今、何倍で見ているんだろう。
大学院の授業中、
ホワイトボードを見ながら、
ぼんやり考えていました。
もし、このホワイトボードが
世界全体だとしたら。
「このクラスを、
ホワイトボードの中に示してください」
そう言われてマーカーを渡されたら、
私はどれくらいの大きさで描くだろう。

たぶん、点。
いや、点で示すことすら難しいくらい、
小さな小さな点だと思う。
少し離れてホワイトボードを見たら、
その点がどこにあるのかさえ
分からなくなるかもしれない。
そう考えたら、
「このクラスでうまくいかないことくらい、
ずいぶん小さなことだな」
と思いました。
ホワイトボードから10歩離れてみたら、
その点はもう、ほとんど見えないだろう。
でも、その小さな点を
虫眼鏡で見たらどうだろう。
さっきまで見えなかったものが、
少しずつ見えてくる。
点の輪郭も、
細かなところも。
さらに顕微鏡で見たら、
どうなるだろう。
今度は大きくなりすぎて、
視界からはみ出してしまうかもしれない。
見えているのは
点のほんの一部分なのに、
それが世界のすべてのように
感じられるかもしれない。
同じ点なのに、不思議です。
遠くから見れば、
見失うほど小さい。
虫眼鏡で見れば、
細かなところまで見える。
顕微鏡で見れば、
視界いっぱいになる。
点そのものは、
何も変わっていないのに。
きっと、私たちが悩んでいることも
似ているのだと思います。
「あのとき、
あんなこと言わなければよかったな」
「あの人、どう思ったかな」
「なんでうまくできなかったんだろう」
そんなことを考えているうちに、
いつの間にか顕微鏡をのぞいていて、
それだけで視界が
いっぱいになってしまう。
でも、少し顔を上げて
離れてみたら、
「長い人生の中では、
そんなに大きなことでもないか」
と思えることもある。
だからといって、
いつも遠くから見ればいいわけでもない気がします。
遠くからでは
見えないものもある。
小さな違和感や、
誰かの気持ち。
自分の心の小さな揺れ。
そういうものを見るには、
虫眼鏡や顕微鏡が必要なときもある。
どの見方が正解、
ということではないのでしょう。
ただ、
「私は今、
何を使って見ているんだろう」
と、ときどき気づけたらいい。
顕微鏡で見すぎて
苦しくなっているなら、
少し倍率を下げてみる。
反対に、遠くから見て
「小さなこと」と片づけそうになったら、
少し近づいてみる。
近づいたり、
離れたり。
そのときの自分に
ちょうどいい距離を探せたらいい。
夏休みが終わるころ。
これから始まる学校のことが、
いつもより大きく見える人も
いるかもしれません。
そんなときも、
無理に「小さなこと」と思わなくていい。
ただ、苦しくなったら、
ほんの少しだけ倍率を下げてみる。
そうしたら、
今は
視界いっぱいに見えているものの外側にも、
ちゃんと世界が続いていることに
気づけるかもしれません。
そんなことを考えながら、
私は授業中、
ホワイトボードを見てぼんやりしていました。
さて。
私は今、何倍で見ているんだろう。

