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「知らなくていい」という作戦と、AI時代における引き算の観察

最近、AIに関する最新情報を大風呂敷を広げるように拾い集め、あれもこれもと無我夢中で手を出している自分に疲れました。

新しいツールが発表されれば、とりあえず触れてみる。趣味でした。

しかし今は、強迫観念にも似た日々を送る中で、ふと「今の自分のスタンスには、少し無理があるのではないか」と立ち止まるようになりました。

世間で言われる「AI疲れ」という状態に、私もどっぷりと浸かっていたのかもしれません。


思えば、私が現役で最前線に立っていたOA化やIT化の時代には、自分に対する明確なルールがありました。それは、「分かっていない上司には絶対になりたくない」という強い矜持です。

新しいシステムが導入されるたびに資格取得を周囲に宣言し、独学で学びました。IT方面を指揮・コントロールできる立場を維持したい、という気持ちがありました。

資格を取り続ける日々は決して楽なものではありませんでしたが、技術の概略を理解し、自分の手でシステムをいじくり回す、確かな手応えと楽しさがありました。


しかし、AI化の時代を迎えた今、かつての「多くを知って、しっかりコントロールする」という成功体験をそのまま持ち込もうとしたところに、今回の決定的な無理が生じたようです。
AIの進化のスピードと領域の果てしなさは、一個人がすべてを把握できる規模を、とうの昔に超えてしまっています。

少し前、煽るように情報を発信する人々の熱狂について冷ややかに考察したことがありましたが、私自身も無意識のうちに、その巨大な情報の波に飲み込まれ、静かに疲弊していたのでしょう。


そんな息苦しさを抱えていた折、ある記事の中で、ふと背中を押されるような印象的な言葉に出会いました。

「見えないということは、見なくていい」
「分からなくていいことは、分からなくてもいい」 そして、
「そこには知らない、それがあることを知っているだけでいい」

というフレーズです。

これまでの私は、不必要に自分を追い込んでいたのかもしれません。
かつて個人のデジタル環境における「都合の良い境界線」について思いを馳せたように、技術の多くを管理しようとする古い常識こそが、今の私にとって重たい足かせになっていた気がしてならないのです。

私たちシニア層が本当に意識すべきなのは、分からなくていい暗がりにはあえて踏み込まず、自分にとって必要な機能だけをフラットに受け入れることなのでしょうか。

「そこには私の知らない仕組みがある」という事実を知っているだけで十分なのだと割り切ることで、肩にのしかかっていた、AI疲れはふっと軽くなるのを感じます。


スポーツや旅行といった、これからの自分の豊かな時間を少しでも多く味わうためにも、この「分からなくていい」という潔いスタンスを採用して、仕事も思考も身軽にしていきたいと、心から思いました。

歯を食いしばって全容を理解しようとするのではなく、自分にとって「見なくていいもの」と「見るべきもの」の境界線を冷静に見極めること。

一見、逃げに見えるかもしれませんが、体力も気力もピークを過ぎている今、最高のパフォーマンスを出すのは、この作戦かもしれません。

溢れる情報のノイズを削ぎ落とし、そのような冷静な「引き算の設計力」 を持つことこそが、変化の激しい時代を穏やかに歩むための、新しい技術との最も心地よい距離感に、なるのではないかと思ったわけです。


今日の一枚:羽田空港隣接ホテル



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