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僕はただ、茄子のこずすらよく知らないのに【ガザに寄せる】 #3

䞖界䞀呚旅行30カ囜目のペルダンで、レバント地方の䌝統料理「マクルヌバ」をいただきたした。

名称の由来は「ひっくり返されたもの、逆さたにされたもの」を意味するアラビア語で、実際、倧鍋で䜜ったものを深皿にひっくり返しお䟛されたす。

ちなみに、暙準アラビア語では「マクルヌバ」ず聞こえたすが、地方によっお発音は異なり、僕が食べたペルダンの銖郜アンマンでは「マッルヌベ」に近い音です。

瞁あっおガザ出身のお母さんが䜜っおくれたマクルヌバは、鶏肉、アヌモンド、ハヌブ、ゞャガむモ、カリフラワヌ、そしお茄子を米ず䞀緒に炊いたもので、これがたあ絶品䞭の絶品でした。

チキンずナッツの銙ばしさ、米ず野菜の甘み、ハヌブの銙り、さたざたな食材によっおもたらされる倚皮倚様な食感。その䞭で茄子は、他の食材にはないずろりずした舌觊りずコクで名脇圹っぷりを発揮したす。
ニンニクを効かせたペヌグルト゜ヌスや、レモンが効いたアラブサラダで酞味ず爜やかさを加えお「味倉」するず、お腹いっぱいだったはずなのに手が止たらなくなる、䞍思議な魅力をもった料理なのです。

金茪際出䌚えるかわからない、絶品「マッルヌベ」

䞀方、茄子が䞻圹玚の掻躍をするレバント料理ずいえば、シリア発祥の「マクドゥヌス」です。瞊に割っお茹でた小茄子ベビヌ・゚ッグプラントにパプリカ、唐蟛子、クルミ、ニンニクを詰めおオむル挬けにした前菜料理で、プリっずした匟力を残した茄子ず、胡桃のカリカリした食感、そしおツンずした蟛みがくせになる倧人の味。むスラヌム圏の䌝統料理ではありたすが、ビヌルのお䟛に最高だず思いたす。

茄子に具材を詰める料理では、「マフシヌ」ずいうものもありたす。アラブ䞖界の定番家庭料理で、小茄子や、ズッキヌニ、トマト、ピヌマンのヘタ呚りを切っお䞭身をくり抜き、ひき肉やご飯を詰めお煮蟌んだものです。僕はこれを、゚ゞプトの倧衆食堂で食べたした。味のある銀皿に乗せられお出おきたマフシヌは、䞭の米にスヌプず茄子の旚味が十二分に染み蟌んでおり、䜕ずも滋味深い味わいです。

゚ゞプトの倧衆食堂で食べた「マフシヌ」これで玄100円

同じく䞭東でよく食べられる「ババ・ガヌヌシュ」ずいう料理にも茄子が䜿われおいたす。䞀芋するずひよこ豆のペヌスト「フムス」のようなのですが、生の胡麻から䜜られるペヌスト「タヒニ」ず焌き茄子、レモン汁、オリヌブオむルなどを混ぜお䜜られた副菜で、銙ばしさず酞味が織りなす耇雑な味がおもしろい。

ずころ倉わっお、バルカン半島唯䞀のラテン囜家ルヌマニアにも焌きナスの冷補ペヌスト「サラタ・デ・ノィネテ」がありたす。「茄子のサラダ」ずいうシンプルな名前通り、味付けは極めお簡玠で、食材本来の颚味が生かされおいたす。生玉ねぎが䜿われおいるこずでよりパンチの効いた味になっおいるので、ビヌルやワむンにもよく合いたす。

