外国人批判の深層――「日本人」とは何かを問い直す哲学的考察
現代日本に蔓延する外国人批判の諸相
私のまわりやネットで最近よく外国人批判をする方がいます。よく聞かれるのが
1最近コンビニの店員が外国人ばかりになった。
2技能実習生、育成就労制度などを活用して企業で働く人が増えた。
3京都や東京などの観光地で世界中から外国人が来るようになった。
以上の三つがよく聞かれますが、この私たちの外国人批判をしたいという根源の思想はどこにあるのでしょうか。ネットや一般社会で外国人批判を行っている人たちにとって、これら三つのことは大切な日本社会と日本の歴史、私たちの文化を壊してしまうものであり、できるなら外国人に日本には来ないでほしい。インバウンドなんかいらないし、企業もできるなら日本人を雇って日本人だけの会社にしてほしいという気持ちが根底にあると思います。
恐怖と憎悪の正体:埼玉県での実体験から
ではなぜ私たちは私たちの日本が日本人のためだけにあってほしいとか、外国人はできるだけ日本に来ないでほしいとか思うのでしょうか。私がいわゆるネトウヨやネット保守と呼ばれる人とソーシャルメディア、特にXやThreads、グラビティなどで議論をしていると、彼らに共通するのは外国と外国人に対する怒りと憎悪です。
ではなぜ彼らは外国と外国人に対してそこまで反感を持ったりするのでしょうか。たとえば、私は埼玉県に住んでいますが
「埼玉県は大変ですね、クルド人が暴れていて。。本当に大変ですね。。」
と言われることがあります。私は東松山市、埼玉県の中部に住んでいますが、いまだにクルド人とはお会いしたことがおそらくありません。そして本当に川口市などの県南部でクルド人の方たちが悪いこと、犯罪行為をしてるのかどうかもわからない。とはいえ、クルド人問題というのは日本と日本人が最近抱えている大きな恐怖の対象であるとはいえましょう。

日本特有の差別の対象:外見の類似と政治的背景
私が日本人の外国人嫌悪をネットやリアルで深く分析していると、それは肌の色や人種や民族、あるいは異なる宗教などに原因があったりする事もあるようです。それはアメリカやヨーロッパなど他の先進国、資本主義国、自由主義国でもありうる話ですし、日本でそういった方達に対する差別がないとは言いません。しかしながら、私たち日本人は他の国と異なる外国人事情を抱えていると思います。
私が指摘したいのが、日本人の外国人批判の多くがほぼ私達と外見が同じである中国人や韓国人に対して多く行われているという事です。この両国とは政治的、歴史的に複雑な事情がありました。戦争もありましたし、反日教育と呼ばれるものも確かにまだあるという話も聞いています。
しかしながら、日本と日本人の外国人憎悪の根底が人種や異なる宗教にあるのならば、彼らに対して日本人の憎悪は向けられないのではないかと思います。なぜならば、私は韓国人に対しては良く知りませんが、中国人の多くが、おそらくは共産党政権の影響でしょうか、無宗教の方が多いですし、少なくとも中国人の事を宗教を原因にして憎悪する必要は少ないわけです。そして中国人の多くが私達と同じ様な外見をしています。外見を理由に中国人を差別するという動機もあまり見当たりません。
けれども、中国人や韓国人に対しては、それ以上に「見分けがつかない存在」に対する観念的な恐怖が私達にはあるのではないでしょうか。
在日陰謀論と「ユダヤ陰謀論」との共通点
私はコロナ禍の時にかなり陰謀論にはまりました。その陰謀論の多くがユダヤ陰謀論や在日陰謀論など、特定の民族や人種を悪とみなす思想であり、今思うとそれらを信じてしまって本当に申し訳ないと思うのですが、いわゆる在特会の主張の様に
1在日朝鮮人が日本を乗っ取っている、支配している。
2在日朝鮮人に対する特権が存在し、それらのために日本人が不自由している。
以上のような主張も本当かなと思いつつ、当時は結構信じてしまいました。私はハングルはできないので、韓国人と交流することは極めて少なく、実際のところは彼らに聞いてみることもできなかったのでよくわかりません。ただ、特定の民族が日本を支配しているという理論も、いわゆる欧米諸国におけるユダヤ陰謀論と極めて近いものがあると思います。といいますのも、在日朝鮮人の方は外見上は私たち日本人に極めて似た外見を持ちますし、欧米人にとってのユダヤ人も、外見上は白人の方が多く、見分けがつかないわけです。もちろん超正統派の方は黒いスーツを着てるので、それとなくわかるとアメリカ人が言ってましたが、一般の方には日本人にとっての在日朝鮮人も、アメリカ人にとってのユダヤ人も同じですが、見分けがつかないものであり、そしておそらくは大多数の日本人が在日朝鮮人の方と交流してる方が少ないのと同じで、多くの欧米人の方がいわばマイノリティであるユダヤ人の方と交流経験が少ない、これは共通してると思います。だから少なくとも在日朝鮮人に対する差別とユダヤ人に対する差別は似ていて、すごく観念的なものだと思います。自分たちが直接害を受けたり、ビジネス上で競合関係になってるとかなんらかの利害があるわけではないのです。
