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「帝国不動産」へ社名を変える理由

昨年の春に、フォーシーズンズホテル東京大手町で、あるカンファレンスのゲストスピーカーとして呼ばれた。M&Aに特化した米系投資銀行 Houlihan Lokey主催のJapan Conferenceだった。
 
世界中の投資家が日本への投資に熱視線を送るなか、会社を売りたい人と、会社を買いたい人が一堂に会するマッチングの場である。会社を買いたい人のグループには、外資ファンド勢だけでなく、M&Aにより事業領域を拡大しようと目論む野心的な事業会社も詰めかけていた。
 
私の立場を分類するならば「会社を売りたい人」ということなのだろう。
 
正直に言えば、私は当初、会社が再生軌道に乗った後、いずれはどこか大手の資本に引き渡すことになるかもしれない、と考えていた。中堅の不動産会社がスタンドアローンで生きていく道は険しい。大きな資本の傘下で安定を確保することは、当社が辿ってきた歴史を鑑みると妥当な選択肢とも思えた。
 
また当社には、ソフトバンクグループが間接的に出資を行っている。投資会社であるソフトバンクに対し、適切な出口を用意するのは私の務めでもあった。いわば「ターンアラウンドマネジャー」として、期間限定の再生プロジェクトという位置づけだ。
 
しかし、2021年の代表取締役就任以来、どっぷり当社の経営に向き合う中で私の気持ちは180度くらい変わってしまっていた。
 
会社や社員に対する愛着は自分でも信じられないほどに増し、野心は隠し切れないほど遠大になっていった。そして、これほどまでに素晴らしい未来が待つ会社を他人の手に委ねるなど到底できない、と思うようになっていた。
 
本稿では、「帝国不動産株式会社」が誕生する理由を、いま一度、わが社の創業から再建、今日に至るまでの軌跡を振り返りながら記したい。

最初の社名変更

私たちの会社のルーツは、深山一族が始めた事業にある。2008年、深山祐助氏はレオパレスの保有株すべてを売却し、ほぼ同じビジネスモデルでMDI(ミヤマ・デベロップメント・インターナショナル)を創業した。
 
しかし、2018年から2019年にかけて、いわゆる「レオパレスショック」が業界を襲う。建築基準法違反の問題が発覚し、金融機関はレオパレス、そして同じ創業者を持つ当社に対しても極めて厳しい姿勢を取った。一斉に資金を引き上げられ、さらにコロナ禍が追い打ちをかける。営業もままならない状況で業績は急激に悪化し、純損失はボトムでマイナス70億円を記録した。
 
当時、私はソフトバンクグループの投資業務に携わっていたが、その前はゴールドマン・サックスの戦略投資部で再生案件を多数手掛けていた。赤字会社を再建させることは、私の経験や実績にも整合している。
 
ちょうどソフトバンク本体もコロナ禍のマーケットの混乱から、投資先ポートフォリオの取捨選択を迫られる状況にあったという事情も重なった。
 
「でしたら、私に任せてください」
 
そう言って私はソフトバンクを辞め、当社に転籍した。本格的に経営の再建に乗り出したのである。

深刻な赤字経営で、ボーボーと火が燃えあがっている状況である。最初は企業理念どころではなく、まず着手したのは、資金繰りを確認しながら丁寧に財務状態を整えていくことだった。
 
そんな中で決めたのが、最初の社名変更だった。
 
2022年4月、「株式会社MDI」から「株式会社アーキテクト・ディベロッパー」へ。このときは、経営を立て直し、新しい会社に生まれ変わらせていく。そう決意しての社名変更だった。

再建期に掲げた「アーキテクト・ディベロッパー」という社名

この社名には、Architect(建築家)の持つ構想力やデザイン力と Developer (開発会社) の実行力を組み合わせ、建築的思考で『美しい暮らし方を住まいから』という新しい企業理念を体現していきたいとの想いを込めた。
 
しかし、当時の会社は社員の元気もなく、コンプライアンスも徹底されていない状況で、組織は非常に荒んでいた。金融機関からは完全に見放され、借り入れができない不動産業という、絶望的な状況からのスタートだった。
 
再生の道は、決して華やかなものではなかった。ヒット商品で一発逆転、というストーリーは当社にはない。
 
あったのは、一つひとつ地道に行っていく合理的なビジネスジャッジの繰り返しだ。バランスシートをクリーンにし、無駄を徹底的に削ぎ落とす。一方で、攻めるべきところは攻める。そして何より、ゼロから金融機関との信頼関係を再構築していく。
 
