【きょうの俳句】懐石/ミニスカート/赤信号
まえがき
子どもの頃に親戚の食事の集まりでよく知らない大人たちに囲まれてしまって気まずい思いをしたことはないでしょうか。
私はそんな経験が何度もあってむずがゆかったのを覚えています。
今日は2句つくりました。
十人の大人と懐石食べるぼく
年に一度の親戚の集まりでよく知らない大人たちに会う。
そのときは料理屋さんで懐石料理を食べるのだが、大人たちは楽しそうに酒を飲み料理を食うのだが、子どもは自分一人だけだ。
女中さんがせっせと魚料理を運び、酒が尽きると新しい銚子を盆にのせて運んでくる。足袋をはいて畳を滑るように歩き、着物のにおいを漂わせて自分の隣をさっと通り過ぎていく。
口に合わぬ懐石料理を食べ、大人がかわるがわる私に話しかけ、自分は話を合わせていたのを思い出す。
庭先では秋の枯れ葉がときどきハラリと落ちて少しずつ季節を進ませていく。
お座敷にいたときのいたいけな心情が思い出された。
女がシートでミニを引く赤信号
とある11月のこと、女性と食事を終えての帰途。11時過ぎに車が赤信号で止まった。自分の車線にも対向車線にもほかの車は止まっていない。交差する車線を走る車もなかった。
自分が運転する車がこの世界から浮かび上がってしまったようだ。徐々にボンネット側が浮かびあがり私たちは地球の重力でシートに押し付けられる。少しするとトランク側も浮かび上がってまた車は水平に戻る。
そのままふわふわと均衡を保ちながら、車が浮かんでいる。
女性はミニスカートを穿いていた。彼女は私の顔を見ないで赤信号を見つめたまま、腰の方に上がってきたミニの裾を膝の方へ引っ張った。
彼女の目には赤信号の色が映っていた。
あとがき
1句目は子どもの頃に大人の世界と季節の流れに巻き込まれる自分を詠んだものです。2句目はシュルレアリスムを取り入れて、女性の心理と赤信号の光、心理状態の浮遊感を意識して作句しました。
言葉を選ぶときは、こういうことを滲ませたいんだけど、フィットする言葉がないなあということの連続です。
でもそれを考えているときが楽しいんですけれどね。
どちらの俳句が好きですか。
