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漢字の多用は感心できない

最近、難しい漢字混じりの文章をよく見る。

最近というより、35年くらい前からその傾向があった。

ワープロが出たのがそれくらいの時期だから、書けない漢字をワープロの変換で容易に打てるようになったからではないか。

携帯電話、スマホが登場すると、メールやLINE等で、またまた漢字だらけの文章が増えた。

例えば、「麗しい」「綺麗」「頷く」「俯く」はまだいいが、「労わる」「蝦」「顰蹙」「蜘蛛」「睨む」等は、読めても書ける人は少ないと思う。

「有難う」「宜しくお願い致します」「の様な」は頻繁に見る。

間違いではないから文句は言いたくないが、ワープロやパソコンやスマホが勝手に変換してくれるからと、漢字だらけの文章を打つのは感心できない

「うるわしい」「きれい」「うなずく」「うつむく」「いたわる」「エビ」「クモ」「にらむ」でいいではないかと思う。

「顰蹙」を「ひんしゅく」と書くと読みにくくなるので、「顰蹙」を使うなら漢字でもいいが、括弧して読みを入れたほうがいい。

そもそも、「読み」(ルビも)を入れなければならないような漢字はできるだけ使わないほうがいいと思う。

「顰蹙を買ったかな?」なんてLINEメッセージを打ったりしたら、読めない人に顰蹙を買うだろう。

「顰蹙」は「不快に感じて顔をしかめる」意味だから、そう打てばいい

「お早う御座います。今日は良い日和ですね。無理し無い様にお過ごし下さい」

といった文章もよく見る。

私だったら、「おはようございます。きょうはいい天気ですね。無理しないようにおすごしください」と打つ。

そのほうが穏やかな雰囲気になるのでいいと思う。

ところで、「お早う御座います。今日は良い日和ですね。無理し無い様にお過ごし下さい」の文章のように「無い」を人はよく使う。

「もったいない」を「勿体無い」と書いたり、「行け無い」と打ったりする。

「食べ者が無くなった」のように、何かがないときやなくなる場合は「無い」と打ってもまあいいと思うが(私はヒラガナを使うが)、「勿体無い」や「行け無い」の「無」は使うべきではないだろう。

文章を打つとき、長く打ってから変換すると上のようになる

だから私は細かく変換する。

日本語の文章、例えば小説等を読む場合、漢字だけを拾って読んでいくだけで、だいたいの内容をつかむことができる

その点、漢字混じりの日本語の文章はとても読みやすいのではないかと思う。

しかし、だからといって難しい漢字を多用するのはどうかと思う。

漢字をできるだけ使わず、しかし読み手が読みやすくなるように工夫して文章を打ちたいものだ。

パソコンやスマホの変換機能に頼りすぎると、昔の武士が漢字だらけの文章を書いていたのと同じようになる恐れがある。

そんな文章を見ると、私は読む気を失う

漢字を多用するだけでなく、やたらと難しい表現をしていたり、「論文か?」と思うような難解な書き方で解読に手間がかかるような文章を見ると、上から目線で見られているようで腹が立ってくる

文章は、自分や自分の考えや自分が参加している組織などについて、読み手にわかりやすく伝えるものでなくてはならない。

読み手が理解できないような文章を書いても、何の役にも立たないではないか。

なのに、なぜ難解に書くのか、なぜ難しい漢字を多用するのか、私にはさっぱりわからない。

読み手に寄り添う気持ちがないからそんな文章を書くとしか私には思えない。

そういう文章は無用である。

「顰蹙」を買うだけだ。