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掌編小説│暁を喰う女


 女は、夜にしか目覚めない。
 空が闇に覆われる夜にだけ、命をあたえられた。
 夜にだけ生を受け、夜が明けると同時に生を喪う。

 宵闇のその下で、女は今日も目覚める。
 毎夜、変わることなく。
 ゆっくりと開かれた濡烏の眼は空の闇よりも濃く深く、陽を受けられぬ肌はぞっとするほど青白かった。
 しばし虚空を見つめたまま動かず、細く薄く息を吐く。静寂の夜に目覚めるのは女ただひとり。
 だれも、いなかった。
 女以外、だれも。

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 目覚めた女は月光を浴びた水を口に含み嚥下する。かすかに動いた喉は女を潤したのか、乾きを強めただけなのか。紅をさしたかのように紅い唇は引き結ばれたまま、瞳は感情の色を持たないままで白く細い腕を伸ばす。

 どこからか、羽音を響かせて一羽の烏が女のそばに降り立った。
 それは女の眼と同じ色を纏って女を見上げ、かあとひとつ鳴き声を上げた。女は、引き結んでいた唇をゆっくりと開き、玲瓏な声で問う。

「おまえは、朝を知っている?」

 烏は、応えなかった。
 代わりに伸ばされた女の腕に止まり、ひとつ頷くかのように顔を伏せた。鋭利な爪は青白い肌に食い込み、ぷつりと小さな音を立てて女の肌から丸い赤が膨らむ。女は烏の羽に空いている手を伸ばすと、なんの躊躇いもなくそれを捥いだ。漆黒の烏はぎゃあ、と一鳴きしてからばさばさと暴れ回り腕から逃げ惑う。

「おまえの羽を喰らえば、朝を知ることができる?」

 女は捥いだ羽を月光に透かした。
 けれど漆黒はどこまでも漆黒で、その奥に朝の色などひとかけらも見つからない。それでも女は羽根の先を唇に含んだ。

「……苦い」

 誰にも聞かれない呟きが、静まり返った夜の中に響く。
 朝とは、こういう味なのか。
 否────知らないからこそ、なにも分からない。

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 女は、朝を知るものを集めはじめた。
 日の光を浴びた花。
 東から飛んできた鳥の羽。
 朝露を宿したらしき葉。
 夕暮れまで陽を映していた硝子の欠片。
 けれど、女の手に触れる頃には、すべて夜の色をしていた。
 朝だけが、どこにもなかった。

 ならば、見つかるまで。

 女は夜のなかで煌々と燃えさかる焔を見つけた。
 焔のゆらぎ、焦げた匂い、橙に染まる夜。
 そして、ぱちんとわずかにはじけた火花。
 それはいままで見たもののなかでひときわ明るかった。これが朝なのではないかと女は感じた。

 もっともっと、もっと大きな火花を。

 女は焔を欲し、一心不乱に焚べ続けた。
 それを見るためならば、たとえ何が犠牲であろうとも厭わなかった。手当たり次第に焔に投げ入れ、絶やさぬよう夜毎抱え込んだ。

 ばちん、と夜を引き裂く音がした。
 凄惨にはじけて夜空を彩る────待ち侘びた、火花。
 濡烏の眼に焔がうつる。

 橙、赤、金……女は色の名前を知らなかった。だが「美しい」とだけ囁く。
 青白い指先をためらいもなく伸ばす。ちり、と焼け焦げる匂いがしてそのすぐあとに指先に刺激が走る。

 「熱、い」

 月光の冷たさとは違う。
 水や夜風の冷たさとも違っている。

 引き結ばれていた女の紅い口角が上がる。
 笑み崩れる。
 ああ、これが陽だろうか。
 これが朝だろうか。
 きっとそうに違いない。
 本当に?
 
 女は、未だ見ぬ曙に焦がれた。
 恋焦がれ、己にあたえられた生の運命に抗った。喉を、腕を掻きむしり、遠のいていく意識を繋ぎ止めるために。
 白い肌は夜を越えるごとに赤く滲んでいく。

 女は夜にしか目覚められなかった。
 女は夜にしか生をあたえられなかった。
 なんのために、だれが、なんて女は知ることもなく、知ることに興味もなく、女はただ夜のなかだけに生きていた。
 なにも知らなかった女の心に焔が宿る。
 熱望、渇望、羨望、欲望────そのすべてをもって閉じられる生へ、夜へ、抗う。

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 風が吹いた。
 きん、と澄んだ目覚めの風が。

 微かに、空の端が色を変えはじめたことに、女は気づかなかった。
 それは、女を夜に縛りつけていたものが音もなく手放したのかもしれなかった。

 夜しかあたえられなかった女の肌に、暁の菫が堕ちる。
 女の肌に、一筋の亀裂が走った。
 ぼろぼろと女の肌は剥がれ落ちる。
 それでも女は、眼を閉じなかった。

 空が、白みはじめる。暁から曙へと移り変わっていく。
 濃藍が紫へ。紫が菫へ。菫が淡い青へ。
 女は、声もなく息を呑んだ。

 ────夜が、明ける。

「……これ、が」

 掠れた声は最後まで続かなかった。喉がひくりと鳴る。込み上げるなにかを必死に飲み込んで、滲む視界を振り払う。
 東の涯に、ひとすじの金が滲む。
 鳥たちが高らかに歌う。
 女は崩れかけた指先を伸ばして、空を見つめ続けた。

 濡烏の眼に朝がうつる。
 それは、残酷なほど美しく眩い朝だった。



2026年創作
画像:chatGPTで生成


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