生き方への信頼を――"先生"との30年
泣くことを 準備して観なければならない
映画があります
宮崎駿氏の
『風立ちぬ』
主人公 堀越二郎
そして 不思議な登場人物がいますよね
時空を超えた 師弟関係を結ぶ
カプローニ伯爵
この映画になぞらえるわけではありませんが
わたしにも
そんな
時空を超えた 先生 が
実はいるのです 笑
30年近い お付き合いになります
先生…
お名前が 長いのです
ニコラウス・ド・ラ・フォンテーヌ・エ・ダルノンクール=ウンヴェルツァークト
スマホでは 1行に 収まらない 笑
ですので ここでは
「先生」
と 大変おこがましいのではありますが
そう 呼ばせてください
崩れ落ちる時――届いた声
先生は 栄華の時を過ぎた 名門貴族の生まれです
「自分を偽らないこと
本質を追求することは
家名に恥じない生き方である」
という 古き良き貴族の 厳格さが
先生の 生き方の
通奏低音と なっていた(鳴っていた)
と 思います
~~~
わたしは 1973年に うまれました
この年代は
氷河期世代
と いわれます
「偏差値こそ至上!」
人生を勝ち抜くには
学歴が必要であり
そのために 猛烈に勉強しろと
そう 叩きこまれました
偏差値により
自分に自信を得たり
他者を下に見たり
圧倒的な天才を目の前にして 打ちのめされたり
今思えば
なんと 歪んだ 教育だったことでしょう
ですが それを 信じていました
努力することが
人生の最適解
であるとも 信じ込まされました
努力し続ければ
きっと 人生は 何らかの 果実を
与えてくれる
努力するものを
人生は裏切らない
そう 信じて
生きてきました
大学院を修了し
就職浪人も経験し
はれて 難関を突破し
手にした仕事で
ただ 努力だけを 武器に
それまでの 生き方を 信じて
それまでの 生き方が
否定されるのを 恐れ
ただ ひたすらに
邁進し
ある日 記憶を失い
手にした すべてを
失いました
それまでの 生き方の
完全否定 でした
一度は このまま 自らの手で
生きることを 辞めようと
思いました
それを 試みそうに
なったことがあります
・・・
しかし
先生が 現れました
廃墟の中で
粉塵で 汚れた
若々しい姿の 先生が
ぎろりと鋭い目で わたしを 見つめながら
こう 言われました
「アル君 見たまえ
ここには 先ほどまで ナチスがいた
わたしの 青春時代の
なれの果てが
これさ…」
さらに
先生は わたしに 言われます
「死んでいったものが ここには たくさんいる
いや
世界が死んだといってもいい
皆が 信じていたものは
真実ではなかったようだよ
これを
世界の死といわずして
なんといおうか・・・
アル君?
確認だが
君は 今
その美しい海の前で
ひとりで
何をしようと
しているのかね?」
~~~
わたしは その後
災害ボランティアでの経験を通して
高齢者 に 興味を抱くことが
できました
ふたたび 大学生となり
理学療法士となり
病院に 勤務します
師に恵まれ
「治療に上下関係はない」
「患者さんから 常に学ぶ 治療」
というものを
徹底的に 指導され
そして それに 惹かれ
才能 はありませんでしたが
それに 惹かれていきました
一方で
リハビリの世界には
「エビデンスに基づいた」
という 言葉が 浸透してきます
科学的根拠に基づいた
医療(リハビリ)を提供しましょう
というものです
当初 わたしは
それを 歓迎しました
物理学修士の経歴を かわれ
「エビデンスとはなにか?
エビデンスベースとはなにか?」
という 病院内での勉強会にて
講師をしたことさえ ありました
しかし
実際 この 病院に広まった
エビデンスという考えは
「過去の報告で 有意差があった訓練を
目の前の患者さんにする」
という 治療者側の
安易な ハウツー的な
暴力的な 押し付け
でした
そのリハビリが 間違った選択であったことは
患者さんの変化をみれば わかります
しかし 彼らは
「エビデンスに基づいて実施した
あれ(患者さんの痛みなど)は
しょうがない
痛み止め 増量してもらえばいいんだ」
と 軽く受け止めていました
~~~
そのころ わたしは
煙草を やめることが できませんでした
紫色の 煙を 空に向かって 大きくはくと
先生の 姿が 見えました
先生は オーケストラの チェリスト に なっていました
「これが バッハ?
