デブじじい😔😣😢😭 が思うことこれはいつから?vol.10からクリームパンについて
☆皆さまお疲れのところ、毎度お騒がせしております😁
デブじじいでございます😊
いつものお約束で(笑)ラーメン🍜大好き(。・ω・。)ノ♡、ビール🍺大好き(。・ω・。)ノ♡、刺身🐡大好き(。・ω・。)ノ♡、焼き鳥大好き(。・ω・。)ノ♡、日本酒🍶大好き(。・ω・。)ノ♡、甘いもの🍰大好き(。・ω・。)ノ♡のデブじじいです(笑)
そしてこれも決まっていつもの(〃艸〃)ムフッ新年度に入り年が変わって半年が過ぎ、7月17日になりました( ゚Д゚)月日の経過の早さにあっという間だなと感じているデブじじいです。そして毎度のことですが、思うことはいつも同じで、2026年もこれからもずっと、この地球上の人々が幸せに、争いごとやもめたりもせず、今この時も戦争している国は、早く戦争を終わらせて、トランプ大統領もプーチン大統領もみんな仲良く生活できるようになってほしいと願うデブじじいなのです_(._.)_といつも変わらない表現ですみません_(._.)_
☆それでは、皆さまタイトルのデブじじい😔😣😢😭が思うことこれはいつから?はあんぱんについてです。と、7月13日にご紹介させていただきました。そのときに、あんぱんの歴史についての項目の中で、ジャムパンとクリームパンのことについて少し触れましたが、今回はクリームパンについての始まりなどを以前よりも掘り下げて調べてみようと思います。それではデブじじいの拙い話に最後までお付き合いいただければ幸いです_(._.)_
☆クリームぱんとは

クリームパンは、中にカスタードクリームが入っている菓子パンの一種で、中村屋の創業者の相馬愛蔵は、1901年(明治34年)の創業以来、妻の相馬黒光とともに独創的なパン・食品を作り続けた。1904年(明治37年)にはシュークリームをヒントに現在もポピュラーな菓子パンであるクリームパンを考案した。

歴史
シュークリームの美味しさに感銘を受けた中村屋の創業者である相馬愛蔵がこれをパンに応用することを考え、1904年(明治37年)にクリームパンの製造・販売を始めたのが元祖である。
発売されたクリームパンは体力向上が叫ばれていた時代に栄養価の高い食べ物として受け入れられ、次第に全国へ広まっていった。

製法
カスタードクリームをパンの生地内に詰めてから焼成する、もしくはシュークリームと同様に焼成後に器具を用いてパンの生地内に詰める。
クリームパンにグローブ型が多いのは、詰め物をしたパンを焼く際に中に空洞ができてしまうことを防ぐためにグローブ型の切れ込みを入れたとする説と、切れ込みから中身がわかるようにするためとする説があるが、いつからこのような形になったのかは定説を得ていない。開発元の中村屋では「切れ目が入ったのは戦後のようです」としている。



