「可能性」の使い方(よく考えて言葉を使おう)
「爆発する可能性があります」
とテレビ等でよく言う。
多くの人が何の違和感も持たないと思う。
では、「爆発する恐れがあります」と言ったらどうだろうか?
「“恐れ”じゃ怖いから“可能性”でいいんじゃね」と思う人が多いかもしれない。
しかし、この場合は「爆発する恐れがあります」が正しいと私は思う。
なぜか。
「可能性」の意味は「できること」「実現しうること」というニュアンスを持ち、現実にはまだ起きていないことに対して使う。
それなら、「“爆発する可能性があります”でいいじゃん」と思うかもしれない。
しかし、「可能」の意味を調べてみると、「〜できる」という意味なのである。
しかも、「可能」には単に「実現しうること」等という意味があるだけでなく、「良いことが実現しうること」というニュアンスがあるのである。
「可能」の反対語は「不可能」である。
「不可能」は、言うまでもなく「無理」「絶望的」といったニュアンスを持つ。
「不可能」は、悪い結果が予想されるときに使われると考えていいと思う。
「可能」はその反対で、良い結果が予想されるときに使うべきなのではないだろうか。
「爆発」は良い結果ではない。
だから、「爆発する可能性があります」は厳密には不適切な言い方で、この場合は「爆発する恐れがあります」と言ったほうが適切だと私は思う。
最近は「可能性」「可能」が多くの場合に使われる。
それでみんな、「爆発する可能性があります」と言われても違和感を覚えないのだろう。
「可」には「良い」という意味がある。
「能」にも「良くする。良くできる」という意味がある。
悪い意味はないのである。
「可能」は中国語だと私は思っていたが、調べてみるとそうではないようだ。
和製熟語なのかもしれない。
いずれにしても、「可能」という言葉に悪い意味はない。
だから、悪いことが起こると予想されるようなときに「可能」「可能性」は使わないほうがいいと思う。
ただし、予想される結果が「良い」のか「悪い」のかわからない場合、どちらとも言えないような場合は「可能」「可能性」を使ってもいいと思う。
他の日本語にも、これと似たような間違った使い方が一般化してしまったものがあると思う。
話すとき、書くとき、特に熟語についてはよく考えて使いたいものだ。
また、「世論」を「ヨロン」読むようになって久しい。
「ヨロン」はもとは「輿論」と書いていた。
しかし「輿」が当用漢字に採用されなかったこで、「ヨロン」を「世論」と書くようになった。
「ヨロン」は、世間一般の意見、公共の問題について多くの人々が共有している意見、大多数の賛同が得られている意見のことである。
「輿論」も上とほぼ同じ意味である。
だから「輿論」を「世論」と書くのは問題ない。
そのほうが書きやすいし読みやすいので、「世論」のほうがいいだろう。
しかし「世論」と書いた場合、「セロン」と読むほうがいいと思う。