これが ヘンデル?
こんな演奏 作曲された当時は
していなかったはずだ
もっと 魂から響くような
音楽であったはずだ・・・!」
と ひとりで もがかれています
座っている位置は
ずいぶん うしろの方ですから
決して チェロの腕前は 高くはなかったのでしょう
でも ひとりで 怒っています
そんな 先生を
他の楽団員は 嘲笑してさえいます
先生は わたしが 見ていることに 気づかれ
こちらを ぎょろりと 見て
こう おっしゃいました
「アル君
世界はこんなに壊れているのに
なぜ音楽だけが
こんなにも呑気に
美しく装っているのかね?
アル君
違和感 しかないよ
そうは 思わんかね!!
アル君
わたしは こんな思いを
もう 17年間も
耐えている!!
君は 何年になるのかね!?」
強い 先生の質問に
わたしは 答えに窮しました
いつのまにか
わたしの前に 立たれた先生は
わたしの 両肩を
両手で 強く握りながら
正面から
その強い眼光を
さらに 近づけながら
まっすぐ
こう 言われました
「わたしは
ただ 文句を言っているのではないんだ
チェロの腕前が 高い低いなど
関係ない
妻や 仲間たちと
時間を見つけては
自宅で
本当の音楽を
研究しているんだ
そして
いつか 世界に 問う!
アル君
人生は 耐える時期がある
そして
耐え方
というものがある
わたしは そう思うんだよ…」
迷いの中で――叫びと沈黙
わたしは 職場を転々としながらも
自分のリハビリの在り方を
模索していました
患者さんとのやり取りの中で
行ってきたことは よかったですが
その分 周囲のリハビリスタッフとの
協働が 難しい 一面もありました
わたしへの 批判は
あらさがし にちかいものまで ありました
身に覚えのない ものもありました
職場からの帰りの 車中
気持ちを抑えきれず
「うわあぁーーーー!!!!!」
と 大きな声を出しました
叫び声が
重なりました
先生も
怒りに任せて
心の中で 叫んでいました
先生が指揮する その演奏は
先生の 思いが 溢れすぎていて
仲間である 楽団員でさえ
困惑していました
先生の音楽は
批評家や聴衆から
強い批判を 受けていた時期です
先生は
力で批判を 抑え込もうと していました
奇をてらった 演奏と
いわれても 仕方がない ものでした
音楽に 説得力が ありませんでした
先生も 苦しんでおられました
~~~
盛岡での 修行が始まり
同時に
内省の日々も
始まりました
徐々に
その人の体の 改善 機能向上
だけを 追及することの
限界を 感じ始めていました
問題は
その人 の 生き方
そんな 考えに
少しずつ 近づいていきました
そこを 通して
本当の 機能回復を 目指す
難しい 挑戦を していました
わたしの 目の前に
同年代の 女性
がん患者さんが いました
施術をしても 施術をしても
「ここが 痛い」
「ここが 重くなった」
「この前の主治医の発言が 許せない」
訴えは とまりません
その 訴えに合わせて
施術が 右往左往 しそうな 自分を
自覚し
自分を 俯瞰しました
彼女の訴えに 返事をせず
ただ じっと
俯瞰していました
となりに 先生が
黙って 立っておられました
指揮台の上です
リハーサル中のようです
楽団員さんに わたしは 見覚えがあります
一流の奏者ばかりです
これは・・・
ベルリンフィルです
しかも このメンバーは
カラヤン黄金時代…
先生は 指示を出されたようです
「楽譜どおりの 長さではなく
ましてや
(カラヤン風の)流麗レガートではなく
当時の時代様式に合わせて
短く切るように」
と
楽団員は 反抗的な 表情です
沈黙しています
沈黙が 流れます
先生は 楽団員を じっと見つめ続けます
長い
長い
10分間…
そして
ベルリンは ついに
先生と
共にあろうとします
場面は急に変わり
本番の演奏会です
メンデルスゾーン
シューベルト
シューマン
のちに 天下の名演奏と 言われるものです
(この演奏はのちに CD化もされました)
本番中の指揮台から
先生は わたしに 気づかれます
ウィンクをされました
おちゃめな かわいい 眼 でした
でも すぐに
鋭い眼光で
演奏に 集中されました
・・・
わたしの 目の前には
その 女性患者さんが
不思議そうに 黙って
こちらを 見ていました
もう一度 わたしは 彼女の
身体を 評価しました
今回 施術する必要は
これ以上 ありませんでした
「以上です お疲れさまでした」
凛と
わたしは 言いました
彼女は 急に我に返ったかのように
「あ・・・ ありがとうございました・・・」
と 頭を下げられました
~~~
この 会社に残るべきか?