根源にある「日本人単一民族思想」という物語
私は全てがおかしくなっている原因として、日本人の単一民族思想があると思います。それは天皇陛下は万世一系にして天照大神(あまてらすおおみかみ)からずっと日本人は同一民族で社会や歴史が歩まれてきたという、いわば仮想世界のような物語です。そもそも歴史という言葉、HistoryヒストリーというのはHisヒズ(彼の)とStoryストーリー(物語)、つまり合わせるとヒズストーリー、彼の物語という意味があるという説もあり、逆に言えば歴史というのは客観的な証拠やデータの積み重ねだけでなく、いわば物語としての側面が強いわけです。我が国における平家物語のように、物語として琵琶法師に伝えられた話とか、枚挙(まいきょ)にいとまがありません。もちろん100%古事記を信じてる人とか、また古事記と日本書紀を両方読んでるという人も少ないと思います。ただ、おそらく作られた日本人単一民族説が勝手にひとり歩きし、そもそも古事記にも大和族(やまとぞく)と出雲族(いずもぞく)がでてきて、地方に異なる民族がいたことが書いてあり、そもそもの古事記自体がとなりの中国の言葉である漢文で書かれてたことまで知ってる人も少ないと思います。長くなりましたが、私の考えでは日本における外国人問題の大半は日本人単一民族思想にあり、神話や歴史に関する無知から来てると考えています。
教育現場の課題:異文化理解と「書く」英語教育
私がこの外国人問題を究明するにあたり、ひとつ解(かい)せないことがありました。それは、なぜ我が国の教育は、異なる民族、宗教、または外国ルーツのことや外国、外国人について教えないのかという事です。すでに学校によっては多くの方が外国や違う民族にルーツがある方がいるのは明らかですが、教育現場がどうなっているかはわかりません。私は埼玉県で教育を受けましたが、中学や高校でも外国や外国人については学びませんでした。ただ世界史や地理で、日本の外には異なる国があり、文化の違う人が住んでいると習っただけです。
異文化コミュニケーションの鍵は外国語教育
私たちの多くが言語教育が不足している、または正しい外国語教育が行われていないと言われてます。ご存じのように私も含めて大半の日本人が英語を10年近く勉強するのに英語を話すことができません。また、話すだけでなく外国の英語教師と話したところ、英語を書く教育も不足してると言われました。確かに英語というと英会話とか、あるいは受験勉強は読む力、TOEICや英検の勉強ではリスニングが重視されてきましたが、英作文は私はほとんど教師から習ったことはありません。日本人がLineを好んで使うように、世界でもメインは外国語を使った文章のやりとりです。書く力があれば世界中の人と英語を介してやりとりできるはずなのですが、英作文を学校で教えるというのは、教師が学生の書いた文章を文法やスペルまで全部チェックして提出させる、テストに出す等、膨大な手間と時間がかかるので、おそらくはめんどくさいから日本で英作文の教育がほとんど行われていないのではないでしょうか。その書く力が不足してると指摘した南アジアの英語教師から、私はどうやって英作文を学んだかを聞かれたので、HelloTalkでやりとりしてるうちに自然に覚えたと答えました。日本人は外国の事を知る、外国人とコミュニケーションするのに英作文、外国語の作文を学ぶべきです。

外国人側の閉鎖性と雇用主による管理
では日本人の外国と外国人嫌いに関し、外国人は問題はないのでしょうか。私は外国人にも問題はあると思っています。日本に来てる外国人の中には積極的に自分たちの文化を知ってもらいたいと考えてる外国人、日本人と交流したいと考えてる方もいれば、できれば現地の日本人とは関わりたくない、自分達、もしくは自分と近い国の人とだけ日本国内で付き合っていきたいと考えてる人も多くいるようです。
たとえば私は目の前にあるコンビニエンスストがほとんどが外国人従業員なので、少しだけ勉強してるベトナム語を使いたいと思い、
「シンチャオ Xin chao」
