一行詩と自由律俳句、何が違う?➁|種田山頭火の語る「俳句の象徴的表現」
前回の「自由律俳句の作風を調べてみた」は、こちら。
この記事は「※近代詩人から学ぶ」の、番外編である。
(※近代~昭和初期にかけて活動した文士の作品から、 “詩のどこが良いのか” “どう書けば詩なのか” を探していくシリーズ。
いずれも青空文庫で読めるものを取り扱っている)
前回から数回に分けて、詩を書く側の人間として、詩と自由律俳句の違いを考えている。
前回の終わりで示したように、今回は種田山頭火「俳句に於ける象徴的表現」を読む。
スマートフォン版の青空文庫リーダで6ページ以下、パソコンではスクロールが要らないほど短い随筆だ。
にも関わらず、意味を理解するのに少々時間がかかってしまった。
写生的かどうかは判断基準か
写生的な詩もある
代表的なものを挙げる。
八木重吉氏が、写生的な作品をいくつか残している。
黒い犬が
のっそり縁側のとこへ来て私を見ている
この作品は改行があるので、自由詩と分かる。
もうこの時点で、写生的か否かは判断基準にならないと分かったが、俳句側も見ていく。
俳句は写生的とは限らない
長らく、「俳句は写生的に、という暗黙の文化がある」と思い込んでいた。
その原因は恐らく、正岡子規氏が率いた「アララギ派」のイメージだと考えられる。
私は俳句に明るくなく、その上、前田夕暮氏や釈迢空氏のような “反アララギ” と呼ばれた歌人の作を好んできた。
それゆえ「アララギ派はこの対極だ」という思考が、私に根付いていたように思える。
(アララギ派が嫌いなわけではない。島木赤彦氏と伊藤左千夫氏の作は好きだ。あれは読むことで飲める湧き清水だと思う)
しかし俳句には、写生的でなくてはならないという決まりは無く、それすなわち当然、象徴的なものもあることを表す。
山頭火氏が引用した「象徴的な俳句」
病雁の夜寒に落ちて旅寝かな 芭蕉
僅かの花が散りければ梅は総身に芽ぐみぬ 井泉水
わが足跡人生ひてわれにつゞく朧 地橙孫
陽の前に鳥ないて安らかな一日 鳳車
地橙孫とは兼崎地橙孫、鳳車とは芹田鳳車という人物で、山頭火氏と同じ時代を生きた人物だそうだ。
はじめに芭蕉の句が挙がっていることにも注目したい。
思い出してみれば、芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」という句も、これらと同じ括りに分類されるだろう。
俳句も詩の一種
では、ここで私がかなり読むのに苦労した部分を引く(理解しやすくするため、改行を加えた)。
象徴は生命の刹那的燃焼の表現を外にして
自己を全力的に表現し得ないのである。
かるが故に
象徴的表現しか自己を表現し得ない場合に於て、
換言すれば
或る刹那に於ける自己表現の方式として唯一の象徴的表現が存在する場合に於て
象徴的表現は最大の効果を発輝(原文ママ)するのである。
この文章を簡単に表すと、
象徴的表現は「それ以外に表現しようがない」というシーンで大活躍する
という意味になる。
そして山頭火氏は、以下のように続ける。
そして文芸に於ては詩、殊に俳句は
性質上 又 形式上
かくの如き境地を
かくの如き方式によって表現せざるを得ないのである。
正岡子規氏の写実、写生の考えとは逆に進んでいることが分かる。
自由律の出現にあたり、高浜虚子氏が伝統の在り方を危惧していたが、象徴性においては芭蕉の時期には既にあったというから驚きである。
さらに山頭火氏が書いた文章から、俳句は詩ではないという考えも打ち消される。
詩の中で新体詩、短歌、俳句という分類があるのだ。
確かに英語で「Japanese traditional poetry」などと説明されることもあるので、そうなのだろう。
すると、ここで疑問が生まれる。
神様あなたに会いたくなった
これが、自由律俳句である可能性はないのだろうか?
八木重吉氏の一行詩が、「俳人ではなかったから」という理由以外で、自由律俳句として扱われず、口語自由詩とされているとしたら、何故なのだろうか。
次回は、以下のように考えていく。
八木重吉氏のような「一行詩」は自由律俳句とも呼べるのだろうか。
それとも明確に区別できる何かがあるのだろうか。
私は、どうも「誰かが俳句と言ったら俳句」「誰かが詩と言ったら詩」ということに納得がいかない。
判断基準が無いならば、フィーリング以外の面(句の流れ、句切れなどの手法の面)でどのように鑑賞するのだろう、と疑問に思う。
もう、いっそ私も句作をしてみるのが早いのだとも思い始めている。

本記事のような、日頃の考察やヘリクツを本にしています。
以下の記事では1巻を無料頒布しております。
詩の教科書ではありませんが、近代詩をこういう目で見ていますよ、とお伝えする本です。
いいなと思ったら応援しよう!
この記事を保存したいとお思いの方、応援いただけますと幸いです。
頂戴したチップは同人誌「さくさく」への寄稿費など、文芸活動に充てます。