「打診」の共鳴と残響――微睡みながら澄ます耳
打診
お医者さんに されたご経験
ありますか?
わたしは なぜか
深夜に
そのことを
想いだしていました
今日は
ながい あくび
のような
そんな内容です
想い出の打診の音――信頼の音
うまれたときから
元気 元気 というタイプでは
ありませんでした
赤ちゃんの時
ひゅー ひゅー と
喘息の呼吸を していたと
母親が よく 言っていました
その母親が
自転車の後ろに わたしを 乗せ
行く先の 記憶は
いつもの 内科の お医者様でした
おじいちゃん先生
首から 聴診器
前の患者さんの カルテに
ルーン文字(に見えた)を
カリカリカリッ と 書き
椅子を
キィ
と 鳴らして 回転し
こちらに 向く
このとき
いつも ちょっと
緊張する
もともとは 強い 人見知り
目の前の人からの 情報に
気圧される 子どもだった
でも
この先生
緊張するけど
好きだった
わたしが 子どもだからといって
" わざと " ニコニコ する 大人が
基本的に 苦手だった
この おじいちゃん先生は
そういう 笑顔が
たぶん できない
だから
好き
「どうしたのかな?」
と 聞かれる
ほんとうは わたしが 答えるべき
って わかっているのだけど
うまく しゃべれる 自信が ない
母親を ちらっと みる
母親は 看護師
パ パ パ と 適切に 伝えている
「ふむ…」
と 先生は 聴診器を耳に当て
わたしに 当てようとする
絶妙なタイミングで
横にいる 看護師さんが
わたしの 服を 上にあげる
なんだか 恥ずかしいような
でも
『ここは そういう ところだもんな』
という 場の説得 のようなものが あって
自分の手でも 服を おもいきり 上にあげる
聴診器が 当たる
冷たいが
予想より 冷たくない
す… す… す… す…
と 当てられ
聴診器を はずすと
自動的に わたしは 後ろ向きに
見えない 背中に
聴診器が ふたたび
す… す… す… す…
再び 前へ
今度は 指が
胸に 当たる
とても あたたかい
そして
ど
と たたかれ
ど ど ど ど
と あちこち たたかれる
痛くは ないけど
あたまの 奥まで
響く
ような
あの
感覚
もう 40年以上 たっているのに
まだ 忘れられない
打診 される 感覚が
好きだった
説明ではなく
『この先生は 信頼していいんだよ』
と
信じられる 気持ちになれた
だから
打診が
好きだった
「うんうん… 寒気は?」
と 先生が
わたしを みて 聞かれる
「あ ありません」
と
そのときには
わたしは もう 自分で 答えられる
「うんうん そうか」
ちょっと 先生の
目が
微笑む
最初の打診の音――父親の樽の音
とつぜん 舞台は
18世紀 オーストリア
少年がいる
愛称は
ポルティ
ポルティ君の父親は
宿屋を営んでいました
彼は 父親の仕事を
みつめています
父親は お客様に出す ワインの量を
管理しなくては いけません
木でできた ワイン樽の中は
もちろん みえません
でも
父親は ワインの 残りの量を
正確に
言い当てることが できました
なので
お客さんに
安心して
ワインを提供することが
できました
ポルティ君は
なぜ 父親は 樽の中が わかるのか
やっていることは
わかっていました
ワイン樽を
叩くのです
なにげなく 叩いているようですが
とても 正確に 量を 把握していました
ポルティ君も 真似してみます
ぜんぜん わかりません
父親が そんな ポルティ君を
にこにこ みつめていました
「ひとつだけ 叩いていても
わからない
でも
たくさん 叩くだけでも
わからない」
「音 を 聞いてる
だけではない」
ポルティ君が
その秘訣を 知るのは
ずっと あと
成長した ポルティ君が
いえ
医師
レオポルト・アウエンブルッガー
が
ワイン樽を 叩いて
残りの量を 知りえたのかは
わからない
でも
彼は
ひとの からだを
叩いて
中を
知ることが
できるように
なった
無視される打診の音――孤独と執念の音
彼の 発見した
「打診法」
もちろん 発表する
そして
笑われる
「非科学的」
と
笑われ
笑いが 終わったら
無視された
彼の 本に
埃が 積もる
40年の 埃
…
その 埃を
はらう 男が
パリに 現れる
その 本を通して
なにかが
彼を
突き動かす
そして
患者の 体を
指で 叩き始める
彼も
周囲の 医師から
「非科学的」
と 笑われる
彼は 気にしない
気になるのは
生きている 患者の
身体の 今
今の 身体の 中に
何が起きているのか?