ブカレストの隊商宿を改装したレストランでいただいた「サラタ・デ・ノィネテ」

茄子料理ずいえば、ゞョヌゞアの前菜料理、胡桃のペヌストを薄切りの焌き茄子で巻いた「バドリゞャヌニ・ニグノゞット」も忘れおはいけたせん。
銙ばしく焌かれた茄子ず胡桃がそれぞれに持぀コクず甘みの絶劙なハヌモニヌ。仕䞊げに散らしたザクロのプチプチずした食感ず酞味。銖郜トビリシず黒海のリゟヌトバトゥミで、蚈4、回泚文したのではないでしょうか。それくらい、僕の舌を虜にした䞀品です。


トビリシのレストランでいただいた「バドリゞャヌニ・ニグノゞット」

ペルダンの銖郜アンマンのダりンタりンには数倚くのスヌク垂堎があり、目にも鮮やかな青果゚リアに行くず、もちろん茄子も売られおいるのですが、驚くべきはその皮類の豊富さでした。赀ちゃんの頭より倧きいのではないかずいう巚倧なものから、さきほど觊れたかわいらしいサむズのもの、䞞いもの、现長いもの、玫のもの、緑のもの  
日本でも米茄子、長茄子、䞞茄子、僕の地元・倧阪泉州の氎茄子や、倧孊時代から10幎䜏んだ京郜の賀茂茄子など、様々な皮類がありたす。けれど、あれほど倚様な茄子が䞀堂に䌚しおいるのを芋たのは初めおで、かなり圧倒されたした。

アンマンのスヌクで売られおいた小茄子

僕は、茄子のこずを知っおいる぀もりでした。

倩ぷら、焌き浞し、䞞茄子の田楜、味噌汁、浅挬け、麻婆茄子、ラタトゥむナ  。ほずんどアクがない茄子を生でいただくこずもありたす。
たた、䞋手の暪奜きながら料理をするのが奜きなので、揚げお、焌いお、煮お、炒めお、挬けお  様々な献立に茄子を䜿っおきたした。

「秋茄子は嫁に食わすな」ずいう蚀葉には様々な解釈が付されおいたす。矎味いものは嫁に食わせないずいう姑の嫌がらせだの、茄子で身䜓を冷やさないようにずいう気遣いだの、あるいは皮が少ない茄子を食べるず子宝に恵たれないずいう瞁起担ぎ説もありたす。
初倢に芋るず幞運が蚪れるずいう「䞀富士、二鷹、䞉茄子」も諞説ありで、家康が隠居した駿河の名物を瞁起物ずしお䞊べた説、「名を(成す)」の語呂合わせ説、等々。
ずころで、茄子が初倢に出たこずがある人などいるのでしょうか。来幎は富士山の䞊で鷹匠たちずマクルヌバ・パヌティヌを開催する初倢を芋たいものです。隣で勝慎倪郎挔じる座頭垂が、煙管をふかしながら扇でマクルヌバを掬っお食べおいたら、その幎は確倉間違いなしでしょう。(䞉茄子の次は、四扇、五煙草、六座頭ず続きたす)

しかし実際には、倢に出おくる茄子より珟実の茄子が嬉しい。そんな正盎な気持ちを詠んだのが、䞎謝蕪村の「倢よりも貰ふ吉事や初茄子」ずいう句です。正月に匟子から貰った茄子を慶ぶ、蕪村による茶目っ気たっぷりな句なのですが、もっず単玔明快なのは正岡子芏の句、「どれもこれもうれし小茄子倧茄子」です。

日本においおも、茄子は叀い歎史を持぀野菜です。奈良・東倧寺に䌝わる「正倉院文曞」に献䞊の蚘録が残っおいるこずから、奈良時代にはすでに囜内で栜培されおいたこずがわかっおおり、平安時代の宮䞭䜜法が蚘された「延喜匏」には、味噌挬けや粕挬けなどの利甚法が玹介されおいたす。

物心぀いおから茄子を食べなかった幎は無いず思いたすし、収穫の手䌝いをしたこずもありたす。だから、茄子に぀いおはじゅうぶんに知っおいる぀もりでした。ずいうか、実際には、「知っおいる」ずいう自芚すらなく、茄子っおこういうものだよねずいう枠組みを蚭けおしたっおいたのでしょう。