そうした当たり前のことを、ただ淡々と、愚直に繰り返す中で、会社は少しずつ良い方向へと向かっていった。

なぜ今、「帝国不動産」なのか

その過程で私の考えは大きく変わっていった。
 
ゴールドマン・サックス時代の同僚たちが、給料が半分になるにもかかわらず「この会社でやっていくことを楽しみたい」と次々にジョインしてくれた。
 
そして、もともといた社員たち。中途で入社してくれた社員たち。さらに何に魅力を感じてくれたのか、入社してくれた新卒たち。
 
彼らと共に仕事をする中で、この会社には、中堅企業でありながら驚くほど魅力的で有能な人材が数多くいることに気づかされたのだ。彼らは自発的に考え、行動できるだけでなく、誠実で素直で優しさに溢れている。その姿を見て、私は経営権を第三者に売り渡すのではなく、自主独立の形で、このメンバーと共に永続的に成長させていきたいと強く思うようになった。
 
それが株式公開をめざすという選択を選ぶことに繋がる。そして、会社は再建期を脱し、次なるステージとして公開企業を見据えるようになった今、改めて自社の存在意義を問い直した。
 
上場すれば、永続企業となり、社会の公器となる。ならば、目先の資金繰りに追われていたこれまでとは違い、もっと大きな視座で未来を描くべきではないか。
 
西武が旧華族の土地を譲り受けプリンスホテルを作り上げたように、また森ビルがアークヒルズを皮切りに港区へ経営資源を一極集中したことで飛躍したように。あるいは、かつては名もなき商人だったであろう三井不動産や住友不動産の開祖が、数百年という長い年月をかけて日本を代表する企業になったように。
 
私たちも、カルチャーを大切に、正しいビジネスプラクティスを反復継続していけば、いつか日本を代表する、あるいは世界で戦える企業になれるのではないか。そう考えたとき、より大胆な、大きなゴールを掲げるべきだと感じた。
 
「社名を帝国不動産に変更します」と伝えるとだいたいの人の反応は、「帝国サンか、面白い社名だね」と少し苦笑いを浮かべる。そりゃあそうだ、売上700億円、従業員800名くらいの会社が、ちょっと業績が上向いたからといって「帝国」のような大言壮語な名前をつけるのがおこがましいことに異論はない。
 
ただ、10年以内には帝国不動産の名が世の中に静かに伝播していき、「帝国不動産さんの仕事か。彼らならこれくらいのことやるだろうね」というブランドに変わっているだろう。そして、良い仕事が何年も続いた50年・100年後には、わが国を代表するような国家プロジェクトに旧財閥系ディベロッパーと合弁で事業を行うようになり、例えば「〇〇〇再開発プロジェクトは、三菱地所、三井不動産、帝国不動産、森ビルの4社で進めます」と併記されるような日がくる。
 
はるか遠くの大きな目標には感じる、ただ必ずしも非現実と言い切れない未来だとしたら、今からその気になって立派な名前を冠してしまおう、そのように考えた。

日本人の美徳の源泉

この「帝国」という言葉には、紡いでいきたい価値観が込められている。
 
私はイギリスで幼少期を過ごした体験、また新卒から18年を米系投資銀行で就業した経験から、日本人としてのアイデンティティを強く意識することが多い。
 
かつてGS時代に所属したAsian Special Situations Groupには、ASSG Tokyoと呼ばれる日本でのビジネスをカバーするチームとASSG Hong Kongと呼ばれる日本以外のアジア全域をカバーする2つのチームに分かれていた。両者はP/Lを共有し支え合いつつ、常によいライバルだった。
 
私が新卒で2001年に入社してから退職するまでの18年の中で、年次パフォーマンスでASSG TokyoがASSG HKの後塵を拝したのはわずか5年くらいではないかと思う。むろん投資環境の違いはあるので単純比較はできないが、ディールの組み立て、Structureの細部へのこだわり、Risk mitigation(リスク抑制)への姿勢に根本的な違いがあったように思う。

私は、いつでも日本チームが誇らしかった。
 
イギリス人にはイギリス人の、アメリカ人にはアメリカ人の思想や行動原理があるように、日本人にも独自の思想、賢さと強さがある。また私は、住宅という人の生活に深く関わる事業を通じて、日本人の美徳、清潔さ、覚悟、他者への気遣いなど、その性質の素晴らしさについて改めて気づかされた。
 
その根源的な部分がどこからくるのか、それはこの極東の小さな島国のなかで紡いでこられた歴史に起因するのではないかと考える。そして、私たち日本人を形作ってきた歴史の中心には、2500年の長きにわたり天皇陛下が存在し続けた。立憲君主制の国は未だに世界に数多あるが、わが国がその最古のものであることと、日本人とは何たるかが無縁であるはずはない。
 
