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坂東三十三観音:第八番・星谷寺と、井戸の底の現在地


透析を終えたあとの身体は、ひどく「乾き」に敏感だ。
余計な水分を削ぎ落とされた義体(身体)は、回路の隅々までが水分を渇望している。だが、許可された「給水」のパケットはごく僅かだ。喉の奥に張り付く渇きをなだめながら、私は座間の街を抜け、深い谷へと足を踏み入れた。
坂東三十三観音、第八番。妙法山 星谷寺。
通称、星の谷観音。
「……星の谷、か。私の視覚野(モニタ)に、そんな光は映るかな」
境内に足を踏み入れた瞬間、ひんやりとした湿り気が不自由な皮膚を撫でた。
目当ては、本堂の脇にある「星の井」だ。昼間でも井戸の中に星が見えるという伝説。そんな非現実的なバグが、この現実の地層に実在するのか。
井戸の淵に立ち、暗い底を覗き込む。
期待した星は見えなかった。代わりに映っていたのは、少し疲れた顔をした、一人の男の反射だった。

水面は静まり返り、こちらの視線を真っ向から受け止めている。
かつての私は、この井戸のように「無意識の自由」を湛えていた。
蛇口をひねれば望むだけ水を飲み、数値を気にせず走り回り、自分の身体がどんな仕組みで動いているかなんて、一度も考えたことはなかった。
だが、透析というシステムに組み込まれて以来、私のOSからはそのプラグインが削除された。一滴の水の重さを計算し、血圧の上下を監視し、一歩の歩幅を調整しなければ維持できない、あまりに窮屈な「仕様」。
自由だった頃の記憶は、この暗い井戸の底のように、もはや手の届かない場所に沈んでいる。
「なぁ、あんた。俺の失った機能も、その底で星になってるのかい?」
覗き込むほどに、深い暗闇が吸い込まれるような感覚を呼ぶ。
見上げれば、昼間の太陽が眩しすぎて、大切なものは何も見えない。けれど、この狭く、暗く、冷たい穴の中だけに、確かなログ(記録)が残っているような気がした。
救いとは、暗闇の中に星を見つけることではない。
この暗闇そのものを受け入れ、その深淵の中で、今も静かに動き続けている自分の回路の音を聞くことだ。
立ち上がると、視界が一瞬揺れた。井戸の底から現実の熱へと、強制的に引き戻される。
「……ま、星より先に、今はこっちだな」
手元の水筒から、冷めた白湯を一滴だけ舌の上に乗せる。
井戸の底に沈んだ幻影よりも、この一滴の「制御された潤い」のほうが、今の私にはよほど切実で、確かな生の感触だった。
三十三カ所のうち、八つ目。
谷を下り、街のノイズへと戻る。
井戸の底に置いてきた自分は、もう振り返らない。
大ふべん者。……だが、それがいい。楽しんだやつが、持っていく。


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