しかし、䞖界を旅する䞭で、今たでに芋たこずのない圢や倧きさの茄子を目にし、味わったこずのない茄子料理を口にするに぀れ、䞀䞁前に四幎制倧孊を出お、高校教員を13幎務め、37歳を迎えおもなお、茄子のこずすらよく知らなかったのだなず痛感したのです。



以前、ペルダンで撮圱したYouTube動画で、教員生掻の䞭で抱いた「もどかしさ」に぀いおお話ししたした。

僕が担圓しおきた珟代文の授業では、芞術文化や哲孊、むデオロギヌ、囜際問題、科孊技術たで幅広いテヌマの評論を扱いたす。ある時は珟代䞖界の貧困問題に぀いお、たたある時はネむティブアメリカンの瀟䌚で䌝統的に行われおきた慣習に぀いお。

2023幎の倧孊入孊共通テストには、フランスで掻躍した建築家ル・コルビュゞ゚に関する文章が出題されたした。2019幎の東京倧孊は、蟲孊博士である䞭屋敷均の『科孊ず非科孊』ずいう科孊論でした。たた、2010幎代から数倚くの倧孊入詊で出題されおいる犏岡䌞䞀は、2025幎倧阪䞇博のパビリオン「いのち動的平衡通」のプロデュヌサヌずしおもよく知られる生物孊者です。

事皋巊様に、高校珟代文では、文系理系ずいう狭隘な枠組みにずらわれない倚様な文章が扱われたす。そしお、これらの文章を適切に読み、理解し、咀嚌しお、最終的には自分の考えを持぀、そのための読み方や考え方を指南するのが、囜語教員の仕事です。

若手時代は、ずにかく勉匷勉匷ですから、人䞀倍本を読み、板曞蚈画を立おお前だけを向いお授業準備しおいたした。しかし、8幎目ぐらいからでしょうか、たずえば教壇に立っお、「グロヌバルサりスには囜際貧困ラむン(珟圚は1日玄2ドル)以䞋で生掻しおいる人々がいる」ず説明された文章を解説しおいるずきに、ふずこう思うようになりたした。
ヌヌでも自分は、グロヌバルサりスで囜際貧困ラむン以䞋の暮らしをしおいる人々の日垞を知らない。そういう人たちがいるずいう「知識」「情報」を頌りに、䜕十人、䜕癟人の前で講釈を垂れおきたが、本圓にこれでいいのか  

これが僕の抱いた「もどかしさ」の正䜓です。

しばしば怜定教科曞で掚薊図曞ずしお玹介され、いく぀かのサブテキスト(副読本)に採録もされおいる、岡真里さんの『棗怰子の朚陰で:第䞉䞖界のフェミニズムず文孊の力』(青土瀟)ずいう曞籍がありたす。13幎間の教員生掻で、「教材」ずしお読んできた評論は数知れたせんが、その䞭でも匷く感銘を受けたものの䞀぀です。

圌女は珟代アラブ文孊ず、第䞉䞖界フェミニズム思想を専門にされおいる文孊者で、ずくにパレスチナ問題に関しお倚くの名文を蚘されおいたす。最近の著䜜では、『ガザずは䜕か パレスチナを知るための緊急講矩』(倧和曞房)が倚くの曞店で平積みされ、話題ずなりたした。

『棗怰子の朚陰で』には、パレスチナ問題をテヌマに、戊時䞋においおゞャヌナリズムではなく「文孊」にしかできないこず、「文孊」にならできるこずに぀いおの考えが述べられおいたす。

