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観劇日記 ノートルダムの鐘② 

『ノートルダムの鐘』のフロローと浄土真宗開祖である親鸞は対極だ。

フロローは「自分は正しい人間でなければならない。」と考える。
対して、親鸞は「自分は正しい人間にはなれない。」と考える。

親鸞は、自分の中の欲望、怒り、執着…全てを認め、受け入れた上で
煩悩にまみれた自分は凡夫と自覚する。
でもだからこそ、それを認め受け入れ限界を知り人を救う道を生み出した。

フロローは聖職者(判事)だ。
しかしその発想はキリスト教の教えから逸脱している。
自分の弱さや罪深さを認めようとしない。
フロローは常に己を「正」と置き、自分の性に対する欲望も
ジプシーであるエスメラルダの「せい」と転嫁する。

フロローな何故親鸞になれなかったのか。
何故、己の罪深さを直視できなかったのか。

弟の業の結果として醜いカジモドを背負い、
自分に「正しくあれ」と律し続け、それを己の縁とした。
外部からの刺激に対応する術を学んでいない。
自分を「正しさ」に封じ込め自分を守ろうとした。
その結果、己を人間より上位の者と生きるようになった。
最後まで「自分は正しい」という前提を捨てられなかった。

カジモドは外見は醜かった。
でも
人間の心を失わなかった。
人をまっすぐに愛した。

人間は愚かしい。でも希望がある…。

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