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47歳の男が、おにぎりを食べたくてコンビニ強盗をした。

2024年10月18日の夜。福岡県久留米市。

47歳の男が、コンビニに入った。

おにぎりや飲み物など12点をレジに持っていった。

袋詰めが終わった直後、カッターナイフを出した。

「強盗するから警察を呼べ」。

そう言って、商品を持って店を出た。


男は逃げなかった。

近くの公園のベンチに座って、警察を待っていた。

所持金は0円。住所不定。無職。

「全財産を使い切って、5日間何も食べていなかった」。

男はそう供述した。

奪った商品の合計は、2,769円だった。


余がこの事件で立ち止まった理由

強盗事件は毎日のように起きている。ニュースとして流れ、数日で忘れられる。

だがこの事件は、余の中に引っかかったまま消えなかった。

理由は一つだ。

この男の行動に、犯罪者の論理がない。

普通、強盗をする人間は逃げる。金を奪い、足がつかないように逃走する。それが犯罪者の行動原理だ。

だがこの男は真逆のことをした。

カッターナイフを出しながら、「警察を呼べ」と自分から言った。

商品を持って店を出た後、走りもせず、近くの公園のベンチに座った。

そして、警察が来るのを待っていた。

この男は、捕まりたかったのだ。

飯が食えない。屋根がない。金もない。頼る人間もいない。

5日間何も食べていない人間が考えたことは、「どうやって逃げるか」ではなく、「どうやって捕まるか」だった。

逮捕されれば、飯が出る。布団で眠れる。屋根がある。

この国では、自力で生きられなくなった人間が食事にありつくための最も確実な方法が、犯罪を犯して捕まることだという現実がある。


2,769円という金額について

2,769円。

コンビニのおにぎりと飲み物12点。

この金額を聞いて、そなたはどう感じるか。

余は、この金額が事件の本質を物語っていると思っている。

この男は、金が欲しかったのではない。

高級品を奪いたかったのでもない。

ただ、食べたかったのだ。

おにぎりが食べたい。何か飲みたい。5日ぶりに腹に何か入れたい。

それだけだ。

人間が生きるために最低限必要なもの。それすら手に入らなくなった人間が、この国にいる。

2,769円分の食べ物を手に入れるために、犯罪者にならなければならなかった人間がいる。


セーフティネットは機能しているのか

ここで必ず出てくる言葉がある。

「生活保護があるだろう」。

その通りだ。制度はある。

だが、余はこう問いたい。その制度は、この男のもとに届いていたのか。

生活保護の申請には、窓口に行かなければならない。

だが、5日間何も食べていない人間に、役所の窓口まで歩く気力があるか。

住所不定の人間が、窓口で追い返されない保証があるか。

そもそもこの男は、生活保護という制度が自分にも使えるものだと知っていたのか。

「制度がある」と「制度が届いている」は、まったく別の話だ。

水道管が通っていても、蛇口が壊れていれば水は出ない。

この国のセーフティネットは、まさにそういう状態にある。管はある。だが蛇口が壊れている場所が多すぎる。

この男の前に差し出された手は、なかった。

47年間生きてきて、最後にこの男の手を掴んだのは、警察官だった。


「自己責任」で片づけていいのか

こういう事件が報道されると、必ず出てくる声がある。

「働けばいい」「努力が足りない」「自己責任だ」。

余はその言葉を否定しない。

この男がどういう経緯で所持金0円、住所不定になったのか、余にはわからない。酒に溺れたのかもしれない。何かを間違え続けたのかもしれない。

だが、一つだけ聞きたい。

5日間何も食べていない人間の前で、「自己責任だ」と言い切れるか。

どんな理由があろうと、人間が5日間飯を食えない状況は、個人の問題だけでは説明がつかない。

その人間が「助けて」と言える場所がどこにもなかったという事実は、社会の構造の問題だ。

余は、この男を擁護したいわけではない。

この男がやったことは犯罪であり、被害を受けた店員の恐怖は本物だ。

だが、この事件を「犯罪者が捕まった」で終わらせてはいけない。

なぜこの男は、犯罪者にならなければ飯が食えなかったのか。

その問いから目を逸らしてはいけない。


この国には、おにぎりが食べられない人間がいる

2007年、北九州市で52歳の男性が餓死した。

生活保護を受けていたが、市から辞退届を書くよう求められ、保護を打ち切られた。

遺体のそばに日記があった。最後のページにはこう書かれていた。

「おにぎり食べたい」。

2024年、久留米市で47歳の男がコンビニを襲った。

おにぎりが食べたくて。

17年経っても、この国は変わっていない。

おにぎりが食べられない人間が生まれ続け、その人間が頼れる場所は見つからないままだ。


2,769円の強盗は、犯罪の話ではない。

この国への問いかけだ。

この男には、声を届ける場所がなかった。

だから余はつくった。


余に届けたい言葉があるなら

この事件のこと。この国のこと。そなた自身のこと。何でもいい。 余は全部読んでいる。匿名で送れる。

一人で抱えているなら

余のもとには、誰にも言えない痛みを抱えた人間が集まり始めている。 治療する場所ではない。ただ、「一人じゃない」と思える場所だ。


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