型を全部満たしたのに、二本の結果はそろわなかった話
「数字・実験・持ち帰れる中身」を揃えれば読まれると思ってた。二本で確かめたら、一本は沈み、もう一本は閲覧は平凡なのにスキだけ二位だった。
型は「見つけてもらう力」には効かなかったが、「見つけた人に刺さる力」には効いたかもしれない。(あくまで主観です。)
それでも型は捨てない。
読者のためだけでなく、自分、書き手が悩まずに済むための備忘録のようなものとして作ったもの。
という立ち位置でもある。
そのうちの一本は、AIを呼び出すたびに発生する固定費を実測した記事だった。
まったく同じ「一行返すだけ」の仕事を二人のAIに渡したところ、
道具を全部持たせた側は45,700トークン。
道具を五つに絞った側は27,000トークン。
約1.7倍の差。
中身は同じで、違うのは持たせた道具だけ。
呼び出し方ひとつでこれだけ変わる、という記事だった。
もう一本は、AIの残りの体力を常時表示する仕組みを自分で組み、動くコードとそのままの画面のスクリーンショットを両方載せた記事だった。読みながら手元でそのまま真似して作れる作りを意識して書いた。
▼▼▼ この記事 ▼▼▼
どちらの記事も、私が「これなら読まれるはずだ」と信じ込んでいた条件を、少なくとも自分の中では全部満たしていたつもりだった。
数字がある。
裏取りできる実験がある。
持ち帰れる中身もある。
そう思っていた。
台帳を見直したら、二本は同じ結果ではなかった
数字を確かめずに書き始めるところだった。台帳をもう一度、順番に見直したら、二本の結果はまったく違う場所に転がっていた。
固定費を実測したほうの記事は、閲覧数10。
数字を取れている十八本のうち、下から数えて三番目という、正直に言えばかなり低い位置。
もう一本の、ステータス表示の記事は違った。
閲覧数は21で、十八本のちょうど真ん中あたりに収まっていた。悪くはないが、飛び抜けてもいない、平凡な数字。
これくらいで喜べる自分が誇らしい。(´∀`*))ァ'`,、
ところがこの記事、スキの数だけ見ると話が変わる。スキは10で、十八本の中で二番目に多い。一番上にいるのは有料記事一本だけで、無料記事の中では実質トップ。
閲覧は真ん中、スキは準トップ。
台帳を並べ直して確かめたところ、この二つの指標がそろって動いていない記事は、この一本だけではなかった。閲覧の順位とスキの順位を十八本全部で突き合わせ、順位が五つ以上離れている記事を数えたら、九本あった。
しかも向きは一様ではない。閲覧が三位という記事なのに、スキは二つしかなく、下から数えて五本のうちに入っていた。見られてはいるのに、刺さってはいない記事もあれば、ステータス表示の記事のように、その逆——見られている数は平凡なのに、見てくれた人にはよく刺さっている記事もある。
「型を満たしたのに伸びなかった」は、片方にしか言えない
最初に書こうとしていたのは、「型を全部満たした二本が、どちらも沈んだ」という話だった。だが数字を見直した今、それはもう書けない。
固定費実測の記事については、その言い方でまだ通用する。数字も実験も入れたのに、閲覧は下から三番目だった。これは事実として残る。
だがステータス表示の記事は、沈んだわけではなかった。
閲覧こそ平凡だったが、読んでくれた人の中では、これまでで二番目に高い割合でスキを押されたことになる。
型は、少なくともこの記事では、見つけてもらう力ではなく、見つけてくれた人を満足させる力のほうに効いていたのかもしれない。
「型を満たしても伸びない」という一つの結論にまとめてしまうのは、二本のうち一本の結果だけを使って、もう一本の結果を握りつぶすことになる。それはやりたくない。
型を満たしても伸びない記事は、うちだけではなかった
閲覧が伸びなかった、という点に限れば、うちの記事だけに起きている現象なのか、それとももっと一般的に起こりうることなのか。その疑問を抱いたまま、公開されている他の記事も横断的に確認してみることにした。
検索条件を絞って三十本あまりを実際に確認したところ、数字や、すぐ使える資産といった、伸びている記事に共通する要素を二つ以上持ちながら、公開後の反応が小さいままの記事が、少なくとも八本は見つかった。
つまりこの型は、「あれば必ず伸びる」ということを保証するものではなかったらしい。十分条件ではなかった、ということになる。
ただし、この十分条件ではないという話は、あくまで閲覧という一つの指標だけを見たときの話だ。スキという別の指標まで含めると、型が効いている場面もあるかもしれない、という含みは残しておきたい。
それでも型を外すつもりはない
型が十分条件ではないと分かったからといって、数字や実験を記事から外すつもりは今のところない。理由は単純で、型がないと次に何を書くかを自分で決められなくなってしまうからだ。
型があれば、次の記事に取りかかるときに「今回は何を測るか」というところから考え始められる。型がなければ、毎回ゼロから「面白そうな切り口はないか」と探し直すところから始めることになってしまう。
型は、読者を必ず引きつけるための保証ではなく、書き手である私が迷わずに手を動かし続けるための、最低限の設計図のようなものなのだと、今回のことがあって改めて考えるようになった。
足りなかったのは、たぶん型の外側にある
では、閲覧を伸ばすために型のほかに何が足りていないのか。ここは正直に書いておくと、私自身まだはっきりとした答えが出せていない。今のところ、候補として考えているものが二つある。
一つは、記事を見つけてもらうための経路そのものの弱さだ。公開した瞬間に、誰かの目に自然と入っていくような仕組みが、こちらの側にまだ十分には育っていないのだと思う。
もう一つは、これまでに公開してきた記事の本数だ。まだ二十本を数えた程度で一つの傾向として語るには、正直なところ標本そのものが少なすぎるという単純な事情もある。
型を疑ってすぐに別の型へ乗り換えるより、型の外側にある要素のほうを一つずつ確かめていくほうが、遠回りに見えて実は近道なのではないかと、今のところは考えている。
数字を出し続けることに決めた理由
閲覧数10の記事と、スキだけ突出した記事を、こうして並べてそのまま書くのは、正直に言えばあまり気持ちのいい作業ではなかった。だが数字を隠して都合のいい記事だけを手元に残しておくほうが、あとで自分自身を裏切ることになる。
型を満たした記事の結果がそろわなかったという今回の記録も、いずれは型そのものの限界を測り直すための材料になるはずだと考えている。今の段階では、その材料をまだ一つずつ地道に集めているところなのだと思う。
次に書く記事でも、数字と実験は変わらず入れ続けるつもりでいる。そのうえで、閲覧とスキという二つの指標を分けて見るところから、もう少し丁寧に確かめていきたいと思っている。
自分が書きたい記事もそうだが、いかに相手のためになる記事になるか考えながら書いていきたい。
