先住民族の悲劇
日本の先住民は縄文人である。
1万年もの長いあいだ、今よりやや暖かった日本で主に狩猟採集の生活をしていた。
後期には定住していたとみられる。
青森県の三内丸山遺跡などから大規模集落の存在が明らかになり、定住していた人たちがいたことが証明された。
しか紀元前数百年前、朝鮮半島や大陸から、稲作技術を持った弥生人が大量に渡来してきて、縄文人を追いやった。
縄文人はほとんど農業をせす、自然の中に住み、自然を敬って暮らしていた。
弥生人は稲作をするため原生林をどんどん伐採して田んぼを作っていった。
農業は最大の自然破壊をもたらすと言ってもいいのだ。
弥生人ととも農業に従事する縄文人もいたが、多くは山へ、北へ、南へと追われた。
山に追われた縄文人は、後にサンカと呼ばれるようになった。
現代でもサンカは残っているらしい。
放浪の民である。
北へ向かったのはアイヌの人々の祖先になった。
南へ追われた人々は、奄美諸島、沖縄にまで達した。
沖縄県民も縄文人の末裔なのだ。
弥生人は近畿に政権を立て、アイヌの人々の祖先である蝦夷(えみし)と戦って彼らを奴隷にしたりした。
沖縄は琉球王国という独立国を作っていたが、薩摩の島津氏が攻め入って征服し、琉球王国を解体させて支配下に置いた。
そして島津氏は旧琉球王国の人々から搾取しつづけた。
奥羽の南部藩は大坂の陣のとき配下の武将に従軍するように命じたが多くの武将が従軍を嫌がり、仕方なく南部藩は蝦夷を兵士として大坂まで連れていった。
蝦夷たちは、初めて聞く銃声に驚いた逃げ惑った。
蝦夷地(北海道)を治めていた松前藩は、場所制という制度を作り、民間業者に蝦夷地各地の漁場で漁をさせた。
民間業者はアイヌの人たちを引っ張ってきて低賃金で酷使した。
明治になると琉球は沖縄県になり、琉球民族は日本人になった。
しかし本土人には、彼らを日本人とみる人は少なかった。
明治になって北海道という名前になった蝦夷地でもそうで、開拓使はアイヌの人々を「土人」と呼び、「土人法」なる悪法を作り、アイヌの人々を不毛の地へと追いやり、日本人として扱わなかった。
この差別は現代でもまだ残っている。
世界に目を向けても、先住民は似たような悲惨な歴史を持つ。
例えばアメリカには「インディアン」という先住民がいた。
コロンブスが今のバハマ諸島に到達したとき、彼はインドにたどり着いたと勘違いし、原住民をインド人だと思った。
そこからアメリカ先住民が「インディアン」と呼ばれるようになった。
今では差別用語とされ、使われないようになった。
アメリカの先住民は主に西部に住んでいた。
イギリスなどから入植した人々は東部で開拓を始めた。
東部開拓が進むと、西部に目を向ける人が出てきた。
それで西部を目指した人たちが、今のカリフォルニアで金を発見し、ゴールドラッシュが起こった。
金を求めて多くの人が東部から西部へと移り住んだ。
そのときから西部開拓が本格的に始まった。
先住民たちは迷惑した。
開拓者たちは先住民たちを追い払い、場合によっては殺した。
政府が先住民討伐隊を組織し、多くの部族が皆殺しにすることは稀ではなかった。
そのころの西部は治安がひどく悪く、開拓者たちは銃を持つようになった。
この習慣が現代にまで続いている。
西部開拓者は、先住民を不毛の血に追いやった。
そのせいでアメリカ先住民の数は数十分の一まで激減した。
これは北海道開拓使がアイヌの人々に対して行ったことと実によく似ている。
侵略者にとって先住民は「土人」でしかなく、邪魔な存在であり、場合によっては殺すべき存在だったのだ。
第一次世界大戦や第二次世界大戦や太平洋戦争が始まると、先住民たちは最も過酷な戦場に送られた。
「俺はアメリカ人だ」「俺は日本人だ」と思われたくて、あえて過酷な戦場行きを志願した先住民も多くいた。
今のアメリカも日本も、先住民を征服した者たちが国を動かしていいる。
アメリカは主に白人が、日本は弥生人(新モンゴロイド)が。
そのことを想うと、自分の血の中にも残酷な新モンゴロイドの血が流れているだろうから、ゾッとしてしまう。
