「私は、寂しがり屋か。(8月13日)」
*
(今朝は、コープさんの配達が遅いわね……。)
いつもなら、そろそろ、近づくトラックの気配に続き、荷台を開ける金属の触れ合う音や、荷物を下ろす物音が聞こえてきても良さそうなのに。
*
「お盆をお出かけする自動車の渋滞に巻き込まれたのかしら?」と、勝手に心配しつつ眺めた時計は、いつもより30分も進んでいた。
心に焦りを感じつつ、壁掛けカレンダー横に張り出した小さな案内
『お盆期間8/11(火)〜8/15(土)は、配達をお休みします。』が視界に入る。
カレンダーの日付と、そのお知らせの間を何度も視線で往復させて、私は納得した。
"今週は、お盆休みで配達もお休み"だったのだと。

*
あなたに向かって
「私のnoteは、今日からしばらく画面を閉じることに決めました。実家の母のサポートという、確かな現実が目の前に控えているからです。」
そう宣言したのは、確かに私だ。
*
「2ヶ月も休むなんて、寂しい」
そんな温かい言葉をかけてくださるあなたには、本当に申し訳なく、同時にありがたいなと感じています。
だから、隙間時間を見計らって、朝のお散歩、コメントのお返事や、あなたのnoteの庭先へご訪問だけは、小さく、静かに続けるつもりです。
それが私なりの、ささやかな義理人情なのだと思います。
*
でも、心のどこかでは、とても冷静に諦めている自分もいます。
「毎週日曜日に、過去記事のアンコール再録を置いておきます」なんて追伸に書いたけれど、それを毎週楽しみに振り返ってくれるなんて、ただの私の希望的観測に過ぎない。
ある種の自己満足であり、厨二病のようなものだと自分でも分かっています。

*
「人間は、思いの外に忘れっぽいものです。」
どんなに盛大なお葬式を挙げたとしても、百箇日、一周忌、三回忌と法事を重ねるごとに、集まる人は自然と減っていきます。生きている人間は、そうやって新しい日常に驚くほどあっさりと適応していく生き物なのでしょう。
身内の死ですらそうなのですから、ネットの海の片隅にある、フォロワー2,000人のローカルな夏休み宣言なんて、3日も経てば誰も気にしなくなります。なんなら、このまま私が静かに消えたとしても、誰も気づかないかもしれません。
*
でも、私はその冷淡さを、少しも悲しいとは思いません。
みんなが3日で忘れてくれるからこそ、私は何の後腐れもなく、この過酷な暑さのなか、目の前にある「本当の現実」にすべての時間を使うことができます。忘却は、時に最大の救いであり、解放なのです。
過度な期待はせず、かといって差し出された優しさを無下にせず、そっと引くべき時に引く。
これこそが、私の大切にしたい「引き算の美学」なのかもしれません。
さて、そろそろノートパソコンの画面を閉じましょう。
現実のせわしなさが、すぐそこで私を待っています。
*
……なんて、もっともらしいことを垂れ流しているのだが、やっぱり、こうしていきなり記事をあげて、あなたと会いたくなるのは、
「きっと、私が寂しがり屋なのかもしれないなぁ……」と、恥ずかしさに心を赤らめている。
今日も、良い一日になりますように。
(🎹MIYABI)
いいなと思ったら応援しよう!
ご支援くださり、ありがとうございます。くださったチップは、楽譜やご本の購入代金に使わせていただきます。