「私はサッカーに興味がない」それに8000いいねがついた理由。そして組織への悪影響の話
サッカーを愛する方には申し訳ないのだが、私はサッカーが嫌いだ。
私がサッカーを初めて知ったのは小学生の頃。
アニメ『キャプテン翼』が流行し、Jリーグが開幕した時期だった。
当時のブームに乗り、私も最初は興味を持った。
だが、友達とボールを追いかけても、どうにも楽しくない。単純に自分には合わなかったのだろう。
嫌悪感が決定的なものになったのは、小学校高学年から中学生にかけての経験だ。
休み時間も放課後も、休日さえもサッカー漬けの同級生たち。
彼らは「ボールは友達」という言葉を地で行くように常に仲間と群れていた。
そして、群れると決まって悪ふざけが始まる。
1人でいるときは悪くない人も、集団になると急に攻撃的になったり、落ち着きがなくなったりする。
私が、高校でスポーツ科を選考した際もその傾向は変わらなかった。
騒ぎ、悪ふざけをし、マナーを守らない。
私の中での「サッカー好き=群れて騒ぐ人」というイメージは、そこからずっと変わっていない。
「興味がない」という声の正体
私はサッカーが嫌いなだけで、それを誰かに押し付けるつもりはない。
しかし、サッカー好きは時に、興味のない人間にまでその良さを強要してくることがある。
先日、Threads(スレッズ)でこんな投稿をしてみた。
「ぶっちゃけサッカーに興味ない人っています?私は全く興味ありません。」
すると、8,000件を超える「いいね」が付き、コメントも400を超えた。
その大半が、私と同じようにサッカーへの違和感を抱く人々だった。
寄せられたコメントを分析すると、以下の4パターンに集約される。
1. 純粋に興味がない・嫌い
ルールや非効率な動き(点が入らないなど)に馴染めない。
また、ラフプレー時にファウルを誘う大袈裟な痛がり方への反発も多い。
2. スポーツ全般に興味がない
説明不要の層。
3. 観戦時の「馬鹿騒ぎ」が嫌い
普段サッカーを見ないのに、W杯となると急にユニフォームを着て騒ぎ出す層への嫌悪感。
公共の場を占領する迷惑行為も批判の対象だ。
4. 熱狂の強要
最も深刻な問題。「面白いのになぜ見ないのか」と問い詰められ、挙げ句には「非国民」とまで言われるケースも後を絶たない。
このThreadsへの投稿の前に私はほとんどの人がサッカーが好きで、今行われているワールドカップの日本代表を熱狂的に応援しているものだとばかり思っていた。
しかし、私に対するたくさんのいいねや共感のコメントが良い意味で私を裏切ってくれた。
管理職の目線で見る「サッカー好き」の危うさ
さて、ここからは管理職としての視点で、私の偏見も交えつつサッカー好きという存在を分析してみたい。
まず、サッカー好きは総じてプライドが高い傾向がある。
実力に関わらず、他人より自分が上だと思いたいという欲求が強い。
目立ちたがり屋が多いとも言えるかもしれない。
そのアピールと自信に満ちた態度が功を奏し、なぜか出世してしまう者も見てきた。
しかし、その実態が「ハリボテ」であることも多く、役職に見合う結果を出せずに苦しむ姿も少なくない。
そして、自己アピールが非常に強い。
手段を選ばず、誰かのアイデアやアシストで得た成果すら、
平然と「自分の功績」として語る。
このような行動原理は、もしかするとサッカーという競技そのものが持つ体質が、彼らの人格形成に影響を与えているのではないだろうか。
仕事において大切なのは、ゴールを決めた人間が誰かという自己主張ではないはずだ。
どんなアシストによって成果が生まれたのか、誰がその環境を整えたのかというプロセスこそが、本質的なチーム力ではないだろうか。
サッカー好きな彼らが持つエネルギーを、正しい方向へ導くこと。それもまた、チームを束ねる管理職として避けては通れない、一つの難題なのかもしれない。
最後に
散々私のサッカーに対する偏見を述べてきたが、サッカーそのものが嫌いなわけではない。
それを取り巻く悪ふざけや間違った自己主張の強い人が嫌いなだけだ。
しかし、サッカー好きでもしっかり管理職をしている人もいるし、謙虚に行動する人もいる。
結局は自分の芯の強さがものをいうのだ。
サッカー好きは群れると自分を見失い悪ふざけをすることがある。
しかし、そんな周りの空気や熱狂に毒されず、自分の信念で行動できる人こそが優れた人材であると私は思う。
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