その思いが、「帝国」という言葉に集約されている。

「帝国」という言葉が持つ強さと認知力

もちろん、「帝国」という言葉が持つ強さや、それゆえのリスクは十分に認識している。今の世相の中で、右傾的だと捉えられかねないという懸念もあるだろう。
 
私自身は平和主義者であり、そうしたイメージは本意ではない。そもそも天皇陛下ほど、平和と国民の安寧を願う存在を私は知らない。大震災があれば被災者に言葉をかけ、オリンピックで日本選手が勝利をすれば努力を称え、私心を捨て国民に寄り添うその姿はまさに国民統合の象徴といえる。
 
いずれにせよ、この名前にはそれを補って余りある力がある。それは、圧倒的な『認知力』だ。誰に話しても、「木本啓紀」の名前は忘れても「帝国不動産」という名前は覚えてもらえる。パブリックカンパニーを目指す上で、認知されることは極めて重要だ。
 
興味深いことに、「帝国」という言葉は、現代においてほとんど使われていない『空き家』のような単語だ。終戦までは「帝国〇〇」という会社が何千社とあっただろうが、戦後、その多くが名前を変えた。GHQ統治下の時代の空気があったことは想像に難くない。
 
一方で、新たに設立されたベンチャーがこの名を冠することはないし、既存の大企業が統合の際に採用することもないだろう。
 
だからこそ、倒産の淵から再生を遂げ、変化をむしろ愉しむ少しばかり「ぶっ飛んだ」私たちのような中規模の会社が、このパブリシティのある言葉を使うことに意味があるのだ。
 
世代によって受け止め方が違うのも面白い。年配の世代が昭和前期を想起する一方で、若手社員からは「大きなビルを建てそうですね!」というポジティブな反応が返ってきた。
 
帝国ホテルや帝国劇場がそうであるように、私たちが良い仕事を続け、社会に価値を提供し続ければ、この名前は自然と受け入れられ、信頼の証となっていくはずだ。

合理と情緒の両輪

では、帝国不動産が提供する価値とは何か。
 
それは『合理と情緒の両輪』である。
 
私たちの強みの一つは、データとテクノロジーを駆使した徹底的な合理性にある。自社で保有・管理する物件の入居率は、14年連続で99%を超えている。これは、単に家賃設定がうまいからではない。
 
ADIマップと呼ばれる独自の地図システムで駅や周辺環境を定量的に分析し、ACS(ADI Core System)という自社開発の基幹システムで業務を効率化する。賃貸借契約書をはじめ紙の書類はほぼ存在せず、あらゆる情報がデジタル化されている。
 
最近ではACATという社内AIプラットフォームも稼働させた。
 
しかし、私たちはテクノロジーを売る会社ではない。あくまで不動産業という本業を、より効率的に、よりリスクを抑えて最適化するためにテクノロジーを活用しているに過ぎない。
 
その一方で、私たちは「美しい暮らし方を住まいから」という企業理念を掲げ、住まいづくりにおける情緒的な価値を何よりも大切にしている。
 
住宅メーカーのCMにありがちな、ただ「ほっこり」した世界観だけではない。私たちは、その裏側で、徹底的にロジカルに、抜け目なくビジネスを設計している。この『二重人格性』こそが、私たちの本質だ。

帝国不動産の未来

これからは、LiVLi(リブリ)を中心とした当社の多様なブランドの上に、『帝国不動産』という名が掲げられる。
 
それぞれの事業が私たちの思想を体現することで、ブランドの裾野は大きく広がっていくはずだ。
 
今後どのような事業が加わるのか、私自身も楽しみが大きい。ただ、これだけに留まらないことだけは約束したい。CFOの齋藤崇吉からは「三井不動産には437社の子会社がある。帝国不動産もそれくらいになったら一社くらい社長やらせてもらいますわ」と軽口を言われている。
 
今回の社名変更は、私たちの第二の創業である。もはや第三か。
 
先述したように5年、10年後にはこの名前が当たり前になり、数十年後には、私たち自身が経営のバトンを次の世代に渡しているであろう。
 
その未来において、「帝国不動産」が日本を代表する企業として社会に認知されていること。それが私の描く未来図だ。今年の春、Houlihan Lokeyのカンファレンスに我々が招待されることはなかった。きっと、この先もずっとないだろう。
 
この社名を掲げ、私たちは着実に、未来に向かって挑戦を続けていく。


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