく引退との事で、行かれていない人は行列覚悟で是非行かれてください🍖
以下、致知より
「誰も見ていないところで努力する。これが商売なの。誰がやるのでもない。自主的にやるしかない。それができないのはまだケツが青い証拠なんだ」
JRも地下鉄もなし。そんな辺鄙な場所に、連日国内外から利用客が殺到し、「日本一の行列店」と言われる焼肉店がある。
店の名は「スタミナ苑」。
席数50席のいたって平凡な店構えだが、驚くのはその行列だ。
2時間待ちは当たり前。長い時は4時間を要する。何しろ予約は不可で、総理大臣や芸能人であっても並んで入店すると言う。
約50年前、一介の焼肉店だったこの店を、ここまでの繁盛店に育て上げてきたのが、豊島雅信さんだ。
しかしその人生は想像を絶するほど厳しいものだった。
精肉店を営む家に生まれた豊島さん。
2歳の頃、実家にあった精肉機に興味半分に手を突っ込み、右手の指を2本失う。
この怪我を理由に、以降数えきれないほどの差別を受けることになる。
中学卒業後、有名ステーキ店の面接を受け、右手を理由に撥ねつけられたのもその一つだ。
そうして泣く泣く実家の焼肉店に入るところから、豊島さんの新たな人生が始まる。
初めは包丁も持てず、ホルモンの入ったビニール袋を開けることもままならなかった。
最初は途方に暮れたが、何度も練習して包丁が使えるようになった。ビニール袋は両手で押さえて、口を使って開ける方法を考えた。
豊島さんは言う。
「『ハンディキャップがあるからできない』などとは絶対に思わない。
その頃の僕は『なにくそ、負けてたまるか』『前進あるのみ』、その一念でしたからね。
人から『できない』と言われると、コンチキショウって燃え上がる。
後ろなんか見るな、前だけを向いて歩いて行きゃいいんだと」
できないことがあれば人一倍の努力をし、同じ土俵に昇り詰める。その気概が豊島さんを奮い立たせてきた。
この姿勢を持続し、50年。
豊島さんが手塩にかけて育ててきた「スタミナ苑」は、アメリカ生まれのグルメサイト『ザガット・サーベイ』日本版で総合1位を獲得。
日本最大級のグルメサイト『食べログ』の『食べログアワード』でも金賞を受賞し、名実ともに日本一の焼肉店へと昇り詰めた。
それでも……
現在に至るまで、休業日でもたった一人、3時間の仕込みを続ける。
トイレ掃除さえも毎日自ら行う。
いまもなお、豊島さんを奮い立たせるものとは何なのだろうか。
「誰も見ていないところで努力する。絶対に手を抜かない。これが商売なの。
誰がやるのでもない。自主的にやるしかない。
それができないのは、まだケツが青い証拠なんだ」
人生はどこまでいっても自分との闘い。
私たちは、何のために仕事をするのか——。
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以前、豊島さんは体調面からいつまでやれるのやらとおっしゃっていたので、早めにまた行きたいです。
レバーと水を加えないで作るモツ煮は鉄板。
一流の仕事、下町のお店だけど、一流の焼肉。早く行きたい。
