公式化・標準化は薬だけど、強すぎると毒☠にもなる──企業成長ステージから見える本質|あるく戦記
突然ですが、「企業の成長ステージ」というものを知っていますか?
企業の成長を、
「創業期」➡「成長期」➡「成熟期」➡「衰退期」
という4つの段階に分け、それぞれのステージで異なる課題や戦略が求められる、という考え方です。
今回は、この「企業の成長」と関係の深い「公式化」や「標準化」について考えてみたいと思います。
企業成長の4つのステージと公式化の関係
創業期(スタートアップ期)
創業から数年以内の企業が多く、従業員も少人数。
創業メンバー同士の距離が近く、社内ルールもそれほど整備されていません。
「わざわざルールにしなくても、言えば分かる」
そんな状態でも、組織は十分に動かすことができます。
成長期
事業が拡大し、人も増えてくる段階です。
それまで「人から人へ」と伝えていた仕事のやり方や判断基準を、少しずつルールとして公式化する必要が出てきます。
「人が増えても、同じように仕事ができる状態」をつくるためです。
成熟期(安定・拡大期)
事業が軌道に乗り、経営が安定していく段階。
業務マニュアルや各種規程、承認フローなどが整備され、誰が担当しても一定の品質で仕事ができる、標準化された仕組みが整っていきます。
これは組織を安定させるうえで、とても重要なことです。
衰退期(再成長期)
市場環境や競争の変化によって、成長が停滞する段階です。
ここまで組織を支えてきた「公式化」が、場合によっては変化への対応を邪魔することがあります。
「今までこのやり方でやってきたから」
「規程ではこうなっているから」
「前例がないから」
そんな理由で、新しいことを試すのが難しくなってしまうのです。
ここを乗り切れるかどうかが、衰退と再成長の分岐点になるのかもしれません。
なぜ「公式化」・「標準化」が必要なのか
企業が成長すると、必ずと言っていいほど「公式化」や「標準化」が必要になります。
これは決して「悪」ではありません。
むしろ、組織が成長していくための自然な進化です。
創業期は少人数なので、暗黙知の交換や、その場その場の調整で仕事が回ります。
しかし、人が増えてくると、やり方のばらつきや品質の差が問題になり、属人化のリスクも高まります。
誰が何を担当し、どの手順で進めるのかを揃えなければ、組織は混乱してしまいます。
だから「公式化」・「標準化」は、こうした複雑性を抑えるための、いわば**「薬」**なのです。
手順を揃え、ミスを減らし、品質を安定させる。
管理コストを下げ、組織としての再現性を高める。
企業が成長するうえで、欠かせない存在です。
ですが……
公式化が毒☠に変わる瞬間
問題は、「公式化」そのものではありません。
問題なのは、公式化されたものを「守ること」そのものが目的になってしまうことです。
特に分かりやすいのが、人事評価ではないでしょうか。
本来なら、
「新しいことに挑戦した」
「周囲を助けた」
「問題を発見した」
「業務を改善した」
といった行動も評価したいところです。
しかし、こうした行動は評価するのが難しい。
一方で、
「ミスをしなかった」
「期限を守った」
「規程違反をしなかった」
「指示どおりに行動した」
といったことは、比較的評価しやすい。
その結果、評価制度が「加点」よりも「減点」を意識させるものになると、
「成果を出す」よりも「失敗しない」
ことが重要になってしまいます。
「余計なことはしない」
「前例のないことはやらない」
「問題を起こさない」
そんな行動が、組織の中で合理的になってしまうのです。
そして、ここで「心理的安全性」が関係してきます。
公式化の副作用を抑えるもの
心理的安全性とは、単に「何でも自由に発言できる職場」という意味ではありません。
今回のテーマで重要なのは、
「組織にとって都合の悪いことを言えるか」
ではないでしょうか。
例えば、
「このルール、現場ではちょっとやりにくいです」
「この評価制度だと、新しいことに挑戦しにくいです」
「今までのやり方が、今の環境には合わなくなっているのでは?」
こうしたことを言えるかどうか。
もし「そんなことを言ったら評価が下がる」「面倒な人だと思われる」と感じる組織なら、社員は黙ってしまいます。
すると、
「おかしい」と思っても言わない。
「改善したほうがいい」と思っても提案しない。
「新しいことを試したい」と思っても挑戦しない。
こうして、公式化の副作用がさらに強くなっていきます。
逆に心理的安全性が高ければ、
「このルール、もう合わなくなっていませんか?」
という声が上がってきます。
つまり心理的安全性は、公式化・標準化を否定するものではなく、
公式化によって生じた問題を発見し、修正するための「安全弁」
のような役割を果たすのではないでしょうか。
「雑談」にも意味がある?