とベトナム人の女性に声をかけてみました。彼女からは何それと言われました。通じてないようでした。今思うとベトナム語は声調がたくさんあり、驚くほど難しい言語なので、あいさつとはいえ通じなかったのかなと思いましたが、SNSである日本人の方に聞くと、ベトナム人は技能実習生、育成就労の方が多くいるが、雇用者の日本人経営者が、現地の日本人と付き合わないように、話したりしないように指導してるケースもあり、聞こえていたのにベトナム語が通じないふりをしてた可能性を指摘されました。この場合、閉鎖的なのはベトナム人ではなく、日本人雇用者ですが、彼らは外国人たちを管理したいのでしょうか、もしくは余計なトラブルを回避しようというのでしょうか、とにかくそういう事もあるようです。私はフェイスブックに私の市のベトナム人コミュニティがあると聞いて、そこであいさつをしたら、
「なんだお前は、お前は彼女が欲しいのか。」
と言われてしまい、相当変な奴に思われたようです。私がいいねやコメントができないように彼らのグループで設定されてしまいました。確かに私はプロフィールの画像を、女性受けするイラストにしてくれとAIに頼み、作成したのを使ってたので、思えば私が悪かったのかもしれませんが、少なくとも、今たくさん日本に来てるベトナム人は、日本人との交流する意志が積極的でない方もいるようです。
聖域での衝突:ベトナム人神父との葛藤
私は昨年夏に地元のキリスト教会に行きました。外国人が多くキリスト教会には来てるので、友人が欲しかったのです。実際、実家のある自治体のキリスト教会でアフリカ人の友人ができたことがありました。国内で外国語を話す友人ができると飛躍的に外国語力が高まり、その国の文化も学べるので、お金もかからず最強なのですが、この日は油断しました。暑い日の八月、私は直射日光で死にそうになっていて、まだ礼拝が始まる前にキリスト教会の東屋(あずまや)、小さな小屋みたいなところで座って待っていたのですが、ベトナム人と思われる神父に声をかけられました。
「私は暑いのでここで座っていたのです。」
と伝えたかったのですが、その神父は猛然と私に対して怒り始めました。まず、そんなところに座ってるんじゃないという話と、私の見た目がホームレスみたいだ、教会には正装で来ること、寝間着(ねまき)、パジャマみたいので来るなという事を言われました。私は病院に入院してましたし、そういえば感覚がずれていたなと思いました。退院してから交流してたのは多くが池袋の中国語交流会の中国人達で、中国人達も服装に関しては無頓着で、いつもTシャツにジャージみたいなので来てましたから、私と似たようなもんでしたし、そういえば私が正装で来るべきところを申し訳なかったなと思いました。神父は私に生活保護は受けてるのか、食事をめぐんでほしいから来たのかとか、よくわからないことをいろいろ聞いてきました。この時は私が悪かったのですが、この神父にはまいりました。よく観察していると、他の外国人に対しても叱責(しっせき)していたので、厳しい方なんだなと思いました。
まとめ:外国人批判とは「他者」ではなく「自己」を映す鏡である
以上、長くなりましたが私は現在の日本を取り巻いている外国人と外国との関係に関する問題、そして私の異文化体験を語ってきました。私は今回日本と日本人の事を批判したくてこれを書いたのではありません。何しろ私自身が外国と外国人に対する陰謀論を信じたり、私自身も外国語をHelloTalkで学ぶまで、偏見がたくさんありました。今でも自分よりも大きい外国人や、異なる宗教や思想を持つ人たちに対して違和感や恐怖があったり、時に偏見を持ったりします。思えばこれらの事も私達の魂の成長と経験の糧(かて)なのだと思います。私達は初めに母親の体内から産み落とされ、全く未知のこの世界を少しずつ認識し、さまざまな事を学んでいきます。それは主に体験や経験を通してであり、または学問や読書を通してであったりします。そして私は今思うのですが、間違いなく私たちの精神を格段に成長させる事は、自分とは違った存在、異質の文化を受け入れる事なのです。
私は何年も前にHelloTalkであるアメリカ人と話し、真に学ぶとは異なる文化や考え方を理解する、受容する事だと教えてもらいました。それ以来、LGBTであったり、ベジタリアンであったり、共産主義者であったりする人たちと交わり、異なる思想を理解し学ぶことに努めてきました。残念ながらそれがあまりに面白すぎて、ここ10年以上まともに働くことをしなかったのですが、それ以上に大きなものが得られたので、ここでそれを言語化し、皆さんと私の得られた知見を共有したいと感じています。私の書いた文章に対して質問やご意見がありましたら、いつでも歓迎いたします。これからもnoteの記事を書いていくので、応援をよろしくお願いいたします。
#外国人問題
#日本社会
#多文化共生
#異文化理解
#社会問題
※以下が私の作成した外国、外国人、異文化交流等の文章です。よろしければご覧ください。
