テレサ・テンが今も日本人に愛される理由「やさしさ」と「哀しさ」、そして歴史の中の歌声
先日、私は小泉今日子さんの護憲アピールについて考える論考を書いた。
そこでは主に、 「芸能人の政治発言」 「芸と影響力の距離」 「表現者の責任」 について考察した。
私は基本的には、芸能人が本業に強い政治色を持ち込むことに慎重な立場である。
もちろん思想信条の自由は認められるべきだ。
しかし本当に強い信念があるなら、それは直接的な政治的メッセージとしてではなく、作品そのものへ還元されるべきではないか。私はそう考えている。
だが、その論考を書きながら、あるひとりの歌手の存在を思い出していた。
テレサ・テンである。
1989年、香港では中国民主化運動を支援する大規模イベントが行われた。
その場に、テレサ・テンは鉢巻姿で現れ、自らの歌を歌い、民主化運動を支援した。
その後、中国本土では天安門事件が発生し、民主化デモは武力によって鎮圧される。
そして彼女の中国本土で予定されていたコンサートも全て中止となった。
私は今回、小泉今日子さんとテレサ・テンを単純に比較したい訳ではない。
時代も状況も全く異なるからだ。
小泉今日子さんが現在の日本社会の中で発したメッセージと、1989年という極めて切迫した東アジア情勢の中でのテレサ・テンの行動を、同列には扱えない。
しかしそれでも、私はテレサ・テンのあの時の行動について考えずにはいられなかった。
なぜなら、彼女はあの時、「歌手テレサ・テン」として以上に、ひとりの「中国人=チャイニーズ」としてそこに立っていたように見えるからである。
彼女にとって歌は、単なる仕事ではなかった。
それは自らの存在そのものであり、アイデンティティの証明でもあった。
だから彼女は、政治演説ではなく、「歌」を歌った。
そしてその結果、自らの仕事にも大きな影響を受けることになった。
だが私は、彼女に後悔はなかったのではないかと思う。
人は時に、損得や利害を超えて、声を上げなければならない瞬間がある。
彼女にとっては、それが1989年だったのだろう。
だから私は、あの時のテレサ・テンの行動を批判することが出来ない。
むしろそこには、人間としての切実さを感じる。
そして私は、テレサ・テンという存在について改めて考えた。
彼女は単に「歌が上手い歌手」ではない。
もちろん技術的にも卓越していた。
しかし日本人が今も彼女を忘れられない理由は、その歌声の中に、「やさしさ」と「哀しさ」が同時に存在していたからではないだろうか。
その哀しさは、単なる失恋の感傷ではない。
どこか、 時代に翻弄される人間の孤独、 故郷を持ちながら漂泊する感覚、 東アジアの歴史そのものの影まで含んでいるように感じる。
だから彼女の歌は、日本人にとっても「異国の歌」にならなかった。
日本人もまた、戦後の高度経済成長の中で、豊かさと引き換えに孤独や郷愁を抱え込んだ。
テレサ・テンの歌声は、そうした感情に静かに寄り添った。
彼女の歌には、 「強く生きろ」 という押しつけがない。
むしろ、 「人は弱く、寂しく、それでも生きていく」 という感覚への深い理解がある。
だから今も世代を越えて愛され続けているのだと思う。
そして1989年の彼女を見つめ直す時、私はそこに、「人は歴史の前でどう振る舞うのか」 という問いを見る。
普段、人は日常を生きている。
仕事をし、娯楽を楽しみ、平穏を願う。
しかし時代によっては、「それでも黙っていられるのか」を問われる瞬間が来る。
そしてその時、人は何を失う覚悟で声を上げるのか。
それは決して中国や台湾だけの問題ではない。
いずれ私達日本人にも、同じように覚悟を試される時代が来るかも知れない。
私は、今も日本で愛され続けるテレサ・テンという存在を通して、改めてそんなことを考えさせられたのである。
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