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洋裁を習う理由


ホームスパンの工房で弟子期間を終えたあと、
洋裁を習い始めました。

出来ればパターン(型紙)を引くところから
本格的な作り方を教えてもらえるところがいいと思っていたところ、
今の先生に出会うことができて、習い続けています。

なぜ、ホームスパンをする人が
洋服作りを学ぼうと思ったのか。
それは恐らく、わたしの幼少期に理由がありました。

始まりは、幼稚園


幼稚園の頃の思い出と言われて、わたしは編み物と縫い物をしたことと答えるのですが、みなさんは何を思い出すでしょうか。

わたしの通った幼稚園では、入園して間もなく、
先輩の園児から針やハサミの使い方を教えてもらいました。

そこに先生の姿は無く(同じ教室内にはいるのですが、)
道具の使い方や片付け方、縫い方、刃物を扱う際の注意点などを、一つか二つ年上の園児に習うのです。

初めて教わったのはボタンつけだったでしょうか。
四つ穴、二つ穴、足つきのボタンが様々入った入れ物から好きなものを一つ選んで縫い付ける。
人生で初めての玉結びは、4歳でした。

次に教わったのは、なみ縫いと本返し縫いです。
こちらは紙に点と線で絵が描かれていて、点に針を刺して絵を糸で縁取るものでした。

同じように、かぎ針編みも教わります。
編み方と糸の継ぎ方を教わったら、あとはひたすら編み続けました。
三角と四角のストールを編みました。何枚も、何枚も。


この幼稚園では、自分の選んだ「おしごと」と呼ばれる作業を
好きな時にして、終わったら次の人のためにきれいに片付ける。
毎日それの繰り返しでした。


おかげでわたしは編み物と縫い物にどっぷりハマり、
幼稚園でも家でも、折り紙とあやとりと、
編み物と縫い物を黙々とやるようになりました。


小学校低学年では
姉が飽きて放置していたおもちゃのミシンをほぼ毎日使って人形の服を作り始め、
そのミシンが壊れた後は本格的なミシンを買ってもらい、
母と書店に行けば、手芸の実用書コーナーに直行するようになり、
そこから他の手芸もするようになりました。
刺繍、カゴ編み、フェルト、ビーズ、飾り結びなどなど
目につくものは全てやりました。

そうしているうちに、
形あるものは何でも作れるんじゃないか、という
まるで自分が無敵であるような気持ちになりました。


自分の行く道を決めた大学時代


進路を決める、ということをきちんと理解していなかった中学高校時代も
暇さえあればものづくりをして過ごし、
漠然と、ミシンを使う仕事に就くんだろうな、と思っていました。

しかし我が家は少し古風なもので、
専門学校に行きたいと言ったわたしに、絶対に大学に行け(しかも指定校推薦で行け、絶対だ)と言われ、
訳もわからず、何となく大学を選びました。
せめてやりたいことができるところ(と言っても、具体的には考えていませんでしたが)と思って、家政学部被服学科に入りました。

そこで洋裁や和裁だけでなく、洗濯に関することや素材のこと、流通や販売に関することなど
広く学ぶことができました。

そこでご縁があって織物の卒業演習をして、
ホームスパンの道に踏み出したのでした。


ホームスパンをやっていたら見えてきたこと


ホームスパンの服地を仕立てる時は仕立て屋に頼む、というのが当たり前でした。

しかし、頭の中にある洋服のイメージを人に伝えるのはとても難しく、
丈、幅、シルエットなど、細かく考えていても
結局仕立て屋さんの癖というか、方向性に出来あがってしまうのを何度も見ていて、
あれ?これ自分で作った方がいいのでは、、、?と
急に若い頃の無敵だった自分が現れて、
そうして今に至ります(長くなりました、ごめんなさい)


洋裁を始めてからのわたし


洋裁を習い始めてからは、
「小さい頃からお裁縫が得意でした!」とは
口が裂けても言えないくらい
広くて深くて難しい世界に足を踏み入れたのだと実感しながら、
ゼロから教えてもらう日々がとても楽しいです。

洋裁を習うようになってから、
服地を作る時に考えることが増えました。
仕立てた後のイメージだけではなく、裏地の色やボタンの色、服地の厚さや糸の雰囲気など。
おかげで、仕立て始めたけれど合う裏地がない!ということも減りました。
先に別の生地で試作と仮縫いを何度もやって、パターンが完成してからいざ織り始めるので、
無駄のない幅と長さの服地を作れるようになりました。
良いことづくめです。良いことしかない。


まだまだ染織も洋裁も未熟で
目標の自分には程遠いですが
少しずつ、理想のカタチに近づけますように。


#HAMAL #ホームスパン #染織 #洋裁 #ものづくり #やってよかったこと

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