見出し画像

NY Life 大学にいた日本人達

私がニューヨークの大学にいた頃のお話です。
当時、日本は景気が良く株価が上がり盛り上がっていました。といっても高校生だった私にはその影響はなく、都内で買い物をしても学校に通っても景気がいいという体感はありませんでした。
しかし、私が通う河合塾が運営していた留学予備校には100人を超える学生がいました。100人を超える学生が皆、海外留学を目指していたのでした。
当時は普通の家庭でもそれなりの所得や資産があったので、子弟を海外に送り出す余裕があったのだと思います。私の家も父親はサラリーマンでしたが、海外留学を許してくれました。良い時代です。

州立大学のキャンパス

留学の準備をしながら、ニューヨーク州立大学に行くことになる訳ですが、ニューヨーク・シティから遠く離れた山の中の大学なので、日本人はいないものだと思い込んでいました。成田空港からユナイテッド航空のエコノミー席に乗りJFK空港に到着した時はとても寂しかったです。これから自分1人でどうするのだろうという不安と絶望感に似た感覚でした。

しかし学校に行くと、日本人が7人いました。私と同じタイミングで日本人が5人入学したので、私も含めると13人もの日本人がアメリカの田舎の大学に集まっていたのでした。キャンパスに行くと、彼らから普通に日本語で話しかけられました。さらにこの大学を卒業した日本人やら、学校には全く来ない日本人やらもいて、この学校には30人くらいの日本人のコミュニティがあり、彼らと知り合うことになります。

初めは日本人とカフェで集い日本語で話すことが楽しいと思いましたが、次第に彼らの素性が見えてきました。

大学の校舎

所属について
学校にいた日本人は、私にどのクラスなのかを必ず聞いてきました。「どのクラスなのか?」ということがどういうことなのかわからず、受けている授業を伝えました。「Marketing101」「Bio101」などと答えたのです。すると日本人の顔が変わります。「なんだ、正規の生徒なのか、お前は」と。
実は大学には語学学校が併設されていて、そこには7段階のレベルがあったのでした。ほとんどの日本人はこの7つのレベルのクラスに所属しており、そのクラスのレベルを聞いていたのでした。
多くの日本人は語学試験を受け、一番下のレベル1に入るようです。年に2回の昇級テストがあるので、レベル1の学生は早くて3年半かけてレベル7まで昇ります。そして正規の生徒になるための試験を受けるのだそうです。
私は、その語学学校には入ることなく、普通の学生(大学1年生)として入学していました。彼らからしてみると面白くないやつとして認識されたのでした。
こんな狭いコミュニティで日本人たちはマウントを取り合っているのでした。おそらく私がレベル1と答えたら歓迎されたのでしょう。
この学校では、語学学校に入った日本人でレベルを上げて正規の生徒になる試験に合格し正規の生徒になれた人は数人だそうです。ほとんどの人が途中で挫折してしまうと聞きました。あるいは1年とか2年と期間を決めてやって来ている人は、結局語学学校に籍を置いて、留学したという事実を作り帰国するようです。
私が在籍した当時、1人だけ語学学校から正規の生徒になった人がいました。彼は30代半ばの男性でしたが、語学学校に5年通い、正規の生徒になれたとのこと。日本人学生からは神様のように扱われていました。

生活について
私は、できるだけ親に負担がかからないよう生活費は最低限にしていました。特に贅沢をすることなく質素に暮らしていたのです。
大学にいた日本人は、高級車に乗っていて、毎晩日本人で集まって居酒屋やカラオケに行っていました。当時のアメリカは景気が悪かったのですが、日本人の皆さんは綺麗に着飾って学校に来ていました。週末になるとヤオハンで盛大に買い物をしてKINOKUNIYAで日本の3倍する雑誌を購入していました。
私は彼らの派手な生活が羨ましかったのですが、そんなお金はありませんでした。そして日本人と徒党を組んでいる時間もありません。それよりも授業について行くのが大変なので、必死に図書館で勉強していたのでした。

出自について
日本人の学生さんの多くは複雑な家庭環境で育った人達でした。それぞれが日本に居場所がなくなっていたのだと思います。話を聞くとそれぞれが経験してきた壮絶な人生を知りました。私のように普通のサラリーマンの家庭で育った普通の日本人はいませんでした。
彼らの目標は大学で学ぶことというよりは、日本から距離を置くことなのだと感じました。当然、彼らはアメリカ人の友人もできず、ニューヨークの山の中で日本人だけのコミュニティを形成して慰めあっているのでした。。

濃い集団
私が入学した後、日本人の学生の数はどんどん増えました。私が在籍した2年間で日本人は100人を超えました。こんなニューヨーク州の片田舎の大学にこれほどの日本人がいるとは驚きです。しかしほぼ全員が語学学校のレベル1の生徒たちでした。彼らは毎日カフェで日本語を話し、とても楽しそうでした。大学の駐車場には彼らの乗る高級車がずらっと並んでいました。
そのうち、この日本人コミュニティは3つに分かれ、敵対するようになっていきました。どのチームに所属するかを選ばなくてはいけない雰囲気でした。そしてチーム毎に、他のチームをディスったり嫌がらせをし始める始末です。チーム内で付き合ったり別れたりの恋愛ゲームも活発でした。
私は猿山で繰り広げられている恋愛が苦手でした。
当然、私はどのチームにも所属しませんでした。

私の目的は大学を卒業し希望の仕事に就くことだったので、この日本人たちとは距離を置くことにしました。基本的に学校で日本人を見かけたら私から積極的に「おはようございます」と声をかけますが、カフェでも街で出会っても挨拶だけで、それ以上の会話はできるだけ避けました。時々誘われる食事会も丁寧にお断りをして、できるだけアメリカ人の友人と生活をし、英語を話し、勉強を中心に日々を過ごしたのです。