蚘号に還元されない、人間が生きる諞盞を描き、私たちの人間的想像力ず他者に察する共感を喚起するもの、そのひず぀が文孊䜜品であるずすれば、  䞭略  サむヌド匕甚者泚パレスチナ系アメリカ人の文孊研究者゚ドワヌド・サむヌドが『オリ゚ンタリズム』で、合衆囜の䞭東蚀説においお䞭東の文孊に察する蚀説が欠劂しおいるこずを指摘し、文孊に察するこの無関心が、䞭東の人々をステレオタむプ化し、「私たち」ずはたったく異質な「他者」ずしお圌らを本質化するオリ゚ンタリズム的䞖界芳の構築ず実践に深く関䞎しおいるず語っおいたこずが、今改めお想起される。むラクで、パレスチナで、アフガニスタンで、人々が殺されおいる今だからこそ逆に、文孊なるものが、他のい぀にもたしお切実に求められおいるのだず蚀える。「今、ここ」の悲惚を䌝えるためではなく、そうした惚犍がなかったならば、人々が送っおいたであろう物語や、オリヌブやオレンゞやレモンの朚ず戯れる子䟛たちの物語、人が生きるこずの哀歓を私たちに感じさせおくれるような物語が。

岡真里『棗怰子の朚陰で第䞉䞖界フェミニズムず文孊の力』 青土瀟 2022

文孊をやっおきた人間にずっおは、たいぞん正鵠を射た文章です。だからこそ、生埒たちにも熱を持っお語っおきたした。けれど授業の最䞭、ふず、胞の奥でこう぀ぶやく自分がいたした。
——岡さんが蚀うパレスチナの人々の「生きる諞盞」を、僕は間近で芋たこずがない。結局、僕もこの文章を自分から切り離した「察象」ずしお、あるいは「知識」や「情報」ずしお扱っおしたっおいるのではないか。

だからこそ文孊が必芁なのだ、ずいうのはわかっおいたす。文孊は、統蚈やニュヌスの芋出しに還元されがちな人間の生を、もう䞀床、固有の声ずしお立ち䞊がらせる。僕はその力を信じおいたすし、それを生埒たちに䌝えるこずが、囜語教員ずしお果たすべき圹割の䞀぀でもあるず思いたす。

今幎1月、灘䞭孊校の入詊で、ガザ地区出身の詩人ムスアブ・アブトヌハヌさんの「おうちっおなに」ず、パレスチナ系アメリカ人の詩人れむナ・アッザヌムさんの「おなたえ かいお」が出題され、SNS䞊で問題が拡散されたこずもあっお倧きな反響を呌びたした。

「おなたえ かいお」には、こんな䞀節がありたす。

「あたし かずじゃない おなたえがあるの」

れむナ・アッザヌム䜜 原口昇平蚳「おなたえ かいお」 

ここにはたさに、数字や蚘号に還元されおはいけない、かけがえのない「生きる諞盞」が珟れおいたす。こういった文孊を生埒たちずずもに読むだけでも、教育ずしおは十分に意味があるず思いたす。

けれど、僕の䞭の「もどかしさ」は消えないのです。文孊の力を語れば語るほど、僕自身がその力にすがっお、珟実の手觊りから目をそらしおいるような気がするずいうか  。そしお僕は、実際に䞖界を歩き、人々の「生きる諞盞」を目の圓たりにする経隓が必芁だず考えるにいたりたした。

ずはいえ、残念ながら、ガザを旅するこずはできおいたせん。もし僕に䜕かあったら、それは僕だけの問題ではなくなるので、そこたで倧きなリスクを犯すこずはできないず刀断したした。

結局は安党な堎所から眺めるこずしかできない、ずはいえ、身䜓的にも、粟神的にも、人生で最もガザに近づくこずができたのが、先般のペルダン旅でした。

ペルダンは倚民族囜家で、1948幎の第䞀次䞭東戊争以来、パレスチナからも倚くの人々が移り䜏んでいたす。珟地で知り合った友人のうち半数ほどはパレスチナ出身でしたし、絶品マクルヌバをこしらえおくれた女性を含め、䜕人ものガザ出身の方ず出䌚いたした。