そして、ここで私が個人的に大切だと思っているのが「雑談」です。
もちろん、仕事そっちのけでずっと雑談をしていればいい、という話ではありません。
あくまでも「適度な雑談」です。
私は、雑談には**「公式化されていない情報を交換する余白」**としての意味があると思っています。
例えば、
「最近、この仕事ちょっとやりにくくない?」
「実は私もそう思ってた」
「この前、こうやったら意外とうまくいきました」
そんな会話は、マニュアルにも会議資料にも載っていません。
でも、そこには現場の小さな気づきや経験、違和感が含まれています。
そして、
「そういえば、あのルールって今のやり方に合ってないんじゃない?」
という話が生まれるかもしれません。
いきなり「業務改善の提案をしてください」と言われても、本音はなかなか出てきません。
でも、普段からちょっとした会話をしている相手なら、
「そういえば、ちょっと気になってることがあるんですけど……」
と話し始めることができます。
そう考えると、雑談は単なる「仕事とは関係のない無駄話」ではなく、
組織の中にある小さな違和感や経験を共有する、非公式な情報交換の場
とも考えられるのではないでしょうか。
公式化しすぎないことも、組織づくり
ここまでの話を整理すると、
「公式化」・「標準化」は、組織を安定させるための薬。
でも、強すぎれば、
「ルールを守ること」が目的になり、挑戦や発言が減ってしまう。
そして、心理的安全性が低いと、
「おかしい」と思っても言えなくなり、公式化の副作用がさらに強くなる。
だからこそ、組織には、
「ルール」だけではなく、「ルールについて話せる余白」
も必要なのではないでしょうか。
その「余白」の一つが、私は「雑談」なのだと思っています。
もちろん、ルールがなければ組織は回りません。
標準化しなければ、人が増えたときに組織は複雑になり、品質を維持することも難しくなります。
だから大切なのは、
ルールを作ることでも、ルールをなくすことでもない。
「今の組織に、このルールは本当に必要なのか?」
と、ときどき立ち止まって考えられる組織であること。
そして、その疑問を誰かが口にできることです。
先週の記事では、将棋の「感想戦」を取り上げました。
対局後に「誰が悪かったのか」を責めるのではなく、「何が起きていたのか」を振り返り、次の一手につなげる。
もしかすると組織のルールや仕組みにも、同じことが言えるのかもしれません。
「誰がルールを守らなかったのか」ではなく、「このルールは今の組織に合っているのか?」
と、ときどき振り返ってみる。
企業の成長ステージが変われば、必要となる「公式化」の度合いも変わります。
創業期には「柔軟さ」。
成長期には「標準化」。
成熟期には「安定」と「効率」。
そして、再成長を目指すのであれば、ときには、
「変える勇気」
も必要になる。
薬が効いているからといって、いつまでも同じ薬を飲み続ければいいわけではありません。
組織の状態が変われば、必要な「処方」も変わります。
だからこそ私は、
「公式化・標準化は薬だけど、強すぎると毒にもなる」
と思うのです。
管理人あるく
