【スタンス】noteくらいはありのままの自分でいたい
先日太宰治の「人間失格」の解説動画を見ていたのだが、その中で「小説というのは自己表現であるが、それと同時に外に出す文章の時点で真の自分ではなく仮面になってしまっている。そして太宰治はそれを理解し、無限に自己表現をして仮面を作り続けることこそが太宰治の自己表現である。」みたいなものをことを言っていた。
勿論、僕のnoteは小説と言うほど大して練り上げられている訳でもないが、noteというのはあくまでも自己表現であるし、様々な人に見られる前提のものなので、自己表現という名の仮面となっていることはあながちnoteにも言える気がした。
その上で言いたい。僕のnoteは出来るだけ僕の顔そっくりのアイマスクでありたいと。
嘘偽りなく文章を書いて届けたいと。
自己紹介でも書いた気がするが、僕のnoteには将来の僕が、昔の自分は何を考えていたか知るためのタイムカプセル的な役割がある。
つまり、僕は将来の自分に嘘をつきたくないのだ。
他にも現実において僕が素を出したがらず、自分という人間を着飾る性質があるために、note位は素を出したいというのもある。
僕は基本的には自分が書く文章が好きで、しばしばカッコつけた文章を書く癖がある。
例えば、いつかの「フレネミー」についての記事とか、「言うほどは辛くない人生」という記事などだ。
この際言っちゃうが、僕はその手の記事で多少自分を偽り始めたりする。
勿論虚栄心もあるが、大きいのは「自分が書いた深そうな文章を完璧にしたいから。」
流石にエピソード、思想丸ごと捏造なんてことはしないが、細かい所作や思ったことを少しいじったりする。そのため僕が作った文章をAIに読み込ませると、「優等生ぶってる」、「もっと意地汚くあっていい」みたいな品評が返ってきがちだ。
一応、誤解されすぎても困るので「偽り」の例を出すと、「承認欲求を満たすためにnoteを書いてるわけではない」は実は、75%位しか本当じゃないかも。人間だから仕方ないという言い訳も添えておきます。
まあ、兎にも角にも僕は人前では素を出さなかったり、着飾った自分を出してしまうのだ。
ただ、前述の通り僕はnote位は将来の自分のためにも、ありのままでニュートラルな自分でありたいと思っている。
これからも、というか、これからは、出来るだけ嘘も偽りもない、僕の脳内そのままをお届けさせていただきます。
まあ、「この文章自体が欺瞞だろ!」と思った皆さん。
そこだけは信じて!!
