利益率では測れない、事業という営み
自分のビジネスに意味はあるのか
──金融取引と事業を比べたときに、ふと思うこと
資産運用をやっていると、ふと立ち止まって考えてしまうことがある。
自分のやっている事業には、本当に意味があるのだろうか、と。
金融資産の運用利回りと、自分の会社の利益率を比べたとき、正直に言えば、見劣りする。
例えば経常利益率10%。
これは「優良企業」と言われる水準だが、実際にそこまで出せている会社は多くない。
多くは数%、時には赤字になる。
一方、投資信託や株式などの金融取引では、年率でそれ以上の数字が並ぶことも珍しくない。
純粋に数字だけを見れば、金融資産の運用のほうが効率がいい。
そう思ってしまうのも、ある意味ではとても正直な感覚だ。
すると、こういう疑問が頭をもたげる。
自分が日々、汗をかいてやっている事業って、いったい何の意味があるのだろうか。
「利益率」だけで見れば、金融のほうが強い
最終的な数字だけを切り取れば、金融取引は確かに強い。
そこには「利益」という一点において、非常に洗練された世界がある。
もちろん、株式投資であれば、その会社を応援するという意味合いもある。
それ自体に価値があることは否定しない。
「資本家」という立場で事業に携わっていると言うこともできる。
しかし、それでもやはり金融の価値は、基本的には「数字」に集約される。
極端に言えば、そこにあるのは運用益だけだ。
事業は、数字以外のものを生み出している
一方、事業はどうか。
事業をやる以上、黒字でなければならない。
税金を納めることもできないし、雇用を守ることもできない。
ここは大前提である。
ただ、事業が生み出しているものは、利益だけではない。
実在する商品やサービス
誰かの役に立つ価値
働く人の仕事と収入
仕事を通じたやりがいや誇り
お客さんの満足や信頼
こうしたものは、損益計算書には表れない。
しかし、確実に社会の中に残っていく。
事業というのは、「お金を増やす装置」である以前に、
価値を形として社会に提供する行為なのだと思う。
「儲けること」への違和感について
日本では、「儲ける」という言葉に、どこかネガティブな響きがある。
儲けている人を見ると、必要以上に否定的な感情を向ける人もいる。
しかし、冷静に考えれば、
儲けるということは、付加価値を生み出したということである。
その付加価値に対して税金がかかり、
税金は社会に再分配されていく。
まっとうな商売で利益を出すことは、
社会を支える一部を担っているということでもある。
自分は儲かっていないのに、他人が儲かっているのが許せない。
そうした感情は、正直に言えば筋違いだと感じる。
それは建設的な批判ではなく、ただの不満に近い。
金融で儲けることと、事業で儲けることの違い
金融で儲けることと、事業で儲けること。
この二つは、似ているようで、意味合いがまったく違う。
事業は、自分の責任で
人を雇い
給料を払い
働く場をつくり
誰かの課題を解決し
社会の中に「実体」を残す
という行為である。
そこには、お金では完全に測れない価値がある。
だからこそ、
利益率だけで事業の価値を判断するのは、やはり少し違う。
とはいえ、
「利益がどうでもいい」と言ってしまえば、それもまた違う。
高い付加価値を生み、高い利益率を目指す姿勢は、事業にとって不可欠だ。
それでも、事業を続ける理由
金融資産の運用が優れている場面は確かにある。
しかし、事業には、金融にはない意味がある。
人を雇い、
仕事をつくり、
価値を社会に届ける。
その積み重ねが、結果として利益になり、
税金となり、
社会を少しずつ潤していく。
そう考えると、
事業をするということ自体が、すでに価値なのだと思えてくる。
金融で儲けることとは、また別の軸で。
それぞれに意味があり、役割がある。
そう感じながら、何とか社会に貢献したいと考えながら、
事業を続けていくのである。