それとも 自分が求める 施術を
もっと 追及する道を 選ぶべきか
娘たちから 離れられるか?
収入はどうなるのか?
いろいろ 悩むことが多かった 今年
先生が ある女性を 叱っている声が
聞こえてきました
オペラのリハーサル中のようです
ある女性の歌手が 上手に歌い
周囲から 賞賛されていました
しかし 先生は 厳しい表情です
そして こう いわれました
「チェチーリア…
今の歌は美しすぎた
だが この場面の彼女は
絶望 しているんだ
絶望 している人間が
そんなに美しく歌えるはずがない
もっと醜く
もっと汚い声で
歌いなさい
それが 真実 だ」
そして わたしを にらみ
「それが 真実 だ」
と もういちど 言われました
朝の光――その微笑み
ある年
わたしは テレビで
ニューイヤーコンサートの放送を
わくわくしながら 待っていました
先生が 初めて
指揮をされるからです
そして 演奏が 始まりました…
新年を祝う
流麗で 弾むような 楽しい
いつもの シュトラウス兄弟
は そこに いませんでした
NHKの 実況も
すこし 当惑しているようでした
当の 先生は
お構いなしでした
わたしは すべて
名演だと 思っていました
正直言いますと
わたしは
シュトラウスの ワルツ や ポルカ などの音楽は
一段 レベルが 下だと
思っていました
大衆的で その場で消費されるような
音楽だと
思っていました
しかし 先生は
圧倒的な説得力で
そんなわたしの 誤解を
ねじ伏せられました
そして
演奏曲は
『美しく青きドナウ』
と なりました
わたしは 初めて
この曲で 泣きました
格調が高く
品があり
そして 音楽が描く
その 風景を
その 音楽を
心から 尊重する
若いころの 先生の演奏には
すこし足りなかった
音楽 という 自然への
信頼
を 感じました
あぁ・・・ やっぱり 先生は すごい
そう 思いました
~~~
次の日の朝
地元ウィーンの評価は
予想通り
賛否 真っ二つでした
「蜂の巣をつついたような騒ぎ」
と
「深い沈黙」
とが ありました
批判の論調は 大変激しいものでした
「優雅なワルツを ゴツゴツした 骨董品に
あいつは変えてしまった!!」
「踊れないワルツなんて ワルツじゃない!!」
そんな 評論が 聞こえてきます
ですが
聴衆の中には
「初めてシュトラウスの音楽に
『涙』した」
という声も 確かにありました
・・・
批評を読んだあと わたしが
「先生 良かったですね」
と 先生に お声をかけますが
椅子に深く座って
リラックスされている先生は
軽く首をすくめる だけでした
そんな批評
賛否 両方とも
気にしていないようでした
あぁ そうでした…
先生は もう
先生の 信じる道を
進むだけなのですね…
そう 気づいたとき
先生は
わたしを 見つめ
慈愛に満ちた
笑顔を 見せてくださいました
~~~
ここで ずっと ふれてきた
その
わたしの 生涯の先生は
ニコラウス・アーノンクール
と 呼ばれる方です

これは わたしのこころの中の
「先生」との
その 音楽を通した
やや 幻想的な
でも 心の中では 真実でもある
思い出を 綴りました
ここまでおつきあいいただき
ありがとうございました
どうぞ 今日という日が
あなたにとって
善い一日となりますように
2026年春 とびら画像を変更しました
