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【小説】AI「Mark/Lia」の言うとおりに(8/13)

第8話 歩いてみたい

 水曜日の夜、彩乃は直人からの誘いに、ようやく返事をした。

 彩乃は、日中は少し用事があるので、夕飯だけ一緒に食べたいと送った。しばらくして届いた直人の返事は、拍子抜けするくらい普通だった。

 無理しなくて大丈夫。夕飯だけにしよう。そんな内容だった。

 彩乃は、少しだけ肩の力を抜いた。

 腕時計型端末の画面を消したあと、しばらくして、灯里の動画に出ていた商店街のことを思い出した。夕飯までの時間に、あそこへ行ってみようかと思った。

 * * *

 彩乃からの返信をもらった後、直人は手首の画面を起こした。

「Mark」

《はい》

「彩乃さんとの関係なんだけど」

 そこで、少し言葉が止まった。

「今はちょっと忙しいみたいだし、タイミングが難しくて」

《どのような点について判断したいですか》

「次の段階に進めてもいいのか、というか」

《次の段階とは、具体的にどのような行動を想定していますか》

 直人は少し黙った。

「もう少し長い時間を一緒に過ごすとか」

《会う頻度を増やすこと、長時間の外出、関係性を明確にする提案などが考えられます》

 直人は、画面を見たまま少し息を止めた。

「そこまでは、まだ分からない。でも、いつなら自然なのか知りたい」

《現在の関係継続状況、過去の会話量、対面回数、相手の返信傾向を踏まえると、関係を進展させる提案は可能です。ただし、相手の状況を確認しながら段階的に進めることを推奨します》

「そっか。彩乃さん、今忙しそうだし、難しいかな」

《現時点では、急な関係進展よりも、安心して会える時間を増やすことが望ましいと考えられます》

「安心して会える時間か。やっぱりそうだよね。ゆっくり行くか」

 そう思うと、少し落ち着いた。

 * * *

 日曜の昼過ぎ、彩乃は電車を乗り継いで、灯里の動画に出ていた駅で降りた。

 初めて降りる駅だった。駅前には小さなロータリーと、古いビルがいくつか並んでいる。大きな商業施設はなく、人通りも多くない。

 彩乃は改札を出て、商店街までの道をLiaに聞こうとした。けれど、手首の画面に触れる前に、手を止めた。今日は、聞かずに歩いてみたかった。

 細い道を抜けると、商店街の入口が見えた。動画で見た時より、ずっと古びて見えた。シャッターの下りた店が並び、色あせた看板の文字はところどころ読みにくくなっている。風に揺れる手書きの貼り紙も、少し前からそのまま貼られているように見えた。

 開いている和菓子屋にも、客の姿はなかった。

 彩乃は、少しだけ拍子抜けした動画の中では、もう少し雰囲気のある場所に見えた。

 灯里がここを歩きながら、この空気が好きだと言っていたから、何かあるのだと思っていた。けれど、実際に立ってみると、そこはただの古い商店街だった。

 彩乃は、ゆっくり歩いた。灯里が立ち止まっていた角は、たぶんこのあたりだった。古い街灯の下に、細い路地が伸びている。

 けれど、彩乃の中で何かが大きく動くことはなかった。思っていたほど、好きにはなれない。そう感じて、少しだけがっかりした。

 それでも、彩乃はすぐには引き返さなかった。もしかすると、自分はこういう場所に一人で来ること自体、初めてなのかもしれないと思った。評価が高いわけでもない。便利なわけでもない。誰かにすすめられたとしても、自分に合うかどうかは分からない。それでも、自分の足で来た場所だった。

 商店街を少し進むと、小さな花屋があった。

 彩乃は足を止めた。

 店先のバケツに、黄色い花がいくつも挿してある。名前も、花言葉も知らない。ただ、きれいだと思った。

 この商店街が好きかと聞かれたら、まだ分からない。楽しかったかと聞かれても、素直にそうとは言えない。けれど、来なければ、この花の前で立ち止まることもなかった。

 来て楽しかった、とは少し違う。でも、来てよかったとは思った。

 * * *

 ただ、商店街で過ごせた時間は、思っていたより短かった。

 夕食の時間までは、まだかなりある。彩乃は少し迷ってから、待ち合わせ場所に向かい、近くのカフェに入った。そこは、彩乃も何度か使ったことのあるチェーン店だった。

 席に座った瞬間、思っていたより深く息が抜けた。いつもなら、ただ時間を潰すための便利な店だった。けれど今日は、その便利さが少しありがたかった。

 それでも、あの商店街へ行かなければ、この店がこんなふうに見えることもなかった。

 彩乃は温かい飲み物を両手で包み、窓の外を見た。行ってよかった。そう思ったあとで、もう一つ別の気持ちが遅れてきた。直人に、この話をしたらどう思うだろう。

 * * *

 夕方、彩乃は直人と夕食を食べた。仕事の話や最近の天気の話をしているうちに、時間はそれなりに過ぎていった。

 食事が終わりに近づいた頃、彩乃はふと口を開いた。

「野々村灯里って知ってる?」

 直人は顔を上げた。

「いや、誰?」

 あまりに素直な返事で、彩乃は少しだけ笑った。

「最近、動画とかエッセイで見かける人。映画とか展示とか、街のことを話してる」

「へえ。タレント?」

「タレントでもあるのかな。エッセイを書く人でもあると思う」

「その人がどうかしたの?」

「最近、少し気になってて」

「どういうところが?」

「評価が高いかどうかより、自分が気になるかどうかで動く人なんだと思う」

「評価?」

「うん。映画でも、店でも、場所でも。評価が低くても、なんか気になったら行ってみる、みたいなことを話してて」

 直人は少し首をかしげた。

「変わった人だね」

「……」

「評価を見ないで動くって、少し怖くない?」

「怖い?」

「だって、外れるかもしれないし。時間も使うし、疲れるかもしれないし」

「うん、そうかもしれない」

「もちろん、本人が楽しいならいいと思うけど」

 直人はそう付け加えた。

 声も柔らかく、否定しているわけではなかった。だからこそ、灯里の言葉が好きだとは、少し言いづらくなった。灯里のことを言われたのに、自分のことを言われたような気がした。

 * * *

 店を出ると、外はすっかり暗くなっていた。

 駅までの道を、二人は並んで歩いた。

 途中で、雨がぽつぽつと落ちてきた。傘を差すほどではないが、頬や手の甲に小さく当たって、降っていることだけは分かった。

「今日はありがとう」

「こちらこそ」

「夕飯だけでも会えてよかった」

 その言葉に、彩乃は少しだけ胸が痛んだ。

「うん」

「私も、会えてよかった」

 それは嘘ではなかった。けれど、そこに思ったほどの温度はなかった。

 * * *

 駅の改札前で別れ、電車に乗る。

 彩乃は座席に座り、窓の外を見た。暗いガラスに、自分の顔がうっすら映っている。息を吐いても、胸の奥に残った重さは消えなかった。

 このまま続けていていいのだろうか。う思った時、手首の画面を起こしかけて、やめた。Liaに聞けば、きっと正しい答えは返ってくる。けれど、今ほしいのは、正しい答えではなかった。

 * * *

 一方、直人は駅のホームで手首の画面を見ていた。

 今日のことをMarkに確認すると、返ってきたのは、良好という判断だった。

《会話量、滞在時間、別れ際の反応から見て、本日の接触は良好です。今後も相手の負担にならない頻度で関係を継続することを推奨します》

 その言葉を見て、直人は少し息を吐いた。

 今日の時間は、悪くなかったのだと思えた。直人はその安心を、そのまま受け取った。

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