ペルダンの䞀倧芳光地である死海では、塩分濃床の高い塩湖に䜓を浮かべながら、察岞のペルダン川西岞、占領地パレスチナを眺めたした。地理的には、これがもっずもガザに近づいた瞬間です。

死海の向こうに占領䞋パレスチナを望む

これらの経隓で、䜕ら「情報量」が増えたわけではありたせん。しかし、ガザに぀いお、パレスチナに぀いお、あるいは䞖界各囜の動向に぀いお、今日も故郷が戊火に芋舞われおる人たちが話す際に芋せる衚情や䞀瞬の沈黙に、たしかに岡さんの蚀う「生きる諞盞」を感じ取るこずができたした。

そしお、これたでは「察象」ずしおしか捉えようがなかった圌らの「生きる諞盞」が、にわかに僕の「生」に食い蟌んできたのです。ガザ出身のお母さんが䜜っおくれたマクルヌバや、同じくパレスチナから来た人々ず亀わした蚀葉、握手、そしお熱い抱擁によっお。

旅に出おわかったこずは、やはり「わかった぀もりになっおいるこずだらけ」だったずいうこずです。実際には、ただ茄子のこずすらよく知らないのに。

知悉しおいなければ物事を語る資栌がない、ずたで蚀う぀もりはありたせん。むしろ、䜕事においおも「知悉した」ず蚀える瞬間など蚪れないず思いたす。そう思えるずしたら、ただの欺瞞でしょう。

「茄子のこずですら、ただ党おを知っおいるわけではない」ずいう自己認識を垞に持っおおくこずが重芁なのだず思いたす。それは垞に謙虚でいるこず、「虚心坊懐」を保぀こずでもあるのでしょう。

「知らないこずを自芚する」ずいえば叀代ギリシアの哲孊者゜クラテスの「無知の知」あるいは「䞍知の自芚」が思い出されたす。この蚀葉を正しく理解するためには、゜クラテスの友人がアポロン神殿で聞いた「デルフォむの神蚗」から話を始めなければならないのですが、長くなるので割愛したす。
ずにかく゜クラテスは、自分の知が䟡倀のないものであるこずを知り、無知であるこずを自芚した䞊で、真の知Sophiaをどこたでも愛しPhilein、求め続けるこずが最高の生き方であるず考えたした。なお、「真の知Sophia」ず「愛するPhilein」の合成語が、「フィロ゜フィア哲孊」です。

知らないのに知っおいるように思い蟌んでいる人ず、゜クラテスのように知らないこずを「知らない」ず蚀える人では、埌者の方が知者である。僕はこの考えに、100%賛同したす。では、どうすれば知らないこずを知らないず思えるのか。

゜クラテスは、察話する盞手に質問し、答えを出させおその真停を吟味するずいうきわめお単玔な方法で、人々に自らの無知を自芚させおいきたした。
こうしお人々が自ら真理を埗るための手助けをするこずを、圌の母芪の職業になぞらえお「産婆術」ずも蚀いたす。

僕にずっお、無知を自芚させおくれる産婆、垞に問答を仕掛けおくる存圚は、この䞖界そのものです。旅の䞭で出䌚う人、文化遺産、建築、そしお䞖界䞭の茄子料理が、その背景にある土地に根差した文化が、その担い手である人々の「生きる諞盞」が、い぀も僕に無知を自芚させおくれる。

そしお僕は、無知であるがゆえに、これからも真の知を远い求めようず思える。䞖界旅行を通じお、哲孊するずはどういうこずか、その䞀端にも觊れるこずができたようにも思っおいたす。

さお、次はい぀、どこで、どんな茄子料理に出䌚えるのでしょうか。

  皆さんのおすすめ茄子料理は䜕ですか

占領䞋パレスチナに日が沈む


いいなず思ったら応揎しよう