読みやすい現代日本語の文章
もともとの日本には文字がなかった。
漢字がとらいすると、古代日本人は文章をかくとき、すべて漢字でかいた。
漢字いちじにひとつの音(おん)をふりあて、「あ」なら「阿」、「い」なら「井」などとかいた。
そのうち漢字をもとにしてヒラガナとカタカナがつくられた。
ぜんぶ中国のものだといっていい。
ヒラガナが普及しても、熟語や述語につかう動詞などは漢字のままつかうことがおおかった。
近代になると英語(カタカナ)もとりいれた。
現代日本語の文章がよみやすいのは、熟語と述語に漢字をつかうからだとおもう。
ぜんぶヒラガナで文章をかいたら、きっとよみにくいとおもう(英語、和製英語はカタカナだが)。
極端にいうと、漢字ぶぶんだけをよんでいっても文章の大意はわかる。
わかいころわたしは5さつくらいの本を同時によんだ。
これはあさの電車のなかで、これはひるやすみに、こっちはかえりのバスのなかで、それはよるねるまえに布団のなかで、というようによんだ。
それでそれぞれの本の内容が混乱してわからなくなることはなかった。
いまはそんなことはもうむりだが、わかいころのわたしはできたのだ。
よほど知識欲にうえていたのだとおもう。
それと、前述したように現代日本語がよみやすくなっているからだともおもうのだ。
江戸時代までは武士階級はおもに漢字で文章をかき、商人はヒラガナをつかったが漢字まじりの文章はあまりかかなかった。
しかもそれらの文章はかき言葉ばかりだった。
それもくずしもじだから、「よめ」といわれても現代のわたしたちによめるものではない。
それが明治になってかわった。
二葉亭四迷などがでて言文一致運動がはじまり、夏目漱石等が言文一致のすばらしい小説をかいた。
いまになって『坊ちゃん』などをよむと、現代日本語とたいさないなとかんじる。
言語は時代とともにかわっていく。
今後の日本語はどうかわっていくのだろうか。
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…と、ここまで極力漢字をつかわないでかいた。
みなさん、どんなふうにかんじたでしょうか。
たぶん、少し読みにくかったと思う。
漢字を使って書き直すと以下のようになる。
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もともとの日本には文字がなかった。
漢字が渡来すると、古代日本人は文章を書くとき、すべて漢字で書いた。
漢字一字にひとつの音(おん)を振り当て、「あ」なら「阿」、「い」なら「井」などと書いた。
そのうち漢字をもとにしてヒラガナとカタカナが作られた。
全部、中国のものだと言っていい。
ヒラガナが普及しても、熟語や述語に使う動詞などは漢字のまま使うことが多かった。
近代になると英語(カタカナ)も取り入れた。
現代日本語の文章が読みやすいのは、熟語と述語に漢字を使うからだと思う。
全部ヒラガナで文章を書いたら、きっとよ読みくいと思う(英語、和製英語はカタカナだが)。
極端に言うと、漢字部分だけを読んでいっても文章の大意はわかる。
若いころ私は5冊くらいの本を同時に読んだ。
これは朝の電車の中で、これは昼休みに、こっちは帰りのバスの中で、それは夜寝る前に布団の中で、というように読んだ。
それでそれぞれの本の内容が混乱してわからなくなることはなかった。
今はそんなことはもう無理だが、若いころの私はできたのだ。
よほど知識欲に飢えていたのだと思う。
それと、前述したように現代日本語が読みやすくなっているからだとも思うのだ。
江戸時代までは武士階級は主に漢字で文章を書き、商人はヒラガナを使ったが漢字混じりの文章はあまり書かなかった。
しかもそれらの文章は書き言葉ばかりだった。
それも崩し文字だから、「読め」と言われても現代の私たちに読めるものではない。
それが明治になって変わった。
二葉亭四迷などが出て言文一致運動が始まり、夏目漱石等が言文一致の素晴らしい小説を書いた。
今になって『坊ちゃん』などを読むと、現代日本語と大差ないなと感じる。
言語は時代とともに変わっていく。
今後の日本語はどう変わっていくのだろうか。
…………………………………………………
…というふうになる。
このほうが読みやすいと感じたのではないか。
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かといって漢字を多用するのはどうかと思う。
