【カメラを置いて鍬を持つ】第19話 名前を持たない道具
朝、カーテンを開けると、空はぶ厚い雲に覆われていました。スマホの天気予報には、しっかりと傘のマーク。
そういえば、先週の研修も雨でした。どうやら僕が畑に向かう日は、空のほうでも「よし、今日は降らせるか」と相談がまとまっているようなんです。
でも、畑は待ってくれません。今日の作業はふたつ。ネギの作付けの手伝いと、サツマイモの植え付けでした。

Y字の、名もなき相棒
作業の前に、一本の道具を手渡されました。
白い金属の細い棒で、握りは木。そして先端が、Y字に二股に割れている。長さは僕の腕くらいでしょうか。最初は正直、「これ、何に使うんだろう」と思いました。


使い方を教わって、なるほど、と膝を打ちました。
サツマイモの苗の根元を、このY字の股に引っかける。 そのまま、耕してできた溝の底へ、グッと垂直に差し込む。棒を静かに引き抜くと——苗だけが、土の中にスッと立って残るんです。
これが、気持ちいい。
手でかがんで一本ずつ植えるのに比べて、圧倒的に速い。腰もかがめなくていい。土の抵抗と、苗の収まる手応えが、棒を伝って手のひらに返ってくる。道具が、仕事の半分をやってくれている感覚なんです。

サツマイモは、マルチの上からだいたい30cm間隔で植えていきます。これが中腰で大変。機械が入れないから(雨でぬかるんで)手作業。気持ちいい筋肉痛でしたw
この道具、名前は?
夢中で植えながら、ふと気になりました。
「これ、何ていう道具なんですか?」
研修先の方に聞いてみたら、しばらく考えて、こう返ってきました。
「……何だろうね。昔から、こうやって使ってるけど」
名前が、ない。
正確には、誰も名前を知らないまま、ずっと使われ続けている。「移植器」とか「サツマイモ植え器」とか、呼び方は人によってバラバラ。でも、これだという正式名称は、誰の口からも出てこなかったんです。
——白状すると、僕はこういうものに、めっぽう弱い。
二十数年、世界中の「説明のつかないもの」「いつの間にかそこにあるもの」に惹かれ続けてきた人間としては、名前を持たないのに完璧に仕事をする道具なんて、もう胸が高鳴る対象でしかないわけです。畑の片隅に、ひっそり混じっているオーパーツ。そんな気さえしてきました。
サツマイモは「寝かせ方」で決まる
サツマイモの植え付け。
苗は、根のついた立派なものではなく、赤い茎を切り取ったもの(品種は紅はるか)。これを、黒いマルチの植え穴に挿し込んでいきます。

教わったのは、茎を寝かせ気味に、斜めに挿すこと。
サツマイモは、土に埋まった茎の節から芋がつきます。だからまっすぐ立てて挿すと芋は少なく大きく、寝かせて挿すと数が増える。挿す角度ひとつで、秋に掘り出す芋の「顔ぶれ」が変わるんです。
しかも紅はるかは、掘ってすぐより、少し寝かせて貯蔵したほうが甘みが増す品種なんだそうです。植えるときも「寝かせる」、収穫してからも「寝かせる」。その言葉を二度聞いて、思い出したのは、やっぱり親父のことでした。
茨城の畑で、親父は何でもないことのように苗を寝かせていく。理屈を説明されたことは、一度もありません。でも、たぶん親父の手は、「ここでこう寝かせれば、秋にどうなるか」を、もう全部知っている。
僕がいま、研修先で言葉として教わっていることを、親父は三十年以上、ただ手で覚えてきた。言葉になる前の知識。それを僕は今ごろ、後ろから追いかけているんですね。
カメラマンの目で
ひとつ、撮りたいカットがありました。
ネギの苗が、Y字の股に吸い込まれていく、あの一瞬。
緑の細い苗が、白い二股の先に引っかかり、土の中へ消えていく。コンマ何秒の動き。スチールで20年やってきた目は、こういう「一瞬で完結する所作」を見ると、つい指がシャッターを探してしまうんです。
でも今日は、カメラを置いてきた手で、ただ何本も植え続けました。撮るより先に、まず手が覚える。それも、悪くない一日でした。
来週やること
ネギの追肥・土寄せのタイミングを教わる
サツマイモの活着(根づき)の確認
雨でも使える長靴の、泥落とし問題をなんとかする(切実)
今回のまとめ
名前のわからないY字の道具が、ネギ・サツマイモ両方で大活躍した
ネギは深い溝の底に植え、土を寄せて白い部分を育てる
サツマイモは挿す角度で、秋の芋の数と大きさが変わる
言葉で教わる僕と、手で覚えてきた親父。追いかける背中は、まだ遠い
雨の一日。土はぬかるみ、長靴は泥だらけ。でも、名もなき相棒のおかげで、僕の手にはたしかな手応えが残りました。
この道具の正式名称、もしご存じの方がいたら、ぜひ教えてください。畑のオーパーツの正体、知りたいんです。
【シリーズ「カメラを置いて鍬を持つ」】