派生品
派生品として、生クリーム、チョコレートクリーム、コーヒークリームなどを充填したものが挙げられる。


☆クリームぱんの始まり
🍞 誕生のきっかけ
クリームパンが生まれたのは、明治時代の日本とされています。
一般的に「クリームパンの元祖」とされるのは、東京・新宿中村屋です。
年代は明治37年、1904年ごろ
創業者の相馬愛蔵・黒光夫婦が、当時流行し始めていたシュークリームに着想を得て、パン生地の中にカスタードクリームを入れたと伝えられています。
この「パンの中にクリームを包む」という発想が、日本初のクリームパンとされています。
✋ 形のひみつ
昔ながらのクリームパンといえば、指が開いた「グローブ型」を思い浮かべる人が多いと思います。
生地の表面に切り込みを入れることで、発酵や焼成のときに中のクリームが膨らんで空洞になるのを防いだ
その結果、たまたま手袋のような独特の形になったという説があります。
はっきりした理由は記録に残っておらず「中村屋でも断定できない」と紹介されることもありますが、この空気抜き説がもっともよく語られています。
🇯🇵 日本発祥の菓子パンとして
あんぱん・ジャムパンと並んで、クリームパンは「日本で考案された三大菓子パン」としてよく紹介されます。
あんぱんが明治前期
クリームパンが明治末期の1904年ごろ
という流れで、日本人の口に合う甘いパンが次々と生み出されていきました。
☆中村屋がクリームパンを広めた手法は?
🏪 最初は一軒の繁盛店から
中村屋は1901年に東京・本郷で既に繁盛していたパン屋を引き継いでスタートし、その店で1904年にクリームパンとクリームワッフルを創案して売り出しました。
本郷は東京帝国大学正門の目の前で、学生や教員、近隣の知識人が多く集まる場所でした。
この立地のおかげで、新しいパンが口コミで広まりやすい環境にあったと考えられます。
📈 人気商品をテコに店舗拡大
クリームパンなどの新商品がヒットしたことで売り上げが伸び、中村屋は新宿に支店を出すまでに成長します。
その結果、東京の別エリアへと顧客層が広がり、クリームパンも一緒に広まっていきました。
その後も中村屋は「独創的な商品」と「販路の拡大」に力を入れ、パンや菓子だけでなく外食や量販店、コンビニ、ネット通販など、多様なチャネルで商品を展開していきます。
こうした流通の広がりの中で、元祖商品としてのクリームパンも長く浸透していきました。
🧁 「元祖」としてのブランド化
中村屋自身が、クリームパンを「元祖クリームパン」として発信し続けていることも、広まり方のポイントです。
会社案内や商品紹介で、1904年に創案したことや日本初クラスの商品であることを繰り返し打ち出し、現在も本店などで「元祖クリームパン」として販売しています。
この「元祖」という物語が、メディアや雑誌の記事にも取り上げられ、クリームパンの歴史とセットで語られることで、一層全国的な知名度につながっています。
🧂 時代のニーズに合った商品性
明治の終わりごろは、体力向上のための栄養食が重視されていた時期で、乳製品を使ったクリームパンは「栄養価の高いパン」として受け入れられやすかったとされています。
「新しい洋風のおやつ」でありながら、あんぱんの延長線上で親しみやすい甘さだったことも、自然に広まった理由の一つと考えられます。
☆クリームパンが栄養食品とされた理由は?
🥛 乳製品が「準完全栄養」
明治時代には、西洋医学とともに牛乳や乳製品の栄養価が広く評価されるようになりました。
牛乳はたんぱく質やカルシウム、ビタミンなどをバランス良く含む食品として「準完全栄養食品」と説明されてきました。
明治時代初期には、特に砂糖を加えて濃縮した乳製品や加糖練乳が、子どもや病人向けの栄養食材として扱われていたことも記録されています。
このような「乳製品=体力づくりに良い」「子どもの栄養補給に役立つ」というイメージが、当時すでにできあがっていました。
🍮 クリーム=子どもの栄養源
新宿中村屋が自社サイトで紹介しているクリームパン誕生エピソードの中でも、創業者夫妻は「乳製品を使ったクリームは、子どもの栄養の面でも良いだろう」と考えていたと説明されています。
つまり、
乳製品は栄養価が高いという当時の常識
甘くて食べやすいので、子どもにもとりやすい
この二つが合わさり、「おいしいおやつでありながら栄養食品」という位置づけになったと考えられます。
🍞 パン+乳製品という組み合わせ
明治後半は、主食の米が高騰したり、西洋式の栄養学が広まったりしたことで、パンが「新しい主食」や「体力づくりのための食べもの」として注目されていた時代でもあります。
パンそのものが「近代的で栄養のある食べ物」というイメージを持ち始めていたところに、乳製品のクリームを組み合わせたことで、クリームパンはなおさら「栄養のあるハイカラな菓子パン」と受け止められたと考えられます。
☆今日もここまでデブじじいの長く拙いお話しにお付き合いいただきましてありがとうございます_(._.)_
こちらも調べてみてわかりましたが、今川焼とあんぱんに比べると、始まりは明治37年とは若いですが、それでも誕生から来年で120年になるパンです。これもまた今川焼とあんぱんに次いで古い歴史のあるものということが分かります。デブじじいは、今までと同様に古くても大正時代の中頃か昭和の初めあたりと思っていましたが、これもまた以外に古くてまた( ゚Д゚)です。あと、銀座中村屋が手掛けたというのもあんぱんと同じく、知らなかったのでこれもまたΣ(・□・;)です。今川焼とあんぱんと同じくまた奥が深いものでした。以上、デブじじいの戯言にお付き合いいただきありがとうございました_(._.)_
☆それでは皆さま、今後ともまたよろしくお願いいたします_(._.)_これからも色々と拙いことだらけのお話しになるかもしれませんが、その時はお付き合いのほどよろしくお願いいたします_(._.)_
それでは皆さま、ごきげんようさよなら_(._.)_
