渋谷から文化が消えたのは、東急のせいではない、という話
最近、SNS で渋谷の再開発の話題を定期的に目にします。
東急百貨店本店が消えて、PARCO も様変わりして、西武の無印もなくなって、東急ハンズがなくなるという。新しく建つビルはどれも似たり寄ったりで、テナントもどこかで見たような店ばかり。「あの渋谷はどこに行ったんだ」「東急は文化を壊している」「街づくりが下手だ」みたいな声が、わんさか流れてきます。
私自身、もともと渋谷はそんなに好きな街ではないけど、昔はライブがあるときには時々来ることもあったし、独特の文化が薄まっていく今の状況に、寂しさの気持ちは正直あります。
でも、ちょっと立ち止まって考えてみたい。果たして、これは東急が悪いのか?と。
東急は、何かを間違えたのだろうか?
そもそも、不動産デベロッパーって、何を最適化している人たちなんでしょうか。
坪単価、稼働率、長期収益、容積率緩和の条件、株主への説明責任。当たり前ですが、彼らは慈善事業をやっているわけじゃない。「文化を守る」が KPI に入っていないというより、入れようがないんですよね。
仮に東急が「いやいや、我々は文化を守るために、家賃を据え置きで個性的な小規模店だけ入れます」とか言い出したら、それはそれで株主総会が荒れるわけです。「お前ら何やってんだ」と。
つまり、彼らは経済合理性に従っているだけ。むしろ従わなかったら職務怠慢になる。叩かれている当事者からすると、「いや、こっちは仕事してるんですけど?」みたいな感じだと思うんですよね。
街は、誰のものになったのか
もう少し構造の話をすると、これは東急に限った話じゃなくて。
土地が金融商品になって、REIT に組み込まれて、四半期ごとに評価される時代に、「30年かけてじわじわ醸成される文化」みたいなものが育つはずがないんです。雑居ビルの2階の怪しい店、昭和の家賃水準だから存在できた個性的なテナント、あれらは「非効率」だからこそ生き残れていた。
我々は、その非効率を許容しない社会を、長い時間をかけて選んできました。
別に陰謀でもなんでもなく、ひとりひとりの合理的な選択の積み重ねで、ここまで来ているだけ。
で、本題なんですが
ここからが本題で。
「文化的な街がいい」と言う人に、ちょっと聞いてみたいんです。
服はユニクロで買いますよね?
野菜はスーパーで買いますよね?本は Amazon で頼みますよね?コーヒーはスタバで飲みますよね?商店街より、イオンの方が便利ですよね?
これ、別に責めてるわけじゃなくて、私もそうなんです。ユニクロで買うし、Amazon で頼むし、スタバにも行く。
つまり我々は、とっくに効率と価格と均質さに投票しているわけです。日々の消費行動で。
商店街の八百屋が消えたのは、イオンのせいではなく、我々がイオンに行ったから。個人書店が消えたのは、Amazon のせいではなく、我々がワンクリックを選んだから。
それと同じことが、ただ街単位で起きているだけなんですよね。渋谷だけが特別に犠牲になっているわけじゃない。我々の生活全体で、同じ現象がずっと進行している。その一番見えやすい部分が、たまたま今、渋谷だっただけ。
「豊かさ」を再定義しない限り
「文化を大事にする」って、誰かに大事にしてもらうことじゃないんですよね。本当は。
雑居ビルの2階の怪しい店に、月に一度でも足を運ぶこと。チェーンじゃないこだわりの個人店で、ちょっと高くてもコーヒーを飲むこと。自分が非効率の側に、一票を投じること。
それができないなら、街は画一化していきます。当然の帰結として。
我々が「ピカピカで、安全で、清潔で、便利」を選んできた以上、街もそうなる。当たり前です。デベロッパーは、我々の選好を映す鏡でしかない。
東急を叩いてもしょうがない。彼らはむしろ、我々のために最適化してくれているのだから。もちろん、だからといって「大資本による均質化」を歓迎したいわけではない。
寂しいですけどね。仕方ない、というのが正直なところです。
でも、文化が好きなので、足掻きます。駄菓子屋さんだもの。