日本から遠く離れたアメリカの田舎に来て、日本人を避けなくてはいけなくなるなんて思ってもみませんでしたが、こんな事実があったのでした。

河合塾にいた友人たちはアメリカ全土に散らばって留学をしていました。彼らに状況を聞くと、それはもっと酷いものでした。ロサンゼルスに行った河合塾の元クラスメイトは、全員が日本人コミュニティに飲み込まれてしまいました。学校には行かず趣味に走り、薬をはじめ、次第に連絡が取れなくなっていきました。中西部に行った日本人は、少数の日本人からいじめられ途中で留学を諦め帰国してしまいました。まだマシだったのは東海岸です。西海岸と比べると相対的に日本人留学生の数が少なかったのです。が、フロリダに行った友人はパーティに明け暮れていました(彼はそれでもきちんと卒業しました)。ボストンに行った友人は勉強の競争が激しくて授業について行けませんでした。

私は州立大学でいい成績をおさめ、ニューヨーク大学にトランスファーしました。私がNYUに転校したことは州立大学の日本人達には言わずに、静かに学校を去ることにしました。

New York University

そして、ニューヨーク大学です。
まず新入生のオリエンテーションに参加しました。そこにはたくさんの日本人がいました。NYUは全米でもトップクラスの大学です。ここにいる日本人はまともだと信じていました。
しかし、そこにいた日本人は州立大学とは異なる人種の日本人でした。

オリエンテーションで出会った日本人はとてもスマートで品がある男性でした。「今夜、日本人の学生の食事会があるので来ませんか?」とお誘いを受けました。大学の様子なども知りたかったので食事会に行ってみると、そこは高級なフレンチレストランでした。長いテーブルに座る煌びやかな女性たちとスーツを着た男性たち、総勢20名。Tシャツにジーンズ姿の私はどう考えても浮いています。それでもにこやかに迎え入れられた私は、自己紹介などしながら冷静さを保ちつつ、この食事会の意図はなんなのかを探りました。

なんと、NYUにも語学学校があるそうで、そこには300人以上の日本人がいるとのこと。ただこの食事会にいる日本人は正規の学生でした。ただ学部が違いました。私のようなビジネススクールの生徒はいません。皆さんはソーシャル・スタディとかアート・スクールなど、比較的緩い学部生でした。
彼らは品がよく、言葉使いも丁寧で、どう考えても富裕層の子弟です。住んでいる場所もグリニッジ・ビレッジのタウンハウスだったりユニオンスクエアの高級コンドです。寮に住んでいるとか私のようにニュージャージーから通っている方々ではありませんでした。
優雅な時間が流れました。そして皆さん帰宅したのですが、普通にタクシーに乗っていました。数名はレストランの前にリムジンが来ていました。世の中にはお金持ちで育ちの良い人がいるもんだなあと感心しつつ、私の生活とは程遠いレベルの人達だと感じたのです。
おそらく、この食事会は金持ちサークルだと思います。学生のうちに人脈を広げ、その後社会人になった時、助け合う目的だったのでしょう。あるいは男女比が50:50だったので、将来のパートナーを探す会だったのかもしれません。

毎日通ったビジネススクールの校舎

その後も何度か食事会に誘われましたが、私の財力が追いつかないので丁寧に辞退しました。しかししばらくするとあの食事会にいた日本人は1人、そして1人と学校から消えていったのです。廊下で挨拶する程度でしたが、彼らは一体どこにいってしまったのでしょう。
授業についていけずやめていった人、親の都合で帰国した人、学校に来なくなった人などだと思います。
(これには後日談があり、私が就職した数年後に、偶然この食事会にいた日本人と出会うことがありました。そして驚きの事実が判明しました。これは別記しようと思います。)

大学ではひたすら勉強です

NYUでは、ビジネススクールにいた日本人1人と仲良くなりました。しかし彼とはあくまで授業で一緒になる程度で、数回食事したくらいです。基本的にはアメリカ人の友達と行動し、とにかく勉強をし続けたのでした。

この頃、河合塾で同級生だった友人が隣の大学(FIT)にトランスファーしてきたので、月に1回程度食事をすることになりました。彼も大学では日本人と距離をとっていたようで、たまに会うと日本語での会話が止まりませんでした。ビレッジの安い飲み屋での唯一心許せる友人との日本語での会話は懐かしい思い出です。

結局、河合塾で一緒だった100人の留学予備校生は、全米に散らばりましたが、4年制大学を卒業できたのは10人程度でした。有名大学を卒業し希望の仕事に就けたのは数名です。

今考えると、私も留学が失敗になる可能性はとても高かったと思います。おそらく西海岸に行っていたら、日本人コミュニティに飲み込まれているでしょう。勉強が好きではない私は、きっと楽な方に引っ張られていたはずです。
私の家が裕福であったら、NYUであの品の良い方たちともっと密になっていたと思います。それが良い方向に作用したのかは後でわかります。
目先の勉強について行くのに必死だったのも、今考えると良かったのかもしれません。

人生はわからないものです。偶然の積み重ねが自分の人生となっていきます。私は子供の頃に思い描いていた職に就き、充実した人生を送ることができましたが、これも偶然です。自分1人ではこういう人生にはなりませんでした。その時出会った人、その時の財布事情、その時の天気・・・
さまざまな偶然が重なって人は生きています。
時間が経って思うのは、自分の幸運の強さに感謝すること、そしてあの時出会った日本人達が今何をしているのだろうと。今会ったら仲良くなれる人たちだったのかもしれません。

ifもしも。年を重ねると、不思議な気持ちになります。


いいなと思ったら応援しよう!

D. Silverling よろしければ応援お願いします!