中村哲先生の映画に導かれて―恩人たちとの再会

いつも私のnoteをお読みいただいて、ありがとうございます。
セラピーや親子関係のこと、そして私の生い立ちなどについて今まで書いてきました。でも、私自身については、まだ十分にご紹介できていません。
そこで今日は、私に大きな影響を与えた三人の恩人について、書いてみたいと思いました。
そのお三人のうち一人は、2019年12月にアフガニスタンで銃撃されて亡くなった中村哲先生です。
中村先生の衝撃的な死は知っていましたが、中村先生が何をされた方だったのか、私はよくわかっていませんでした。
そこで、8月2日の午後、埼玉県ふじみ野市産業文化センターで行われた、中村哲先生のドキュメンタリー映画『荒野に希望の灯をともす』上映会に足を運んだのです。
スクリーンの中で、中村先生の歩みが淡々と、しかし力強く映し出されていくのを見つめながら、私の中に、思いがけず、もう二人の医師の姿が浮かび上がってきました。
その二人とは、
長島愛生園でハンセン病患者に尽くした神谷美恵子先生
前世療法の世界的権威であるブライアン・ワイス先生です。そして、
映画の主人公である中村哲先生を含めて、
このお三人は、私の恩人なのだな、とあらためて気づかされたのでした。
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ハンセン病患者へのいつくしみが、神谷美恵子先生を呼び覚ました
映画は、中村先生が1984年、パキスタン北西部ペシャワールのミッション病院に赴任するところから始まります。
中村先生はそこで、ハンセン病を患うパキスタン人やアフガニスタン難民の治療にあたりました。その後、アフガニスタンの山岳部にも活動を広げ、結核やハンセン病などの貧困層に多い疾患の診療に取り組んでいかれました。
ハンセン病の痛みに悶え苦しむ患者をどうにかして助けたい。どうにかして、少しでも生きるよろこびを感じてほしい、と奮闘する中村先生の姿を見たとき、
私の脳裏には、神谷美恵子先生の姿が浮かんできました。
🍀神谷先生の物語
神谷先生がハンセン病患者と出会ったのは1934年。まだ20歳のとき。叔父に頼まれて東京の多磨全生園を訪れたことがきっかけでした。悲惨な現状を目の当たりにした先生は、自分が生涯をかけて取り組むべき使命に出会ったと感じ、医師を志します。
その後、第二次世界大戦をはさんで、ご自身の肺結核など、さまざまな困難を乗り越えた後に、精神科医として岡山県の長島愛生園 (日本で最初の国立ハンセン病療養所)の医療に携わることになります。
その後1965年から、ご自身の体調を崩されるまで、同園の精神科医長として、隔離という過酷な状況の中で生きる患者さんたちの心と向き合い続けました。


✨中村先生と神谷先生は、生きた時代も献身された場所も異なりますが、どちらも「見捨てられた」人々のもとへ自ら赴き、そこに医師としてだけでなく、一人の人間として、とどまり続けた方たちです✨
神谷先生の『生きがいについて』、その他のご著書は、生きる意味を見つけられず、混沌としていた私の20代を支えてくれました。
中村先生の映画を通して、私は神谷先生から受けたご恩を久しぶりに思い出して、胸が熱くなりました。
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「弔い」としての偉業ー中村哲先生とブライアン・ワイス先生
🍀中村先生の物語
映画はさらに、中村先生が保健医療の現場で重ねていった、いくつもの気づきの物語を描いていきます。
当初、中村先生が目指していたのは、医療の不足を補うことでした。そのために山間部の無医村にも分け入り、独自の保健医療センターを次々と立ち上げていきます。
しかし活動を続けるうちに、人々に必要なのは医療そのものではなく、まず、安全な水であり、さらに飢えからの解放であること。そしてその根本には、農業が破壊されているという事実があることに気づいていかれました。
目の前には大河が流れているのに、灌漑設備も治水工事もなされないまま、かつて緑豊かだった大地は巨大な砂漠と化していたのです。
医療を提供するだけでは、人々を助けることはできない—中村先生がこの現実に突き当たったのが、9.11事件が起こる少し前のことでした。
2001年9月11日、アメリカ同時多発テロが起こり、その報復として米軍によるアフガニスタン空爆が始まります。まさにこの時期、中村先生ご自身にも、大きな試練が重なっていました。
2001年6月に脳腫瘍の診断を受けていた10歳の次男さんが、2002年12月、命を落とされたのです。医師である自分が、我が子の病を治すことができなかった—その悲しみや悔しさは、想像を絶するものだったと思います。
けれど中村先生は、この深い喪失を、絶望のうちに終わらせませんでした。
息子を看取ったのち、庭にたたずみ、青葉をつけた一本の若木を見つめながら、「お前の弔い合戦は、俺が命をかけて、やる」と誓われたといいます。
その誓いのとおり、中村先生は独学で土木を学び、アフガニスタン東部を流れるクナール河に堰を築いて水を引き込む、壮大な用水路建設の計画に着手します。
しかしこの事業は、決して平坦な道のりではありませんでした。村人たちと一緒に、小さな石を一つ一つ手で積み上げて、ようやく築き上げた堰や水路が、大洪水によって一瞬にしてすべて押し流され、無に帰してしまうこともありました。また、米軍やNATOからのアフガニスタンへの空爆は相変わらず続いていました。
それでも中村先生は、決してあきらめませんでした。幾度となく現場に立ち戻り、堰を築き直し、水路を掘り直し続けたのです。
そして何年もの歳月をかけて、全長25キロメートルにおよぶ用水路が完成。かつて砂漠だった約16,500ヘクタール(東京ドーム約3,529個分)が緑の大地によみがえり、小麦やトウモロコシ、果物などの農作物が豊かに実るようになりました。
人々が手にしたのは、単なる食糧ではありません。飢えと渇きから解き放たれた、「本当の自由」でした。
🍀ワイス先生の物語
このくだりを観ながら、私の中で、もうひとつの物語が重なっていきました。ブライアン・ワイス先生の物語です。