今はパソコンやスマホで文章を打つから、漢字をろくに知らなくても変換で容易に漢字入りの文章を作ることができる。
そのせいもあるのだろうが、今どきの文章には漢字が多すぎると感じている。
例えば、「私は酷い位疲れ切って居る」などと書く人がいる。
「私はひどいくらい疲れ切っている」
でいいではないか。
「此処に林檎が有る」
などという文章もある。
これも「ここにリンゴがある」のほうがいいだろう。
そのほうが断然読みやすい。
また、非常に多いのは「こと」を「事」、「とき」を「時」、「できる」を「出来る」、「ようだ」を「様だ」と書くケースだ。
これらも漢字を使う必要はないと思う。
「方」は「かた」とも「ほう」とも読む。
「あの方はあっちの方に行った」という文章があるとすると、この文章にはふたつの「方」がある。
「あの方」の「方」は自然に「かた」と読まれると思うが、すぐ頭を切り替え「あっちの方」の「方」を「ほう」と読むことのできる人は多いと思うものの、私なんかは読みにくいなと思ってしまう。
だから私は、「あの方」などと人のことを表現する場合には「方」を使うが、「あっちの方」のように方向などを表す場合の「方」はヒラガナで「ほう」と書くようにしている。
さらに、「見に行く」は「見にいく」でいいと思うし、「やって来る」は「やってくる」でいいでいいと思う。
「見にいく」「やってくる」でひとつの動詞だと捉えたほうがいい。
「かも知れない」と書く人も多いが、これも「かもしれない」のほうがいいと思う。
「書いて欲しい」という文もよく見るが、これも「書いてほしい」でいいのではないか。
「有難う」や「御座います」や「仕舞う」なども私は気に入らない。
「有難う」は「この世に有り難い」ことをされて深く感謝することから生まれた言葉だから「有難う」と書いても間違いではない。
むしろ正解と言っていい。
しかし、今の時代に何も漢字を使うことないだろうにと思うのだ。
「御座います」と「仕舞う」はたぶん当て字で漢字を使っているので、これもやめたほうがいい。
「左様なら」もそうだ。
「さようなら」でいい。
これは昔、武士が「左様なら、これにて御免」と言っていたことから生まれた言葉だと思う。
むやみに漢字を使う必要は少しもないと私は思う。
「御免ください」も昔の武士言葉から生まれた言葉だと思うが、今の時代に何も漢字を使う必要はないと思う。
「ごめんください」でいいだろう。
書く内容によっては、ここはどうしても難しい漢字を使いたいというときがある。
そういう場合は、ルビをふるとかカッコして読みのヒラガナを入れよう。
なお、「読みやすい日本語」を書くには、「?」と「!」の後に一字開けることも重要だ。
例えば、「あれがそうですか? うん、そうだよ」「うそだろう! ホントだよ」というふうに。
これを「あれがそうですか?うん、そうだよ」「うそだろう!ホントだよ」と書くと、文章がどこで切れるているのかわかりにくい。
読点(「、」)や句点(「。」)なら、左下の隅にチョンとあるだけだから一字開いているように見え、パッと見るだけで、そこで文章が切れている、終わっているとわかる。
「?」と「!」は句読点と違って一文字分に見えるので、その後を一字開けないとそこで文章が切れてとはわかりにくい。
新聞や出版されている本をよく読んでほしい。
「?」と「!」の後に一字開ける原則をほぼ守っている。
記者や作家が一字開けなくとも、編集者が一字開くように指定するから、だいたいまともな文章になるのだ。
そうなっていなかったら、その新聞社や出版社の編集部(新聞社の場合は整理部)のレベルが低いのだと判断していい。
私は『読書メーター』というサイトに登録して読んだ本をどんどん上げて感想をアップしている。

ほかの登録者の感想文を読むと、読書家だけあってみんな文章がうまい。
けれど、「?」と「!」の後に一字開けることはほとんどの人がやっていない。
テレビのテロップやパネルでは、その原則がまったく守られていない。
テレビ局の人間も、文章の書き方を学ぶべきだ。
ただし、見出しなどの大きな文字列などでは「?」「!」の後に一字開けると間の抜けたような見え方になることがある。
そういうときは1字分ではなく半字分(半角)開けるようにするといい。
小学6年生でもさらり読めてきちんと理解できる、そういう文章を書くようにすべきだ。
そうすれば、ほとんどの人にとって読みやすい文章になる。
書く内容によってはそれが難しい場合もあるが、基本的には小学6年の平均的な学力の子でも平易に読めてすぐ理解できるよう書く努力をしたほうがいいと思う。