を 知ること だけだった
彼の その 執念は
20年 にも 及ぶ
ただ 叩くだけ
ではない
打診した 患者の 記録
と
その 患者が亡くなった後の
解剖 結果
を
突き合わせた
あの音 と
実際の 体の 中
を
突き合わせた
心臓の 肥大の 程度
肝臓の 硬さ
胃腸の のばされた程度
経験と 記録と 事実を
彼の中で
統合 し
真実 への
道を 拓いていく
…
その道は
ある 背の低い男 へと 続いていた
その小男は
胃の痛み
胸の不快感 に
悩まされていた
多くの 医師が 診断したが
見ていたのは
身体ではなく
小男の 機嫌 だった
小男は
その当時は まだ
偉い立場に いた
医師たちは 小男を 恐れ
それが ために
なんの 改善も
得られなかった
そんな 小男の 耳に
『身体を叩いて診断する者がいる』
という 噂が 入る
もちろん 呼んで
自分の体を 診断させてみる
呼ばれた 彼は
小男の
胸を 叩く
指 と 耳 で
聴く
20年
行ってきたことを
同じように
行う
診断を 下す
…
そして
後に
この 小男は
こういう ことば を 残す
「私は 医学を信じないが
コルヴィザールだけは 信じる」
と
小男の 名は
ナポレオン・ボナパルト
と いうらしい
信頼の打診の音――感謝の本を開ける音
コルヴィザール
ジャン・ニコラ・コルヴィザール は
1808年に
かつて 非科学的と 笑われた
「打診法」
についての 著書を
出版する
「執筆者」の書かれ方が
少し 不思議で
少し 話題となった
普通であれば
「コルヴィザール 著」
と
書かれるものが
こう
書かれていた
「アウエンブルッガー 著
コルヴィザール 注釈」
非科学的と
揶揄され
笑われた
ふたり
コルヴィザールは
こころの なかで
アウエンブルッガーに
励まされて
いたのかも
しれない
伝えられる打診の音――そして消えていく音
明治政府の 歴史的な評価は
ここでは さけるけど
その政府の 方針で
ドイツ医学を 範
とした
ドイツから来た 医師たちが
日本の医学生に
身体診察 の 方法を
叩き込んだ
もちろん そこに
打診法も
含まれていた
その後
ながい 年月が たち
医師たちに
客観的な
「画像」
が
与えられた
より
正確で
詳細な
診断と
治療が
行えるようになった
打診の 音は
徐々に
消えていった
…
10年ほど前
わたしは こんな 経験を
したことがある
わたしの胸に 聴診器を当て
ふんふん
と うなずき
「では 確認のため」
と 言って
わたしをレントゲン室へ 送り
被ばくさせ
画像をみて
「ふんふん
やっぱり
なにも ありませんでしたね」
と 言って
きちんとした
診断を している という顔を
していた
「その聴診器は 何のためだぁぁ!」
と叫んで
その聴診器で
ここには 書けないことを
してやろうかと
本気で思った
あ
冗談です
いやいや
冗談ですってば
冗談です
はははは
失われた打診の音――足から聴く音
わたしの 師匠は
盛岡に おられる
師匠は
「あ~ あの 足をさわる 先生ね!」
と 認知されていると
風のうわさで 聞く
教えを受けた
わたしたちも
触れる場所は ひとにより
ことなるけど
触れて
身体の 状態を
聞く
聞く
ひとも いるし
聴く
ひとも いる
わたしは
両足に 触れたり
片方の 脛に 触れる
ことが
いまは 多い
そして
身体の 声を
聴く
聞くのは ちょっとまだ 苦手かな
師匠に 最初に
教えられたとき
「できない」
と
思ったけど
師匠に
「できてますよ」
と
言われた
1年後
「できるようになった」
と
思ったけど
師匠に
「エゴにだまされてますよ」
と
言われた
今は
できているか できてないか
は
気にしていない
まだ まだ
修業が
必要
儀式としての打診の音――聞こえてきた音
スタンフォード大学 の
エイブラハム・ヴェルゲーゼという先生は
今の 医師たちを
「iPatient(アイ ペイシェント:電子カルテ上の患者)」
ばかりみて
目の前の
「生身の人間」
を
疎かにしている
と
声を あげている
彼は
伝統的な診察技術 を
重要視する
彼のとらえ方が 興味深い
そういった 診察技術を
「身体診察(フィジカル アセスメント)」
と呼び
それを
医師と患者の絆を深める
「儀式」
と 定義する
診察以上の
何かを
彼も
感じ
意義を
見出して
おられるのかも
しれない
結び――微睡みから覚めて
今日
わたし ある事業所の
面接 あるんですよね
やっぱりね
緊張しているんでしょうかね
眠りが 浅いですね
まどろ(微睡)みながら
こんなこと
夢想 していて
書いちゃいました
ははは
ですから
この文
フィクション ですよ
もう
忘れて くださいね
さて
履歴書 印刷しなきゃ
履歴書の 自分の 顔写真
やっぱり
歳をとったなぁ
って
自嘲します
ということで
どうぞ 今日という日が
あなたにとって
善い いちにちと
なりますように
ありがとう ございました

UnsplashのTamara Malaniyが撮影した写真