ワイス先生の長男、アダムさんは、生後わずか23日で亡くなります。1000万人に一人、という極めて稀な先天性の心臓疾患を抱えて生まれてきた小さな命でした。当時のワイス先生は、ごく一般的な若い医師でしたが、息子の小さな命さえ救えなかった近代医学への不信感から、内科医ではなく、精神科医への道を選んでいかれました。
10年ほど経って、患者キャサリンの退行催眠のセッションの中で、亡きアダムさんの魂からと思われるメッセージがもたらされ、ワイス先生はそれをきっかけに、目に見えない世界への扉を開いていきます。
輪廻転生などまったく信じていなかったワイス先生は、やがて前世療法という新しい治療法を確立して普及させ、世界的権威として、数えきれないほど多くの人々の魂を癒し続けていかれました。

世界で累計150万部以上売れている世界的ベストセラーです
🍀🍀🍀
中村先生は、我が子の死を機に、乾いた大地に水を通し、命を育む道を選ばれました。そして、ワイス先生は、我が子の死と、それにかかわる超常的な体験をきっかけに、目に見えない魂の世界に光を当てて、人々の心を癒す道を歩まれました。
✨分野は異なりますが、お二人はどちらも、愛する子どもの、あまりにも早すぎる死を「弔う」ようにして、人類への大きな貢献を成し遂げられたのでした✨
この不思議なめぐりあわせに気がついたとき、私は映画館の暗闇の中で、はらはらと涙を流していました。
🍀🍀🍀
8年前、ワイス先生と前世療法に出会うことによって、時空を超えた親との深いつながりを見出し、私の人生は大きく変わりました。
これについては、先日、こちらの記事で書きました。よろしかったらご覧ください👇
また、こちらにも書いています👇
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三人の医師が教えてくれたこと
中村先生の映画を観に行ったはずが、中村哲先生だけでなく、神谷美恵子先生、そしてブライアン・ワイス先生という、私の人生を支えてくださった恩人たちに再びお会いしていました。
見捨てられた人々から、決して目をそらさなかった神谷先生
悲しみを、命を育む力に変えていかれた中村先生
喪失を、魂への深い理解へと昇華させたワイス先生
三人とも、私自身がセラピストとして、また一人の人間として、これからも仰ぎ見ていきたい方たちです。
お三方に共通するのは、深いいつくしみの心を保ち、苦しみや喪失にうちひしがれることなく、それを次の世代への贈り物へと変えていかれた、その生き方そのものではないかと思いました。
この三人の先生方の人生に触れるだけで、心が、さあっと洗い浄められるような気がします。
まさに、不安と恐れの時代に、灯りをともす存在です。
この方々と同じ時代を生きることを許された私は、やっぱり恵まれているのだと思います。
私自身もまた、目の前のクライアントさま、お一人おひとりの悩みに真摯に向き合い、その悲しみや葛藤を、いつか誰かの支えとなる何かへと変えていくお手伝いができたら—そんな願いを、あらためて胸に刻みました。
最後までお読みいただきましてありがとうございました🙏💐
よろしかったら、こちらもどうぞ、ご覧ください👇💕
