「欲望」小池真理子 著
こんにちは、aicafeです。
40代、人生時計で14:00頃に差し掛かったところです。
これからの人生の午後の時間の過ごし方を模索中です。
中年の美しい生き様について考えている私にとって、小池真理子さんの本は外せない、といつからか考えていました。
まだ学生の頃、小池さんが「恋」で直木賞を受賞した時のセンセーショナルな報道は今も印象に残っています。小池さんの美貌と著作の内容の鮮烈さが相まって、「これはまだ読んではいけない本だ」と思ったほど。
最近はパートナーの藤田宜永さんを喪われた後の感情を見つめて記録した著作が話題になっていたこともあり、「そうだ小池さんの本を今こそ読もう」と思い、手に取ったのでした。
タイトルからしてストレート、「欲望」。
実際、人間の欲望の奥底を覗くような内容になっている。
文庫本の背表紙の内容紹介にはこうある。
三島由紀夫邸を寸分違わず模倣した変奇な館に、運命を手繰り寄せられた男女。図書館司書の青田類子は、妻子ある男との肉欲だけの関係に溺れながら、かつての同級生である美しい青年・正巳に強くひかれてゆく。しかし、二人が肉体の悦びを分かち合うことは決してなかった。正巳は性的不能者だったのだ――。切なくも凄絶な人びとの性、愛、そして死。小池文学が到達した究極の恋愛小説。
舞台は1970年代終わりの東京。
類子と同僚の世界史教師の能勢が情事の前にチーズとオリーブでワインを堪能する様子や、正巳が運転するのが青いフォルクスワーゲンであることなど、当時の日本にこのような“ファッショナブル”な人たちが実在したのだろうかと訝しく思ってしまう一方で、三島由紀夫邸を模倣した館を築く精神科医の袴田と、父親とも思しき彼に見染められ結婚した阿佐緒の奇怪な関係性には、やはりその時代の毒々しさのようなものも感じてリアリティがある。
同級生だった類子と正巳と阿佐緒の縁が、袴田を介して不思議と手繰り寄せられ、いつしか類子と正巳が抗い難く強く惹かれ合っていく展開は劇的なようでいて「地味」でもある。こうした縁は、生きていれば誰しも感じることのあるもので、小説的と言えるほどでもない。ゆえに読者は自分の人生にも起こり得そうな展開に、自身を重ねて唾を飲み、結果、この物語に引き込まれていってしまう。
類子と正巳の関係は読んでいて辛く苦い。
相手の魂と身体を求める行為が離反する苦しみと、それを超えた先にある恍惚とは。
難しい。シンプルではない。
しかし人間が真に求めているのとはもしかして、肉体で得られるそれではなく、精神のエクスタシーなのかもしれないことに、薄っすらと気付かされる。
それはどのような感覚なのか。味わってみたいと思わされる。
主な登場人物は皆、三十代。
精神的な成熟度からはかると現代の四十代くらいに思える。
その意味では「中年の美しい生き様」の手がかりを求める一冊としても適当だと思う。
実際、主人公の類子と正巳の生き方には美学を感じる。
能勢との関係に一切の情を排していた類子。
身体の不能の代わりに言葉によって官能をしたためた正巳。
二人の生き方には乾いた潔さのようなものがある。
ただ、彼らを美しいと感じるのは、一重に小池真理子の客観的な筆致ゆえかもしれない。
この小説で描かれる世界の熱量は凄まじいものがあるのに、小池真理子の描き方には、どこかしんとした静けさ、透徹した冷めたさがあるのが心地よい。全編通じて漂う官能の雰囲気に飲まれて酔うことなく、人間の性(せい)と性(さが)について読者に考えを問う迫力がある。
これまでの読書とこのことからも明らかになりつつあるのは、中年の美しい生き様の鍵を握るのは「自分に酔わないこと」であること。
客観性、冷静さ、そして内には秘めた熱があること。
少しずつ、私の中のテーマが見定まりつつある。
本書は全編を通じて三島由紀夫作品の気配を感じる構成になっていて、三島へのオマージュとも言える。
私は若い頃、教科書的に「潮騒」や「金閣寺」などの三島作品を読んだけれども、当時三島の凄みを理解していたかと言ったら全くNOである。
本書で重要なキーファクターになっている三島作品は、豊饒の海シリーズの「春の雪」「天人五衰」だが、私は両書ともに未読であるため、今後の読書予定に組み込みたいと思っている。
